第12話 穢れを忘れた少女
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定 小湊拓也
武士であり、僧侶であり、歌人であった人物が、かつていた。
歌聖とまで讃えられた、その人物は、1つ奇怪な伝説を残している。
山中での修行の最中、彼は孤独に耐えかねて『人間』の製造を試みたという。
人骨を集め、肉を盛り、魂を吹き込む。
西行妖を満開にするというのは、それに等しい行為なのではないか、と魂魄妖夢は思う。
骸骨のような巨木が、肉に覆われるが如く花を咲かせてゆく様。それを見上げていると、そのように思えてしまうのだ。
思うだけに、とどめておかねばならない。
死せる桜の巨木が、満開の花を咲かせる。西行寺幽々子がそれを望んでいるのだから。
「西行妖……貴方が満開になれば、冥界の風景そのものが変わってしまうだろうな」
白玉楼を、いや冥界そのものを睥睨する桜の巨木に、妖夢は語りかけた。無論、応えはない。
「それだけではない、何か……恐ろしい事が、起こりそうな気がする。が、それはそうなった時の事だ。いかなる事態になろうと、責は全てこの魂魄妖夢にある。貴方を咲かせるために、最も力を尽くしているのは私なのだからな」
「……それだよ、半人半霊」
レティ・ホワイトロックが、妖夢の傍を通過しながら言った。
「幻想郷の春が、白玉楼に流れ込む。その径路をお前が作り上げたのは良いが……それを辿って、幻想郷からここへ入り込んで来る者たちが出て来るぞ。今後、間違いなく」
「辿るだと? 馬鹿も休み休み言え冬妖怪。目に見えるような間抜けなものを、私が作り上げたとでも思うのか」
「目には見えん。感じる事も出来ん。人間はそうだろうさ、そこいらの妖怪もな」
レティは立ち止まり、振り向いた。
「だがな、春の通り道だぞ……私のような、季節と関わり深い妖怪ならば間違いなく見える。それに妖精もな」
「妖精だと?」
「あの連中は、幻想郷の自然そのものだ。春の流れる道なんてものがあったら真っ先に気付く……まずは、あの霧雨魔理沙あたりだろうな。妖精を味方に付けて、白玉楼に攻め込んで来る。そんな奴がいるとしたら。だから私が迎撃してやる」
「……急ぐ必要があるのか。リリーホワイトと、もう少しゆっくり過ごしたらどうなのだ?」
妖夢が言うと、レティは微笑んだようだった。
「リリーは……西行妖と語り合っている。あの子は、春の来ない桜なんてものを放ってはおけないのさ。邪魔は出来ないし、邪魔する奴がいたら許さない」
とてつもなく長い、白玉楼の石階段を、レティはもはや振り向かず下りて行った。振り向かぬまま、言葉だけを残す。
「魂魄妖夢、リリーをさらって行ったお前は許さない。けどリリーに会わせてくれた事だけは感謝してやる……西行妖の開花は、誰にも邪魔させない」
「……ふざけるなよ貴様、自分1人だけ仕事をしているような顔はさせんぞ。私も行く」
「お前は、ここで白玉楼を守れ」
言いつつレティは、やはり振り向かない。
「全く動きを見せない博麗の巫女が、不気味だ……幻想郷から冥界へと至る道は、お前の作った春の通路だけじゃあないだろう。お前はここにいて守れ。白玉楼を、西行寺幽々子を、西行妖を……リリーを、守ってくれ」
遠ざかって行くレティの姿を、妖夢は無言で見送った。
見送っている者が、もう1人いた。
「……貴女にお友達が出来て、本当に良かったわ」
「ゆ、幽々子様! 一体何を」
仰せになりますか、と言葉を続ける事が、妖夢は出来なくなった。
そこにいたのが、西行寺幽々子だけではなかったからだ。思わず言葉を無くしてしまうようなものを、彼女は引き連れていた。
白玉楼令嬢の幽玄美麗なる姿と、それとは対極と言える醜悪奇怪な姿が、視界の中で並んでいる。信じ難い光景であった。
息を呑みながら、妖夢はようやく声を発した。
「……幽々子様……それは、一体……?」
「差し入れよ」
幽々子の嫋やかな手が、傍らに佇む醜悪なるものをそっと撫でる。
お手を触れてはなりません、と妖夢が叫ぶ前に幽々子は言った。
「白玉楼の戦力として、好きなように使い潰してくれて構わない……そう言っていたわ」
誰がそう言ったのか。誰が、このようなものを差し入れたのか。幽々子の口からその名は出ないが、明らかではある。
「あのスキマ妖怪……一体、何を考えているのか」
スキマ妖怪。口にするだけで胡散臭い、と妖夢は常々思う。
「それにしても、穢らしいわねえ貴方」
醜悪極まるものに、幽々子は手を触れるだけでなく言葉までかけている。
嘲り罵り、ではなかった。その醜さ穢らしさに、幽々子はむしろ感心している。
「見ればわかるわ。貴方、外の世界の人でしょう」
「人……なのですか、これが……」
言われてみれば、と妖夢は思う。この醜悪さには、人間の原形が確かに感じられる。妖怪の醜さとは何かが違う。
「人の心の、罪穢れそのもの……外の世界では、人はここまでドロドロとおぞましくなってしまうのねえ」
「幽々子様は……このようなものを、白玉楼の戦力となさるおつもりですか」
妖夢は主君を見据えた。睨むような眼差しになってしまった。
「……この魂魄妖夢では力が足りぬと、頼りにならぬと、思し召しですか」
「妖夢、貴女は代わりのいない存在よ」
幽々子が、見つめ返してくる。
「貴女を、ただの戦力として使い潰す……そんな事、私には出来ないわ」
幽々子が言葉を選んでいる、と妖夢は感じた。自分は、気遣われている。
主に気遣われる従者。存在価値はあるのか。
当然か、とも妖夢は思った。自分は結局、あの霧雨魔理沙を仕留め損なっている。
白玉楼を守る剣士として、その実力に疑問符を付けられても仕方がない。
ならば、証明するまでだ。
「おい貴様、口をきく事は出来るのか」
醜悪なるものに、妖夢は声を投げた。
「ならば名乗れ。私は魂魄妖夢、白玉楼の庭師である。庭を汚す者を許してはおかぬ……貴様を、斬る」
「……俺は……罪悪の袋、であるらしい……」
辛うじて聞き取れる、弱々しい声。
「斬られて死ぬのも悪くはないが……戦え、と言われている。殺されて死ぬまで、力の限り抗えと」
「抗って見せろ。幽々子様、私はこやつを試さねばなりません」
「気の済むようになさい。貴女に斬られて滅びるようであれば、その程度」
幽々子が、ふわりと遠ざかる。
それが開始の合図となった。
罪悪の袋。その醜悪な姿が、さらにおぞましく膨れ上がったように見えた。
見ているだけで胸が悪くなるほど醜く穢らわしい、それでもどこかに人間の原型をとどめた肉体が、潰れ破裂したかの如く変形していた。ある部分は牙に、ある部分は鉤爪に、ある部分は触手と化し、一斉に妖夢を襲う。
「ふん、こんなもの……楼観剣を抜くまでもなし」
妖夢は、軽く後ろに跳びながら身を捻った。小柄な細身が軽やかに捻転、躍動し、襲い来る牙、鉤爪、触手をかわしてゆく。
回避の舞いを披露する妖夢の周囲を、雲のような霊体が旋回する。半人半霊の剣士、その半霊部分。
それが、光弾の嵐を射出した。
迸った霊気の弾幕が、罪悪の袋を穿つ。おぞましい肉塊がズタズタに裂け、汚らしい体液がぶちまけられる。
汚らしい飛沫が、しかしすぐさま美しい光に変わった。光弾だった。
「弾幕だと……!」
妖夢は息を呑んだ。襲い来る光弾の雨に対し、剣を抜くまでもなし、などと言ってはいられなくなった。
少女の細い腰に、いくらか重そうに括り付けられた大小二振りの剣。その長い方を、妖夢は抜き放った。
抜き打ちの一閃が、押し寄せる無数の光弾をことごとく弾き砕く。
砕け散った光の飛沫が、妖夢の周囲に舞い散りながら消えてゆく。
命の飛沫だ、と妖夢は感じた。楼観剣を握る右手には、命を切り砕いた手応えがしっかりと残っている。
おぞましく巨大に膨れ上がっていた罪悪の袋が、ズタズタに裂けながら萎み縮んでいる。この醜悪な生き物は、破裂しかけた己の肉体から生命そのものを放出し、それを弾幕としているのだ。
「……もういい、そこまでにしておけ」
妖夢は言った。
「使い捨ての戦力として、存在を認めてやる。白玉楼の庭園、出来得る限り目立たぬ場所にうずくまる事を許可しよう。だから、もうやめておけ。どうせ儚い命、ここで捨てるよりも幽々子様の御ために使い果たせ」
「違う……俺が、命を使い果たすのは……八雲紫のため……それだけ……」
萎み、縮み、潰れかけた罪悪の袋が、なおも弾幕を放射する。
否。放射される寸前、妖夢は楼観剣を一閃させていた。
一閃で、複数の斬撃が繰り出される。全ての斬撃が弾幕となり、罪悪の袋を強襲する。
袋、と言うよりボロ雑巾と化していた肉塊が、切り刻まれて砕け散った。
飛散しつつも宙で蠢く無数の肉片が、次の瞬間、霊気の弾幕に薙ぎ払われて消滅する。半霊が、光弾を掃射していた。
その半霊を傍らに従えたまま、妖夢は油断なく楼観剣を構え、周囲を睨んだ。
満開の桜と、長大な石の階段。白玉楼周辺の、その幽玄なる風景に、醜悪なるものたちが割り込んで来ている。
「西行寺幽々子……俺は、お前のためには戦わない……だが……」
「紫が、ここで戦えと言った……だから戦ってやる。八雲紫の、兵士として……」
「俺の……俺の命は、紫のために……」
「八雲紫のために……ただ、それだけ……」
読経の如く忠誠を口にする、罪悪の袋たち。幽体の如く浮遊し、宙に蠢く。その数は、一望しただけでは把握出来ない。
「ねえ妖夢。貴女にはね、代わりがいないのよ?」
おぞましいものの群れを眺めながら、幽々子が言った。
「いくらでも代わりのいる戦力が、博麗の巫女が相手なら必要になるかも知れない……それだけの事。だから、ね? 機嫌を直してちょうだい。貴女が頼りにならないとか、そういう事ではないのよ」
「幽々子様……この者どもは一体、何なのでしょう……」
宙に蠢く罪悪の袋たちを、妖夢は見つめた。見てるだけで胸が悪くなる醜悪さ。だが、それだけではない。
「こやつらを見ていると、おぞましさに怒りが湧く一方で……胸が締め付けられるような、悲しさ、なのでしょうか? 憐憫なのでしょうか……そんなものまで、感じられてしまいます」
「外の世界の、罪と穢れ。使いようでは無限の力となるもの。紫は、そう言っていたわ。ここまで数が増えたのは、紫ではなく迷い家の狐さんの手によるもの、らしいけれど」
罪悪の袋たちを見つめる、幽々子の眼差しに、ぼんやりとした熱っぽさが宿ってゆく。
「私はね、この子たち……嫌いではないわよ。かわいそうになるほど穢らしくて、ドロドロしていて……」
その目が、半ば近く開花した西行妖を見上げる。
「どろどろと蠢き渦巻く、おぞましいものを……私も、持っていたような気がする。ずっと昔に……一体、どこへ置き忘れてしまったのかしら……」
レミリア・スカーレットは、うっすらと目を開いた。
ドロリとした感じの笑顔が、視界に満ちていた。
「おこんばんわ~」
「ひぃいいいいい! かっ鍵山雛!」
溺れる者の動きで、レミリアは布団から這い出した。
自分が今まで布団の中で、眠っていた、と言うより気を失っていた事に、ぼんやりとレミリアは気付いた。
見回してみる。
博麗神社。社務所兼巫女宅。居候の吸血鬼に、霊夢が寝室として使わせてくれている部屋だった。
鍵山雛、だけではない。明らかに姉妹とわかる2人の少女が、そこにいた。
「ちょっと雛。朝なのに、こんばんはーなの?」
「朝だもの」
「……そういう事ねレミリア・スカーレット。貴女は本来まだお休み中の時間帯でしょう? 寝ていなさい」
部屋の中で、秋静葉は日傘を広げ、朝方の日差しからレミリアを守ってくれている。
「……神社は神々の自宅、とでも言うわけ?」
室内にいる計3柱の女神たちを、レミリアは見回した。
「勝手に博麗神社へ上がり込んで……霊夢にばれたら、弾幕で吹っ飛ばされるわよ」
「その博麗霊夢に頼まれているのは私たち。レミリアさんの事、それとなく気にかけていて欲しいってね」
秋穣子が、続いて静葉が言った。
「私たちとしても、ね……貴女の事は、どうにも放っておけないのよ。ご迷惑でしょうけど」
レミリアは、ようやく気付いた。
自分の身体に、包帯が巻かれている。その上から、寝間着を着せられているのだ。
「……手当てを、してくれたのね」
レミリアは言った。
「幻想郷の神々の、慈悲深き計らいに感謝するわ。私が幻想郷を支配しても、貴女たちの事は大いに敬い祀ってあげる。願わくば……どうか、見守っていてちょうだい。私はこれから、495年前にしなければならなかった事を」
「……行かせませんよ」
何者かが、レミリアの足を掴んだ。
もう1人、寝かされていた。布団の中から片手を伸ばしている。
「あんたは、強い……私なんかよりずっと……悔しいけど、それは認めます」
紅美鈴だった。
「レミリア・スカーレットは、やっぱり強かった……だけど……それでも、あの妹様には勝てないんですよレミリアお嬢様……お願いですから、咲夜さんに心配かけないで……」