第四話 心優しきあやかしたち
小町さんと陣さんのお許しが出たのは、立ちくらみを起こしてから三日後だった。
私は小町さんが用意してくれた服を着る。あつらえたように、私の体にぴったりだった。
部屋を出て、リビングに顔を出す。この時間、いつもならリビングにいる小町さんの姿が見えない。私は階段を下りて、一階の店舗に向かった。
「おはようございます」
「おはよう、睦月ちゃん。ご飯ならテーブルの上に用意してるから食べて。一緒に食べれなくてごめんね」
段ボールを抱えながら、小町さんは忙しなく店内を動き回っていた。忙しそうでご飯どころじゃなさそうだ。
「……何か手伝いましょうか?」
私がそう声を掛けた時だった。ドンドンとドアを叩く音がした。外が騒がしい。甲高い子供の声が聞こえてくる。とうやら数人で来ているようだ。
「……来たかぁ」
小町さんは頭を抱えると溜め息を軽くついた。そして、木製のドアを乱暴に開ける。
「開店時間まで待ってなさい!!」
子供たちを一喝する。
さすが鬼。声の大きさとあまりの迫力に、怒られたのは私じゃないのにビクッと身を竦ませる。
だが子供たちは、別に怖がる様子もなく隙間をぬって店内になだれ込んで来た。
「こらっ!!」
小町さんは子供たちを叱りつける。
その声に慣れている子供たちは、店内を自由に走り回っていた。子供の一人が私に気付くと、わらわらと全員集まって来る。そして私の前に立つと見上げてきた。
(ひっ!!)
瞬間、思わず悲鳴を上げそうになった。
一つ目の子。鬼の子。顔が犬の子。髪の毛が蛇になっている子。始めてみるあやかしらしい、あやかしだった。
「お前、人間かぁ?」
鬼の子が尋ねる。
「違うよ。魔法使いだよ」
一つ目の子が鬼の子に言う。
(魔法使い?)
「こんなちっちゃい魔法使いなんているもんか!!」
鬼の子が言い放つ。それが合図のように、鬼の子と一つ目の子が取っ組み合いの喧嘩をはじめた。つられるように、他の子も参戦する。
「小町さん!!」
慌てて小町さんに助けを求めた。
「大丈夫ですよ。睦月」
代わりに答えてくれたのは小町さんではなく、小町さんより低い、大人の男性だった。大きな手が私の頭を撫でる。
子供たちが男の名前を呼びながらしがみついている。
「この子たちを見て、よく悲鳴を上げませんでしたね」
男は微笑みながら誉める。誉められて嬉しかった。
「……伊織さん?」
名前を呼ばれた男は、嬉しそうに微笑んでいる。
「ただいま、睦月」
「……お帰りなさい」
慣れない言葉に、なんかむず痒さを感じる。
「私には何も言うことはないのかな?」
いつの間にか横に立っていた小町さんの顔を見た瞬間、私はまたしても声にならない悲鳴を上げた。
「小町、睦月が固まってる」
苦笑しながらそう言うと、小町さんが持っていた漫画の雑誌を子供たちに渡した。
子供たちはそれを嬉しそうに受け取ると、今まで喧嘩をしていた事など忘れて、お金を置いて皆で仲良く店を出て行った。
伊織さんはそれを見送ると、小町さんに何事もなかったかのように告げる。
「小町、後もう少し頼むね」
「…………」
黙り込む小町さん。
私でもそれがどういう意味か分かる。何も言わず見上げる私に、伊織さんはもう一度微笑み掛けると頭を撫でてくれた。その手の温もりは、不思議と心地好く安心出来た。
(安心できるけど……不安になる)
相反した気持ちが私を苛む。苦しくて、思わず胸に手を押し付ける。
伊織さんの言動に心得ているのか、小町さんは軽く溜め息を吐いてから、「しょうがないわね」と答えた。
私と小町さんに軽く手を降ると、伊織さんは店の奥に消えた。そしてその日一日、伊織さんは店の奥から出てこなかった。
伊織さんが帰って来た事。
それは、私がこの世界との離別を意味していた。
ある意味流されて生きてきた私は、この一か月あまり色々な事を考えていた。
考えるのは自分の未来。
皆がいない世界を想像してみる。
想像した途端、身体中の血が冷たくなるのを感じた。冷や汗が吹き出し、手の先が氷のように冷たくなる。想像するのを体が拒否していた。
例え皆の事を忘れてしまっても、確実に失ってしまうもの。
それは……大切な時間。
大切な想い。
大切な人たち。
私はこの一ヶ月間で、人として大切なものを取り戻せた気がする。まだ、それを表に上手く出せない。だけど、これだけは言える。麻痺していた心に、『なんでも本屋』の住人たちが、新たな血液を流してくれたって。
それは血の繋がった家族ではなく、頭に角をはやした鬼の兄妹。そして……この場所を与えてくれた伊織さんだった。
心優しき、あやかしたち。
私の答えはとうに決まっていた。
その日の晩、私は一睡も出来なかった。
眠たい目を擦りながら私がリビングに行くと、伊織さんと陣さんがすでに座っていて、二人で仲良くコーヒーを飲んでいた。
「おはよう、睦月」
「やっと起きたか」
二人は私に向かって声を掛けてくる。
「おはようございます。伊織さん、陣さん」
「睦月ちゃん、おはよう。早く座って」
小町さんがキッチンから顔を覗かせると、テーブルにつくように促した。
でも私は席には着かず、伊織さんと陣さんに向かって深々と頭を下げた。そして、ずっと胸に秘めてた願いを口にする。
「お願いします!! 私をここで働かせてもらえませんか。何でもしますから。お願いします!!」
そう一気に吐き出す。
頭を下げたままの私に、三人の視線が痛いほど突き刺さる。私は顔を上げずに頼み続けた。
例えここで働けなくても、ここに住めなくても、〈人間界〉には戻るつもりは始めからなかった。
元いた世界に戻る事。
それは、私にもう一度死ねという事と同じ意味だ。
日本に戻ることは、正しい事なのかもしれない。それでも……彼らが住むこの世界で、私は生きていきたい。
伊織さんはそんな私を見て、軽く溜め息を吐いた。
「それがどういう意味か……分かったうえで言っているのか、 睦月」
伊織さんの言おうとしている意味は理解出来た。その言葉の重みも。
〈常世〉で生きる。
それは、元いた世界の離別を意味する。
もう二度と日本に戻る事が出来ない。
(それでも……私は)
「分かってます。日本に戻る事が出来なくても、私はこの世界で生きていきたいです」
伊織さんの厳しい視線を受け止めたまま言い切った。
優しい伊織さんたから、困りながらも受け入れてもらえると思っていた。根拠なんてこれっぽっちもなかったのに。
伊織さんの答えは私が希望するものではなかった。
「今、睦月の願いを受け入れることは出来ない」
黙って聞いていた鬼の兄妹が口を挟もうとするのを、伊織さんは許さなかった。
伊織さんに認めてもらえなくても、小町さんたちに味方になってもらえれば、何とかなるかもしれない。そんな甘えが私の中にあったのを、伊織さんは見逃さなかった。
恥ずかしかった。
自分の人生の中で最大の岐路に、他者を巻き込もうとしていたことが、委ねようとしていたことが、どんなに自分勝手なのかを知って、自分の身勝手さに腹が立った。
伊織さんは、私の甘えという狡さを許さなかったのだ。
私は何も言えずに唇を噛み締め俯く。伊織さんはそんな私を見詰めたまま言葉を続けた。
「睦月。あと一か月ここにいても構わない。一か月後、もう一度、睦月の気持ちを聞かせてくれるかな」
(えっ……!?)
私は弾かれたように顔を上げる。
伊織さんは微笑んでいた。小町さんも陣さんも優しい笑みを浮かべ、私を見ている。
私の中で、何か熱いものが込み上げてきた。泣きそうになるのを必死でこらえる。泣きそうになるのを必死でこらえながら、私は「はい!!」とはっきり答えた。
伊織さんたちの優しさに答えるように、与えられた時間、精一杯考えてみよう。
それが、今私が皆に出来る唯一の事だから。
拙い文書を最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。凄く嬉しいです。これからも、宜しくお願いします。