〜これは別れなのか?〜
ゲルカがこのクアモス村に滞在していたのはたった数時間ほどだったにもかかわらず、リューヤを含めた全村人が疲労を蓄積させており、まだ日は昇っていたが皆家のなかに入ってしまい、村は別の静けさに包まれており。気絶したロージが目を覚ましたのは日が沈んでしまったあとだった。
「大丈夫ですか?ロージ村長」
「おお、サーシャすまないね、もう大丈夫だよ。」
「それでさ、ロージ村長、こっからマクシム王国って遠いんっすか?」
「そうじゃの〜こっからじゃと10日ほどってところかの〜」
ロージは体を起こし立ち上がると、布が被せられた木箱のなかから一枚の紙を取り出して、リューヤとサーシャの前に広げて見せた。
「まさか…これは地図?」
「あぁ、そうじゃ。本来軍事機密じゃがの、昔ちょっと賭け事でなほっほっほ」
それを渡したやつ、今はもう国にいれてないだろうな。と思いながら地図をみる。この地図には縮尺が表記されていなかったが、クアモス村の大きさはしっかり把握しているリューヤは、この地図がどれだけの縮図で作られているか、完璧に把握できるが、そもそも地図が間違えているため確実ではない。
「だいたい直線距離で120キロくらいか?それなら回り道したとしても5日、6日ずっと歩き続ければ、たどり着けると思うんですが、なにかあるんですか?」
リューヤが問いかけると、ロージは珍しく悩ましげな表情をして見せる、いや顔を全て隠す毛が重力によって柳のように下に下がっているから、常時悩ましげな顔に見えるのだが、今ばかりは、余計に悩ましそうに見える。
「そう…じゃの、それがこの村が廃れていく原因でもあり、この村から王国へ出ていくものがほとんどいないことの原因でもある。ここを見て欲しいんじゃが」
ロージが指差したのは、ここクアモス村とマクシム王国の中心に位置する、黒い靄のようなものが地図には記されており、その靄はクアモス村から30キロくらいの距離を取り囲むように描かれており、それは海まで到達していた。つまり、その靄によってこの村は隔絶しているようなものなものなのだ。
「この黒いのは、森なんじゃ、”リルロ大森林”このマグナ大陸最大級の森林であり、一般人の立ち入り禁止を推奨しているエリアなんじゃ。」
「立ち入り禁止推奨ってどういうことですか?」
「そのままの意味じゃ、特に入ったからといって何かの罪に問われることはないが、命の保証はしない。それだけ危険な森なのじゃ…それにその森を超えても、標高2400mあるヴェルニノ山脈があるからの」
ロージの家からでたリューヤとサーシャはあかりのない村はずれの場所で空を見上げるように仰向けで寝転がっていた。今日は満月のはずだが…少しある雲で隠れているみたいだ。空気が澄んでおり、鼻には嗅ぎ慣れた潮と生臭い命の匂いが届く。目には闇夜に浮かぶ星々。サーシャの視界には美しい満天の星しか見えないだろうが、リューヤの目にはしっかりと、数値が表記されていた。空気の温度を始め、視界のなかに移る星々との距離、正直ロマンティックなんて思う暇もない。音といえば草木が風で揺れそれぞれが擦れるものと、波が砂地を打つものだけであった。
「リューヤ」
沈黙がしばらく続いてから、最初に言葉を発したのはサーシャであり、その声には不安そうな思いが込められていた。そしてリューヤは返答することはなかったが、サーシャが何を言いたいのかだいたい察していたことも、無視をしていないこともサーシャには伝わっていたため、そのまま言葉を続けた。
「ロージ村長、マクシム王国にいく道のりは大変だっていってたね。それに遠いってもいってたね。それでさ…」
「悪いが、サーシャを連れて行く気はないぞ?」
「…!…ど、どうして?」
サーシャが体を起こしてリューヤの方を見たのは、音でわかった。しかしリューヤはそのまま視線を空から動かさない。
「どうしてって…危険だから。もうに度とサーシャを危険な目に合わせないって決めたから。だから俺が危険なところに行かなくちゃいけないなら、俺はサーシャを置いていく」
「そんな、私たちずっと一緒だったじゃない。子どもの頃も約束したし、ずっと一緒にいようねって」
サーシャにしては珍しく声を張り上げて、半ば叫ぶように言う。ここが村はずれで本当に良かったと思いつつもこの状況をどうすればいいのか考えていた。それでも時間は有限であり、黙っていれば問題が解決するような甘い状況でもなかった。
「それは…子供だったからだろ?今でも…まぁ子供なのは認めるが、心は漢であるつもりだ。だからお前が傷つかないようにするためなら俺はお前と離れることを選択する。」
はっきりとそう告げた。サーシャとは生まれた時期がほとんど一緒で村で友達と言えるのは、サーシャともう一人だけだった。リューヤだって男の子であったため、思春期にしては少し早い気もするが、サーシャに恋をしていたのだ。それは当然だろう、周りに女の子がいなかったのだから。しかし、リューヤがサーシャを頑なに傷ついてほしくないと思うのには別の理由があった。だがそれについて今触れるのは得策ではない、このまま押しきろうと思ったリューヤだったが…
「そんな…こと…言わないでよ…」
噛み殺すように途切れ途切れ言葉を紡ぐサーシャの声は震え、どう考えなくても泣いていた。
「ちょ、ちょっと待てよサーシャ、何も泣くことはないだろ。」
「だって…リューヤが離れちゃう…わたしリューヤと離れたくない」
何度でも言おう、リューヤは現在進行形で思春期なのだ。思春期の男の子に限らずも男という生き物はすべからく女子の涙に弱く、何も悪くないのに悪いことをした気持ちにもなってしまうもので、そのうえ意中の相手からこのような言葉を言われてうれしくないわけがない。
「俺は…それでも…「あ!」」
リューヤの言葉を遮るように、声を上げたサーシャは光がないのにもかかわらず、猫のように目を見開き開かせているのが見えた
「もしかしてリューヤ…マクシム王国に1人で行きたいのって、あっちにいるであろうかっわいい女の子たちとイチャコラしたいからってわけじゃないでしょうね!?」
さっきの涙はどこへやら、泣いてだめなら責めてみるってことだろうか。
「っつ!んなわけあるか!俺はお前が好きだって前から言ってるだろ?」
「それなら、私を連れてってくれてもいいだろ?」
「だから、好きな女を守れないかもしれないから一緒にくんなって言ってる俺の紳士的な思いがわからんか!」
「いーよ!わかったよ!リューヤが行ったあとこっそり付いて行くんだから!」
「ちょっそれ意味ねーだろ!」
「決めたの!私の意志は一度決まるとテコでも動かないのは自他共に認める私の長所の一つよ!」
絶対今、サーシャがドヤ顔していると断言できるリューヤであったが、すでに決めていた結論は、すでに瓦解しており、ため息と共に許諾の言葉を告げるのであった。
「わかったよ、サーシャ。もし付いてくるっていうなら、出発は明日の朝だ、寝坊したら今度こそ置いてってやるからな!」
今度はリューヤが起き上がって、サーシャの方を向く。今更雲が風で流れ、月が顔を出し、辺り一面を照らす。ちょうどリューヤの後ろに位置していた月のおかげで、サーシャからはリューヤの顔は影になってしまい見ることができなかったが、リューヤにとっては特等席となった
「決まりだね!絶対約束だよ!よっし、今からしっかり準備するぞー!」
キラキラした笑顔を振りまいている、サーシャの顔を見て一瞬惚けてしまったリューヤであったが、今後どうやってサーシャを守っていくのか考えていくと、予想される疲労に、今から疲れてしまうのであった。
その日の気温はそれほど低くはならず、二人とも自分の家に着くと、すぐの眠りについたのだった。静かに夜明けを待つクアモス村のはずれ、海に沿うように建てられた小さな小屋のような家の明かりだけは、この日も消えることはなかった。
太陽が昇り、屋根にある隙間から、容赦なく陽の光が目に直撃しリューヤのことを叩き起こした。
「リューヤ!!おはよう、朝が来たよ!新しい朝が来たよ!」
「なんだよ、新しい朝って…なんか体を動かしたくなりそうな謳い文句だな。だが…どうしてサーシャが俺の家にいるんだ?」
「どうしてって、リューヤが寝坊しないように、起こしに来てあげたんじゃない!」
寝ぼけ眼をこすり、すでに遠出をする準備万端となっているサーシャを見つめ、少しため息を着く。そしてリューヤを起こしたにっくき太陽を睨みつけると、原子計の目…リューヤは『視野内数値化』と心の中で呼んでいるのだが、それがリューヤに教えてくれる、太陽の角度から算出した時間は、まだ4時35分だった。
「おいおい、サーシャさすがに早すぎるだろ。それとも村のみんなに声を掛けずにいくつもりか?」
「そ、そういうつもりじゃないけど、楽しみすぎて…てへ」
小首を傾げて。舌をぺろっとだす仕草に、寝起きのボケた頭が冴え渡るのを感じており、二度目を決め込むこともできなくなった、リューヤは魔法で海水を真水に変えて溜めてある桶から、小さい桶ですくって顔を洗う。少しだけ低めに調節されているため、肌が引き締まった感触が気持ち良かった。
「しかしこんなに早いんじゃ、まだ誰も起きてないだろうな…老人は朝早いっていっても、ロージ村長は昨日だいぶ疲れてたみたいだし…あ、そうだ」
「?どうしたのリューヤ?」
乾いた布を手渡したサーシャを見て何かを思い出したリューヤは、乱雑に顔を拭って家を飛び出す、それに続くようにしてサーシャも家を出る。ちなみにリューヤとサーシャの両親はそれぞれの家にちゃんといて、眠っているのだが、農家ということが起因しているのかわからないが6時にならないと絶対に目が覚めないのだ。それでも鍵などが家に存在しないのは、お互いの信頼関係がしっかり確立しており、全員が顔見知りで家族みたいなものだからなのだそうだ。
「り、リューヤ?こっちってもしかして」
「あぁ、そうだよ。リマイル・ティーガ…俺たちの仲間に会いに行こう」
そう…俺たちには朝から晩までずっと一緒にいた仲間がもう1人いた…そう5年前まで。そいつの名前がリマイル・ティーガ。今は村のはずれにある小屋のような家の中で過ごしている、家から出たことはこの5年間片手で数えるほどしかなかった。その小屋は村の中心にいくつもある藁で作られてものとは違い、木を金具なしで組み込まれた、非常に強度の高い建物であった。
扉自体はそもそもなく、窓もない、これだけ密閉されていれば、空気の出入りもないかと思えば、そうでもない、のに隙間がない。とりあえず、陸側の壁をノックする。
応答がない、しかしそれでも中にいるティーガは返事をしない。それはいつも通りであり、かまわず話始める。
「俺、リューヤだ。実は俺、勇者らしいんだ。それで国に…マクシム王国に行かなきゃいけない。多分しばらく帰ってこれない。」
「…」
リューヤの目に映る数値が変動し、ティーガが話を聞いていると確信する。それでも音沙汰はないのだが、それでもリューヤは話し続ける
「お前にはお前の考えがあってこうしてるんだって思うんだけど、よかったら一緒に行かないか?」
「…」
「ティーガ…私はリューヤについていくつもり」
ガタンと初めてティーガが物音を立てる。サーシャの一言がティーガに動揺を与えたようだ。
「っということなんだが、ティーガ、一緒に来ないか?」
再度の問いかけにようやく、家が動く。木目が徐々に隙間を大きくしていき両側へ開いていく、しかし建物全体の形は一切変わらない。
「よっ!久しぶりだなティーガ」
「うわ、眩しい…。久しぶりサーシャ、…リューヤ」
建物からだるそうに出てきたリマイル・ティーガは1年前見かけたときよりも、さらに肌が白くなっており、女性と見間違うくらい華奢だが顔は中性的なイケメンで爽やかという言葉が似合う。そのティーガが出てきて最初に呼んだのはサーシャで明らかにリューヤはついでといって感じだった。
「あからさまは相変わらずってとこだな、それで?どうする、俺とっつーかサーシャと一緒に旅したくないのか?」
「確かにそれはとても素晴らしい申し出だ。サーシャとなら険しい旅路も楽しいだろう…だが断る。俺には…サーシャを守る力がないからな」
目をそらし、うつむくティーガの脳裏には、額から血を流し、リューヤの腕に抱かれたまま、必死に自分が治癒魔法をかけているという、映像が流れている。これがティーガが引きこもりになった原因で、リューヤがサーシャの言葉を疑わなくなった原因だった。
「リューヤにはサーシャを守れるだけの力があるのだろう?なら俺の出る幕はない。悪いが俺はここに残る。このセリフを言うのはかなり心苦しいがサーシャのことは任せたぞ」
ティーガがそういうと、再び木が動き出し、もともとそうであったかのように、継ぎ目もなく閉じていった。
「やっぱりだめだったか」
「でも、どうしてなのかな…あの件はもう誰も気にしてないのに」
「それでも、引きずっちまうのが男の面倒なところなんだろうな、俺も男だけど」
「そういうものなのかしら」
ティーガの家をあとにした、リューヤとサーシャは、海辺の方で釣り糸を垂らしていた村一番の知識人と言われるリンザクおじさんと話をして時間を費やし、この村の歴史が100年前くらい遡ったあたりで気がつけば、村は賑わっていた。サーシャには時間を知る術はないのだが、常に把握することができるリューヤにはしっかりと2時間近く歴史を聞かされていたとわかっていた。
「それじゃあの、これで最後かもしれんからな、勇者リューヤよ、この村で2番目の勇者よ、どうかこの世界に安寧をもたらしてくれ」
「そんな大層なことはできないかもしれないけどな、できる限り頑張ってみるさ、押し付けられたようなことでも、俺の運命だっていうならちゃんと全うして見せるし、歴史を聞いてみる限りじゃ、勇者ってのはだいぶこの世界で優遇されてる存在っぽいしな」
リンザクおじさんが名残惜しそうにいうが、これ以上拘束されるのはたまらないと二人は逃げ出した。
「それじゃあ、父さん、母さん行ってくる」
リューヤがそう言って、リューヤの父、タカと握手を交わし、母リーナにはハグをされた。だが誰も声を出さなかった。声を出せば引き止めてしまいそうで、ここで甘えれば決意が鈍ってしまいそうで。決して死にに行くわけではない、それでも生まれる言いようのない不安がリューヤ襲い、足を止めていた。
「リューヤ、すまぬが勇者として、クアモス村で生まれた勇者として王国へ言ってくれ。わしらはおぬしのことをずっと誇りにおもいつづけるじゃろう。疲れればいつでも帰って来ればいい、悩んだらいつでも相談するといい、わしらはずっとこの村にいるでの」
ロージの言葉を胸に、リューヤは再び歩き始めることができた。サーシャの方はすでに別れを済ませていたようで、リューヤの後をついていくだけだった。
リューヤとサーシャが見えなくなった、クアモス村で大人たちは全員一斉にため息をついていた。それにはリューヤの両親も含まれており、当然ロージもいた。
「やっといったか。………これでよかったんじゃ」
そう自分に、まわりにいる者達に言い聞かせる。ことはうまく運んでいた。それはもうロージが想定した以上に。その日の夜村は小さなお祭り騒ぎだったという、名目上は勇者誕生の宴、真実は勇者作戦成功の宴。
夜通し行われた宴は、クアモス村に夜を与えず村の中心で燃える火は朝になっても消えず、そのまわりでは良い潰れた大人達が酔いつぶれて寝転がっていた。先の見えなくなったこの村の未来に光が差し込み、それゆえに感じた安心感で全員が気を緩めていた。その日はいつもは夜を迎えない村はずれの小屋のような家には灯りがついていなかった。