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ストレス

作者: 上地貴文

バブルの頃だから、二十年ぐらい前の話。


新卒で入社したのは外資系のIT企業で、ぼくたち営業の給料は完全なコミッション制、つまり歩合給だった。売れたら青天井で給料が増えた。売れなければ、収入はアルバイト以下だろうというぐらいの悲惨な額になった。


会社だって、ただ金を社員にばらまくわけではない。コミッションをもらうためには馬鹿みたいに大きなノルマを達成する必要があった。


ぼくたちはがむしゃらに働いた。みんな生活がかかっている。毎日夜遅くまで会社に残り、終電に乗れずにタクシーで帰るのは普通だった。


営業活動の最後は、顧客に必要もない商品を無理やり押し込むことだった。それが限界に達すると、代理店に頭を下げて、いつ売れるかあてのない品を大量に在庫してもらった。


必ず後にクレームとなって仕事を増やすことになるのだが、そんなことは考えていられない。そうでもしないと、ノルマは達成できなかったからだ。


自分を信頼してくれる顧客や代理店を結果的に裏切ることになったのはつらかった。優しかった彼らの顔がみるみるうちに鬼のような怒りの形相に変わっていくのを何度も見た。でも、やるしかなかった。それが仕事なのだ。


売り上げが伸びるにつれて、ぼくの収入は増えた。絶頂時には他社の同年代社員の倍以上は稼いでいたと思う。


働き過ぎて金を使う暇もなかったと言いたいところだが、実は結構使っていた。


酒は毎日のように飲みに行ったし、車、旅行、通えるあてのない英会話教室、洋服などに際限なく金をつぎこんだ。何かが欲しいと言うよりは、とにかく金を使いたかった。使わずにいられなかった。使わないと気持ちが楽にならなかったからだ。


そんなぼくをいつも冷笑していたのが同期入社の彼だった。彼は金を使わずにひたすら貯めこんだ。ある程度貯まると、「ほら、こんなに貯まったぞ」と預金通帳を見せに来た。本当に嫌味な奴だった。


彼は車を買わず、旅行に行かず、服や靴にも金をかけなかった。まさに貯金が生きがいの男。そんなに貯めてどうするのだと尋ねると、いつかでかい家を建てるのだと言って、ニヤリと笑った。


ぼくたちは新入社員の頃から同期入社の仲間でつるんで、よく遊んでいたが、彼は全く参加しなかった。そのくせ上司や先輩などとはよく飲みに行っていたので、ぼくたちからの評判は悪かった。


彼は新入社員でぶっちぎりの営業成績を上げた。ただし、営業のやり方は極悪非道で顧客や代理店を泣かせるものだった。先輩の悪いところばかりをまねたのだ。何が起きても責任を取らない彼のスタイルはまさに焼畑農業で、彼の行く後には焼け野原が広がった。ぼくたちが後始末に駆り出されたのは一度や二度ではない。


普通に考えれば彼は懲罰ものだろうが、それが違った。逆に同期で一番早く主任になり、そして二十代のうちに課長になった。その会社では売上が上がり、上司の評価が高ければ、社内外の評判が悪くても出世できたのである。これは外資系の場合、よくある話のようだった。


相変わらず、彼はポジションが上がるたびにぼくへ預金通帳を見せに来た。そして「××に家が建てられそうだな」と都心の高級住宅地の名を挙げた。その場所は彼の出世と共にグレードアップしていった。


ぼくは三十を少し超えた時、縁あって、日本の企業に転職した。給料は固定給となり年収は減ったが、逆に貯金が増えた。以前のように馬鹿な浪費もしなくなった。そこでぼくは同じ職場の女性と結婚して子供ができた。


元の会社では、貯金好きの彼は相変わらず独身で上司に媚び、客を泣かせ、部下をいじめ倒しつつ、出世街道をばく進していった。相変わらずドケチで金を使わなかったそうだったから、貯金も相当貯まったはずだった。


「結局、あいつ家は買ったの?」


ぼくが尋ねると、まだ元の会社で働く彼は首を横に振った。


久しぶりに昔の会社の同期で集まった。ぼくをはじめとして転職した者も多いが、顔を合わせると、まるで新入社員の頃に戻ったような気がするから不思議だ。ただ、あの頃と違うのは全員が喪服姿だったことである。


貯金好きの彼は本部長の椅子を目前にしたある日、脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になった。ストレス性の病気だったらしい。年齢はぼくと同じで四十代半ば。そして彼は独身だった。


今日は皆で彼の通夜に来ているのだ。遺影に写った彼は、昔の姿とは似ても似つかぬ太りようだった。遺体の顔も見たが、顔色はどす黒く、表情も険しくて、とても安らかな眠りとは言えなかった。


それにしても、と思った。社会的に地位がある男のはずなのに通夜は閑散としていた。参列者が少なすぎたのである。彼がまわりからどう思われていたかは一目瞭然だった。


式の後に飲みに行った。同期の葬儀の後なのに誰も悲しまず、普通の飲み会になった。


「あの会社で稼いだ金は、使っちゃって正解だったんだよ、きっと」


ぼくと同じく、若い頃に浪費を重ねた男がしみじみと言った。みんな、うなずく。


「ストレスと共に稼いだ金はストレスと共に出て行くって、聞いたことあるぜ」


うまいこと言うなと思った。たぶんそれは正しい。金と一緒にストレスを流した我々は生き残り、金もストレスを溜め込んだ彼は早死にした。


この歳になったからわかる。金には色も名前もついていないと言うが、それは嘘だ。色も金もついている。不自然な稼ぎ方をした金は、持っていると違和感がつきまとう。その金を使ってしまわないと落ち着かないのだ。使った後に何ともホッとしたことを今でも思い出す。


ぼくは現在、固定給だが、金を稼ぐのに無理や嫌な思いをしていないので、普通に貯金ができている。貯金好きの彼は、心身に負担をかけ、顧客や代理店の恨みつらみを浴びた金を貯め込むには相当なストレスがかかっただろう。結局、金が彼を殺したと言っていい。


彼は都心一等地の大きな家を夢見ていたが、結局果たせずに死んでいった。


「あいつ、あの世で家を建てるのかなあ?」


何回かそんな話題になった。だけど、飲み会の最後まで、誰も天国という言葉は口にしなかった。 

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