第15話 クリスタライズ・シルバー
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
レティ・ホワイトロックが突然、砕け散った。
破片は、全て雪の結晶だった。
それらがキラキラと空中を舞い流れ、霧雨魔理沙と十六夜咲夜を取り巻いている。
「例の、紅い霧と一緒に入って来た連中……その中に、時間を止められる奴がいるとは聞いていた」
レティの、姿は失せたが声は聞こえる。肉声か、念話の類か。
「……貴様が、そうか」
「まあ覚悟してはいたけれど……私の時間停止が、これほどまで決定打にならないとは。幻想郷とは厄介な所」
魔理沙の箒に相乗りしていた咲夜が、いつの間にか空中に佇んでいた。時間を止められたナイフの刃に、爪先を載せている。
「時間を縛る鎖を、自身の肉体もろとも粉砕する……フランドール様や博麗霊夢に比べると、いくらか余裕に欠ける回避手段ではある。にしても大したものよレティ・ホワイトロック。お前ほどの妖怪、外の世界にはあまり居なかった」
「私程度の妖怪、幻想郷には掃いて捨てるほどいる」
煌めく雪の結晶たちが、言葉と共に集結し、レティの肉体として再構成されてゆく。
「だからな、よそ者があまり大きな顔をするな。私がいる限り、幻想郷の冬は優しくない。あの紅い屋敷に引きこもって大人しくしていろ」
「面白い事を言うのね。いいわ……久方ぶりに、妖怪討伐と参りましょう」
咲夜の優美な五指が、何本ものナイフを扇状に広げてゆく。
「不愉快な過去を、思い出させてくれた。そのお礼をしなければ」
「お前……やっぱり、そうか。霊夢の、同業者だったんだな」
魔理沙は言った。無数のマジックミサイルを、周囲に発生・浮遊させながら。
「妖怪退治の、本職……」
それらが、一斉に発射された。
マジックミサイル、だけではない。魔理沙の左右に浮かぶ水晶玉が、旋回しつつ発光し、魔力のレーザー光を迸らせる。
「ま、私も同じようなもんだけどなっ!」
全ての攻撃が、レティに集中して行く。しかし。
「無駄な事……!」
雪の結晶が、煌めいて飛散する。
レティの身体が、またしてもキラキラと砕け散り、魔理沙の攻撃をかわしていた。マジックミサイルとレーザーの嵐が、むなしく虚空を切って走り、消えて行く。
煌めく雪の結晶が無数、魔理沙も咲夜も迂回して空中の一点に集結し、融合してレティとなる。
「冬が続く限り、私は傷を負う事がない! 無敵と言っていいだろう。だから大人しく春を待てと」
そこで、レティの言葉は凍り付いた。
無数のナイフが、レティを取り囲んでいる。
「貴女たちと並べられては恐縮ね、魔理沙。気恥ずかしいわ」
咲夜が言った。
どこかで時間を止められたのだ、と魔理沙は思った。
「貴女も、博麗の巫女も、幻想郷を守るために戦っている。私は、ただ……腐敗した者どもの、既得権益を守っていただけ」
時間が止まっている間、咲夜が念入りに配置したに違いないナイフが、全てレティに突き刺さっていた。
「ぐっ! 貴様……」
「ナイフの1本1本に、退魔の念を宿らせてある。砕け散って逃げるような真似は、もう出来ない」
言いつつ咲夜は、眼前にナイフを掲げている。
その1本から、レティの全身に突き刺さった無数のナイフへと、退魔の念を送り込んでいる。魔理沙には、それがわかった。
並の妖怪であれば爆散・消滅しているであろう、退魔力。それが今、レティを束縛している。
「レティ・ホワイトロック。時間の止まったお前に直接、攻撃を撃ち込もうとしても逃げられてしまう。博麗霊夢と同じく、身を守るための力が勝手に発動してしまうのね……妖怪の、生存本能のようなものかしら」
咲夜が今、レティの動きを止めている。
すなわち、魔理沙の出番であるという事だ。
「だから……私が時間を止めるのは、決定的な攻撃を撃ち込む準備を整えるため。魔理沙」
「……言われるまでもないぜマスタースパァアアアアアアクッ!」
魔理沙の眼前に小型の八卦炉が浮かび、爆炎を噴射する。
退魔の念に拘束されたまま、レティは叫んだ。吼えた。
目に見えるほど濃密な寒気が、轟音を立てて渦を巻き、レティを包む。それはまるで白い炎のようである。
そこヘ、マスタースパークが激突する。
太く直進する、爆炎の閃光。その一部……白い炎に触れた部分だけが凍り付き、すぐに融け、また凍る。
すぐに融け、凍り付き、融け、凍る。
その繰り返しの中で、レティの姿が少しずつ薄らいでゆく。
妖怪とは、自我を獲得した妖力の塊である。
妖力を消耗する。それは、自分自身を削るという事だ。
レティは今、己自身を消耗する事で、マスタースパークを防御し続けている。
「お前……消えるぞ、このままじゃ」
八卦炉の出力を弱める事なく、魔理沙は言った。
「もうやめろ、私たちと戦う事に何の意味がある! お前はリリーホワイトを助けたいんだろう? 私たちと一緒にそれをやろうって気に何故なれない!」
「言ったぞ……お前たちでは、勝てない……」
レティの消え入りそうな声が、燃え上がる。
「生命だの魂だの、そんなもの後生大事に抱えてる時点でなあ、西行寺幽々子には絶対勝てないんだよ! 仮に勝てたところで……リリーは、西行妖から離れてはくれない……」
全身にナイフが突き刺さった状態のまま、レティは白い炎となって燃えている。
「……西行妖が、花開くまで……だから待て……」
「待っていれば、返してくれるのか。今もそこに流れ込んでいる、幻想郷の春を」
空間の裂け目を見据えて、魔理沙は言った。
まるで何者かが、空を斬る事の出来る剣でも振るったかのようである。
「そんなわけないよな。お前らが奪った春は全部その西行妖とかいう花に喰われちまったんだろう。これ以上そんな事されたらなぁ、夏や秋だってまともに来るかどうかわからない! 次の冬だって来ないかも知れないんだぞ、わかってるのか冬妖怪!」
「……咲きたい……のに、咲けない……そんな花を、リリーは放っておけない……その花にだって、春に咲く権利はあるんだぞ……」
白い炎が、太い爆炎の閃光に圧迫されながら言葉を発する。
「だからリリーは、春の妖精として! しなければならない事をしているんだ! 私はそんなリリーの力になりたい、それは私の身勝手な思いだ。自分勝手に生きるのが私たち妖怪だ! 気に入らんのなら退治してみろ人間どもがぁああああッ!」
レティは、吼えているだけだ。身を削ってマスタースパークを防御している彼女に今、攻撃の手段はない。
だが魔理沙は、防御をしなければならなかった。
光弾の嵐が、3方向から押し寄せて来たのだ。
爆炎を噴射し続ける八卦炉を、魔理沙は旋回させた。マスタースパークを、振り回すような形となった。
振り回された爆炎の閃光が、3方向からの弾幕を薙ぎ払う。
その間。マスタースパークから解放されたレティを、何者かが抱きさらって行く。
赤系統の衣装に細身を包み、赤い帽子を頭に載せた少女。魔理沙も、顔と名前は知っている。
「お前ら……このところ姿を見ないと思ったら」
「今はね、白玉楼と長期契約中なの」
レティを抱えて上昇飛翔しながら、リリカ・プリズムリバーは言った。
「幽々子さんがね、それだけのものを支払ってくれたから」
「……その冬妖怪を助けるのも、契約のうち?」
咲夜が笑う。いくらか険のある笑みである。
「紅魔館との専属契約を蹴ったプリズムリバー楽団を、私兵として飼い馴らす。一体どれほどの大貴族なのかと思ってしまうわね」
「飼い馴らされているのはアンタでしょうがあ? ねえ、完全で瀟洒な飼い犬ちゃん」
薄桃色の衣装をまとうメルラン・プリズムリバーが、明るく嘲笑っている。
「ただねえ、飼い主の吸血鬼お嬢が家出の真っ最中なんだって? どんなトラブルがあったのか教えなさいよ。面白おかしく明るい楽曲に仕上げてあげるからあ」
「……面白くもない仲違いがあったのでしょう。大体わかるわ」
対照的に暗い声を発しているのは、黒衣のルナサ・プリズムリバーである。
「紅魔館のパーティーには、何度も呼んで下さって。本当にありがとうメイド長さん」
「お嬢様が、貴女たちの演奏をお気に召したのよ。だから是非とも専属契約をと思ったのだけど」
「そのお嬢様ってのはレミリアさんでしょう。一体何で家出なんかさせちゃったの」
言いつつリリカが、レティの身体から1本1本ナイフを引き抜いている。
「プリズムリバー……お前たちが、何故……」
レティが呻く。
「私を……助ける、理由など……」
「聴こえたのよレティ・ホワイトロック。貴女の歌、貴女の音楽が」
リリカが、続いてメルランが言った。
「冷たい、のに熱い……魂がねえ、震えて引き締まりながら燃えちゃうわけ。最高よ!」
「……だから聴いてもらうわ。次は、私たちの音楽を」
言葉と共に、ルナサがヴァイオリンを奏でる。
「遠慮する事はないのよメイド長さん、それに白黒の魔法使い。貴女たちの音も聴かせてちょうだい……私が編曲してあげる。救いようもなく暗く悲しい、弔いの楽曲に仕立ててあげるわ」
相変わらず、春だと言うのに一面の雪景色である。
「あの、レミリアお嬢様……私、怪我人なんですけど」
博麗神社の境内。まだ包帯を巻かれた腕でシャベルを振るいながら、紅美鈴が文句を漏らす。
雪掻きの、真っ最中である。
「何で私が、こんな事……」
「答えは簡単。お前が、私に敗れたからよ」
レミリアは言った。
傍らでは鍵山雛が、日傘を広げてくれている。
「しっかり働きなさい。霊夢にはね、美鈴がきちんと雪掻きをしてくれたと言っておいてあげるわ」
「……こんな事したって参拝客なんか来ませんよ。この神社」
言いつつ美鈴が、ちらりとレミリアの方を向く。
「まあいいです。雪掻きなんて、いくらでもしますけど……妹様の所へは、行かせませんよ」
「……フランは今、どこにいるのかわからないのよね? それに咲夜も」
寒々と晴れ渡った冬の空を、レミリアは見上げた。
「咲夜と霊夢が、私のために2人がかりでフランを止めてくれている……そんなふうに私、自惚れていたけれど。もしかしたら3人とも、何か異変に巻き込まれている最中なのかも知れないわね今頃」
「フランちゃん、とおっしゃるのね。貴女の妹さん」
雛が、ぬるりと身を寄せて来る。レミリアは悪寒を覚えた。
「とっても素敵なお嬢様だったわ。厄をいっぱい振りまいて、元気に凶暴に遊んでいらっしゃるところへ私1度お邪魔した事があるのよ」
「やっぱりな。あの時くるくる回ってたのは、あんたか」
美鈴は言った。
「おかげで助かった。礼を言う……それはそれとして、レミリアお嬢様にあんまり馴れ馴れしくしない方がいい。咲夜さんに見つかったら殺されるぞ」
「貴女あの時ずいぶん酷い目に遭っていたわねえ、紅さん」
雛の口調は、哀れむようでいて、どこか嬉しそうだ。
「なかなかに厄が集まりやすい体質なのね貴女。素敵よ」
「勘弁してくれ……」
「ああでも一番素敵なのはレミリアさん! 妹さんよりも貴女の方が、私好みの厄を醸し出してくれるわ。この邪悪で高貴で上品な、香り立つ厄!」
「む、無理に誉めてくれなくていいのよ」
蛇のように絡み付く厄神の細腕を、レミリアはやんわりと振りほどいた。日傘を持ってくれているので、あまり邪険には出来ない。
「私なんて、何もかもがフランに劣っていて……今思えば、だからと言ってフランが私を蔑ろにしていたわけではなかった。私の方が勝手に、あの子を妬んで疎んじて……恐れていただけ」
「いいじゃないですか。自分の駄目だったところを、そうやって認めて受け入れる。立派だと思いますよ」
美鈴が、雪にシャベルを突き刺して汗を拭う。
「それで充分です。くれぐれも直接、妹様とぶつかり合うなんて……本当、やめて下さいよ。レミリアお嬢様じゃ絶対、勝てません。負けた私が言える事じゃないですけど」
「……あの戦い。最後に私と美鈴を、まとめて吹っ飛ばしてくれたのは」
レミリアは、ちらりと雛を睨んだ。
「お前なの? それとも秋の姉妹? やってくれるものね」
「うふふ。さあ、誰かしらね」
「まあ別に誰でもいいですけど」
言いつつ美鈴が、狛犬像の頭に積もった雪を素手で払い落としている。
「とにかくね、どんな弾幕使いがどこに潜んでいるかわからないのが幻想郷って事です。恐い所ですよ、まったく」
雪が、ひらひらと舞い始めている。いくら払ってもまた積もってしまうのだろう、とレミリアは思う。
否、それは雪ではなかった。白い小さな、花びらである。
「桜……」
雛が呟く。
かつて、咲夜が言っていたものだ。
私の祖国に唯一、お嬢様にお見せ出来るものがございます……と。
それが、桜。
欧州にも、咲いていなかったわけではない。
だが日本の桜はやはり違うのだ、と咲夜は言いたかったに違いない。
「そう……よね。異変で冬が長引いている、にしても春は間違いなく、近付いて来てはいるのよ」
雛が言った。
「いくらか遅くなる、にしても春は必ず来る。それでは色々な事が間に合わないから、静葉ちゃん穣子ちゃんが一生懸命動き回っているけれど……季節の流れは、こうして異変で滞る事はあっても、止まる事はないわ」
「生きている、のかしらね。季節の流れというものは」
もしそうならば、とレミリアは思う。
季節という、恐らくは吸血鬼よりは偉大な生命体に、1つ頼み事をしておかなければならない。
「幻想郷の季節よ。お前に生命、そして己の意思というものがあるならば……どうか、咲夜を守って」