第二十七話 族長
私が黒劉山に着いた日の深夜だった。
天狗の族長であり栞と茜の父親でもある伊吹が、部屋を密かに訪れた。人目を忍ぶため、敢えてこの時間になったのだろう。
栞と紫さんは部屋の隅に黙って控えている。
伊吹は開口一番、私に対して謝罪の言葉を口にした。
「森羅様。誠に申し訳ありませんでした」
千人は軽く越えるだろう天狗の族長が、僅か十四歳の小娘に対して躊躇することなく頭を深々と下げている。
言い訳を一切せず頭を下げる姿に、驚愕を隠せない。と同時に、ここまで潔い人を、私は今まで見た事がなかった。
彼がしっかり一族を束ねていなかったから、こんな事態が起きた。巻き込まれた私にとって、迷惑でしかない。しかし、頭を下げる伊吹を見て、不思議と怒りは湧いてはこなかった。
「頭を上げて下さい、族長。もう、これ以上の謝罪は必要ありません」
きっぱりと告げる。それは、私の正直な気持ちだった。謝罪はもういい。それよりも、知りたいことが色々あった。
「族長、それよりも知りたいことがあります」
「……知りたいこととは?」
伊吹は頭を上げると、私の視線を受け止め、茶化すことなく訊いてくる。
「白劉都のお祭り騒ぎは何ですか?」
ーー天狗たちは私を誘拐し、殺そうとした。
一部の暴徒が引き起こした事でも、その事が、もし明るみに出たら、かえって困ることになるのは天狗側だ。
なのに何故、伊吹は私がここに来ることを一切隠そうとしなかったのか。
白劉都に来て、一番疑問に思ったことだった。お祭り騒ぎが凄い程、違和感が増してくる。
(でも……そのおかげで、すんなりと黒劉山に侵入出来たんだけど)
「まず、この誘拐を企てたのは、翔琉たちだけではありません。朱雀様も、一枚噛んでらっしゃいます」
(朱雀様が!? 嘘でしょう!!)
予想外の言葉に驚きで言葉が出てこない。まさか、五聖獣の名前がここで出てくるとは思わなかった。
「そうでなければ、伊織殿の結界に太刀打ち出来なかったでしょう。それほどの結界が、本屋の周囲に幾重にも張り巡らされていました。その結界の穴を開けたのが……」
「……あの老紳士」
「その老紳士は死神です。神である者なら、伊織殿の結界も自由に穴を開けることが出来ます。そして、その死神に本屋に行くように促したのが、おそらく、朱雀様です」
私は伊吹の言葉に納得出来た。でも、新たな疑問が生まれる。
「何故、朱雀様が?」
「そのことに関しては、私は明確なことは言えません。ただ言えることは……何らかの意図があったのか、それとも、ただの気まぐれなのか……」
伊吹自身、判断しかねているようだった。
「朱雀様が関わっている以上、我々は身内だけで事を内々に収めることが出来なくなりました。一歩間違えれば、確実に我々天狗族は常世から消え去ります。どう出るか思案していた時でした。白い鳩が舞い降りたのは。白い鳩は貴女様が無事である報せです。そこで私は、一世一代の賭けにでる事に決めました。つまり我々は……森羅様を大々的に宣伝することにしたのです」
「……どういうことですか?」
いまいち、よく分からない。
「神獣森羅様が、この世界においてどういう存在か。貴女様はご存じですか?」
私は小さく頷く。
「翔琉や重盛がどう思おうと、森羅様に何かあった場合、天狗たちは存続の危機に陥る。朱雀様に滅ぼされても文句は言えません。その危機を彼らが認識していれば、森羅様は利用されても、身の危険は回避出来ると、当初考えてました」
私は黙って聞いている。
「だが、彼らはその判断も出来なかった。その結果、森羅様の命は危険に晒されました。もしものために、私は栞に文を持たし、悠里に連絡をとっておりました。……後は、悠里から説明があった通りです。しかし、如何なる理由があったとしても、森羅様を危険に合わせたことに違いありません。白劉都の騒ぎは天狗族を守るためです。森羅様。ご迷惑をおかけした上、このようなお願いは身勝手だと思いますが、我々にご協力していただけませんか」
つまり、こういうことだ。
私と天狗族の友好関係を大々的に宣伝すれば、朱雀様といえども、表立って天狗族に攻撃を加えることは出来ない。伊吹たち幹部は処罰されても、天狗族は生き残る。伊吹はそのために盛大なお祭りを開催することに決めたのだ。
再度、伊吹は頭を下げて私に頼み込む。伊吹だけじゃなかった。栞も紫も頭を下げて頼んだ。畳に額を擦り付けて。
天狗族の未来のためにーー。
そんな彼らを見て、断れる者はいるだろうか……。断れない。私は承諾した。天狗族の、いや違う、栞と茜の未来を守りたいからだ。
そして気付いた。
彼の潔さの裏側には、守るべきものがあったからなんだと。
伊吹は族長として、自分の民を。そこに住まう全ての者を守ろうとした。自分の命より、それが最優先されることなのだ。それは、彼の言葉の端々から伝わってきた。
伊吹は隠すことなく、身を守ろうとすることなく、私に全てを話してくれた。
それが、伊吹なりの誠意なのだろう。
自分が迫害されて育ったからこそ、弱き者を守ることが族長の役割なのだと、伊吹は考えている。一番上に立つ者が、真っ先に自分の保身を考えたなら、伊吹に同調する者は誰一人いなかっただろう。灰色の翼を持つ彼の側には、特に。
だから伊吹は、謝罪の言葉を口にしたが、茜のことは一切口にしなかった。
伊吹にとって、叔父である翔琉に騙されたとはいえ、茜は民を危険な目に遭わせたうちの一人なのだ。私が許したとしても、茜の罪が消えることはない。
伊吹は父親としてよりも、族長として接しなければならないのだ。辛いと思う。伊吹の苦悩を考えると、私は胸が痛くなった。だから私も、敢えて茜のことは口にしなかった。
私は先を促す。
「……それで、これからどうするんですか?」
「今朝、翔琉に文を書かせました。重盛に子細を聞きたいので戻って来るようにと」
伊吹の言葉に緊張が走る。私は思わず俯き、膝にのせていた手を握り込んだ。伊吹はそんな私の様子を静かに見詰めている。
「…………いつ、重盛はここに?」
乾いた声で尋ねた。
「休むことなく移動して、早ければ三日後には着くでしょう」
伊吹は躊躇することなく、そう答えた。
ーー最終決戦は、三日後だ。
伊吹は廊下の途中で不意に立ち止まると、庭園の方を向いた。
紫は伊吹の隣に立つと、自分の息子の横顔を下から見詰める。その目は、とても穏やかで温かい。
「栞の言う通りでした。あの御方は真理を見抜く目をお持ちのようだ。私が茜の名前を出さない理由を分かっているようでした。分かったうえで、敢えて出さなかった。あの年で……。怖いくらいだ。どのような育ち方をなさったのか……」
伊吹は静かな声で紫に問い掛ける。
「それは分かりませんが……決して、楽な生き方ではなかったでしょう。でもかえってそれが、あの御方を強くなされた。私はそう思うのです。そしておそらく、今も強くありたいと願っているのだと思います」
紫は庭園を見つめながら、そう語った。その顔は慈愛に満ちた、母親としての顔そのものだった。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございましたm(__)m




