後悔と再会
大広間を出、廊下を少し進んだ所で、唐突に警備の足が止まった。
「…………翔琉」
琉花は連行されている我が子の名前を、ひっそりと小さな声で呼んだ。
俯いていた翔琉は、懐かしいその声にハッと顔を上げる。
まさか。翔琉は幻聴だと思った。でも、僅かな望みを懸けて顔を上げた。声がした方に視線を向ける。
視線の先にいたのは、決して幻覚ではなく、ましてや幻聴でもなく、自分を生んで育ててくれた実の母親だった。そして自分を捨てて、父上と共に里を出て行った女性だった。
「…………母上……」
翔琉は呟くと、視線を逸らせ母親から顔を背ける。そして警備の者に、鋭い声で「早く連れて行け!」と命じた。
翔琉にとって、今の自分の姿は最も見られたくないものだった。
その姿を母親に見られてしまった。情けない自分の姿を……。
これ以上、情けない自分の姿を見られないために、今出来ることは、顔を背け、早くこの場から立ち去ることだけだった。何も言わず、翔琉はその場から離れて行く。
琉花は遠ざかって行く我が子の後ろ姿を、ただ……見送ることしか出来なかった。もう二度と会えないかもしれない我が子に、掛ける言葉が、どうしても琉花には見付からなかったからだ。泣いてその場に崩れることも、琉花には出来なかった。前族長の妻としてのプライドが邪魔をしたわけじゃない。
翔琉がしたことを考えると到底出来なかったのだ。決して許されることはない。それほどの罪を翔琉は犯したのだ。
神獣森羅様の化身を殺そうとした罪ーー。
それは、〈常世〉において最大の禁忌であった。
もし表沙汰になれば、天狗という種族は皆、〈常世〉からいなくなるかもしれない。これは決して大袈裟なことではない。
現に表の文献上には載っていないが、遠い、遠い昔、誤って神獣森羅様の化身を死なせてしまった母と子がいた。事故に近い死だと記述には残っている、
しかし五聖獣は、その親子、そしてその眷属全てを皆処刑した。
その数は口に出来ないほどの、残虐なものだった。それは、決して語られることのない闇の歴史ーー。
錦も伊吹も、その歴史を知っている。勿論、紫もだ。長い時を生き、ある程度以上の身分を持つ者は皆知っている事実である。
だからこそ、おそらく伊吹は、重盛……そして翔琉の罪に、温情はかけないだろう。いや寧ろ、より重い罰を与えるに違いない。
民を守るためにーー。
(……終わったんだ)
翔琉が大広間を出て行き、全てに決着が付いた今、私がここにいる必要はない。
「伊吹。翔琉と重盛の処分はその方に任せる。私は疲れたので部屋に戻る。よいな」
最後まで、私は主らしく演じる。出来るだけ威厳があるように振る舞うが……元が元だけに、威厳があるように見えてるかは疑問だけどね。
伊吹は短く「御意」と答える。
その言葉に頷くと、大広間を出て行こうとした。
その時だった。私は庭園に見知った顔を見付けた。
一瞬、幻かと思った。帰りたいという強い思いが見せた、幻かと。でも違う。私は二人の名前を小さく呟く。
「…………伊織さん……サス君……」
呟きは、大きな声に変わる。私は二人の名前を叫ぶと、足袋のまま庭園に飛び出した。
「睦月」
「睦月さん」
伊織さんとサス君は私の名前を呼ぶ。
私は両手を広げ二人に飛び付いた。伊織さんとサス君は、優しく私を受け止めてくれる。
「お疲れ様、睦月」
優しい、温かい声で、伊織さんは旅の終わりを告げた。
サス君は何も言わず、私の体を強く抱き締める。微かに震えるその体が、どれほど心配かけたのかを物語っていた。
私もサス君の服を強く握る。安堵からか、両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。嗚咽がもれる。私が落ち着くまで、サス君は私を優しく抱き締めてくれた。そして伊織さんは、私の頭を撫でてくれた。
二人の温かみが、私の心にしみて……強張っていた、私の心を解かしていく。
その様子を、錦は安堵の思いで見詰めていた。ひと安心すると、彼は最後の仕上げのために大広間に向かった。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございまたm(__)m




