第六話 老紳士と鬼書
その客が店を訪れたのは、陽が暮れようとしていた頃だった。
この世界では珍しく背広を来た老紳士は、帽子を脱ぐと軽く私に会釈する。右手には風呂敷袋を持っていた。
「いらっしゃいませ」
私は老紳士に声を掛ける。
「こんばんは、お嬢さん。伊織殿はご在宅かな?」
どうやらこのお客さんは、伊織さんの知り合いみたいだ。
「伊織は今席を外してまして、代わりに私が承りますが」
いつの間にか後ろに立っていたサス君が、私に代わって応対する。いつもより雰囲気が固い気がした。少し緊張しているのかな。サス君にしては珍しい。
邪魔にならないように、サス君たちから離れる。
離れた私を、あやかしの子供たちが呼ぶ。漫画を買いに来ていたあの子たちだ。あれから頻繁に遊びに来ては、色々なことを教えてくれた。兔月堂の饅頭の美味しさを教えてくれたのも、この子たちだった。
「鑑定に来てるんだよ、たぶん」
一つ目の子、廉が顔を近付けてくる。
「鑑定?」
自然とひそひそ話になる。
「うん、そう。たまにあるみたいだよ」
髪の毛が蛇の子、小太が続ける。犬の顔をした子、刀牙も頷く。刀牙君はいつもフサフサで良い毛艶だ。頭撫でたいな。そんな事を思ってると、
「顔ちけーよ、お前ら!! 睦月、お前そんなことも知らねーのかよ」
鬼の子、桂が悪態を吐く。それを見て、他の子たちはまたかと溜め息を吐いた。
「知らないから聞いてるんじゃない」
言い返す。すると、悔しそうに桂は黙り込んだ。
「(あ~~ほんと、学習しないよな)あのお爺さんが持って来たのは、鬼書じゃないかな」
桂の代わりに答えたのは刀牙だった。
「キショ?」
「(桂らしいけど)鬼の本って書いて、鬼書。鬼が宿った本のことだよ」
廉が続けた。
「鬼が宿った?」
「(子供だよね)うん。正確に言えば、思念が変わったものもあるけどね」
小太が続ける。
(思念? 変わったもの?)
「悪鬼っていう魔物を本の中に閉じ込められたやつと、人間が書いた地獄絵図にしみ込んだ思念が鬼になったやつの、二種類があるんだよ」
桂が補足してくれる。
「……地獄絵図?」
「そんなことも知らねーのかよ」
呆れる桂の頭を廉が軽く叩く。
普通の女子中学生は地獄絵図なんて身近にない。歴史の教科書に載ってるかどうかのレベルだよ。何となく想像は出来るけどね。今度はムスッとした私が黙り込む。
「(学習しようよ、マジで)口が悪いよ、桂。睦月は常世の出身じゃないんだから、僕たちの常識は通じないよ」
「あぁ!! 地獄絵図は人間界のものじゃねーのかよ」
「そうだけど……」
桂が一方的に廉に突っ掛かる。ざすがの廉もムカッときたのか、取っ組み合いの喧嘩に発展しそうだった。私は慌てて気を反らせる。
「ちょっと待って。地獄絵図って、確か、針の山とかの地獄の刑を想像して描いたものだよね」
そう言うと、桂と廉は顔を見合わせ軽く溜め息を吐いた。何で?
「想像で描いたものは、鬼にならないよ」
廉が答えた。
(そうなの?)
「例えば、処刑場の様子とか、地獄の刑を現実にやって、それを見て描いたものを地獄絵図っていうんだよ。絵の具に被害者の血を混ぜて描いたものが多いよ」
小太が教えてくれる。
「昔は写真とかなかったからな」
(処刑場!? 地獄の刑を再現!? 絵の具に血を混ぜた!!)
人間の残酷さに寒気がする。軽く吐き気がした。
昔は冤罪が多かったって、図書館の本で読んだ事がある。処刑された者の中には、無実の罪で処刑された者もいたと思う。怨念がこもるのも理解出来た。ましてや、地獄の刑を再現なんて、考えるだけで血の気が引く。鬼書に変化するのも分かるよ。分かりたくないけど。
同時に、私はこういう話を淡々とする子供たちに驚きを隠せなかった。でも、気味悪いとは感じなかった。彼らは私より幼く見えるのに、実際は私より大人びている所がある。素直にそう思えた。それは、色々な事を知っているからかもしれない。
桂たちが言うには、そういった書には怨念が溜まり、やがて一つの人格を持つことがあるそうだ。
それが〈鬼書〉である。
そして、そうした本は意志を持っているので、人間界に置いとくと危険らしく、回収しては、鑑定に持って来るそうだ。
「グルル……すっごく、嫌な匂いがする」
刀牙がマズルに皺を寄せながら言った。
自然と私たちの視線が老紳士の持つ風呂敷袋に集まる。刀牙が放った言葉のせいか分からないが、周りの温度が一度下がった気がした。
老紳士はサス君としばらく話をしていたが、終わったのか、サス君に風呂敷袋を渡した。そして軽く会釈すると、店を出て行く。
サス君は老紳士を見送ると、そのまま私たちの側まで来た。手には風呂敷袋を持ったままだ。何か迷っているようだった。
「……どうしたの?」
私はサス君に尋ねる。その隣で刀牙が低く唸っている。それを見たサス君は溜め息を吐くと言った。
「……睦月さん。これを奥の部屋に持って行くので、少しの間留守番を頼めますか? くれぐれも、外に出たら駄目ですよ」
サス君は何度も私に釘をさすと、風呂敷袋を奥の部屋に持って行った。
奥の部屋は伊織さんとサス君しか入れない。小町さんでさえ入室を認めてられていない。私がドアに近寄るだけでも怒られる。あの部屋には、そういった危ない本が集められてるのだろう。怒られる理由が分かった。
「……過保護だね」
呆れたように廉が言った。他の子たちもうんうんと頷く。
「私もそう思う」
苦笑いを浮かべながら答えた時だった。いきなり、背後から声がしたのは。
「私は、サスケ殿の気持ちは分かるがね」
心臓が飛び出そうな程びっくりした私は、慌てて後ろを振り返ると、派手な音をたてながら立ち上がった。子供たちも唖然としている。気配を一切感じなかったみたいだ。
私たちの目の前には、さっき帰った筈の老紳士が笑みを浮かべ立っていた。
老紳士は一歩前に出る。机に邪魔され下がれない私は、自然と老紳士との距離が狭まった。老紳士は私の顔を覗き込む。
「なるほど……あやつらが騒ぐのも分かる。君は強く引き継いでいるようだ」
(あやつら……引き継いでいる?)
老紳士の発した台詞の意味が全く理解出来なかった。
「いずれ分かる時が来る。そう遠くない未来に……」
まるで私の心を読んだかのように、老紳士は答えた。そして一歩下がると、かき消すかのように姿を消した。
私は腰を抜かし、その場に力なく座り込んだ。子供たちの私を呼ぶ声が店内に響いた。
老紳士は一歩下がる時、私の耳元で囁いた。「シンラ……」と。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。これからも頑張って書いていくので、応援宜しくお願いします。