第十五話 化身
「えっ……私……?」
悠里の意外な言葉に、私訊き返す。
「ああ、そうだ。睦月、お前なら、茜を助けることが出来るかもしれない」
私は悠里が何を言おうとしているのかが、全く分からなかった。
「どういう意味?」
「神獣森羅は、〈理〉そのものだと知ってるよな」
私は頷く。サス君から聞いている。
「〈理〉の尤も根本的なものは何か知ってるか。……それは、生と死だ」
悠里は言葉をかみ砕いて、私に分かりやすく説明してくれる。
「神獣森羅が〈理〉そのものなら、〈理〉に縛られることはない。つまり簡単にいえば、死にかけた者の魂を、生の世界へと引き戻せることが出来るということだ。〈理〉に反してな。分かるか?」
(……死にかけた者の魂を呼び戻す)
悠里が言おうとしていることが、ようやく理解出来た。
何故なら、私が一度その身で体験しているからだ。体験したからといって、それが出来るなんて思ってもいない。そもそも、魔法使いだとしても、普通の人間に出来るわけないでしょ。
「悠里の言いたいことは分かるよ。でも……私は神獣森羅様、本人じゃない。魔法だって使えないし、そんな力も持ってないよ」
勿論、否定した。
「持っていないと思っているだけだ。前の神獣森羅の化身はかなりの使い手だったと聞いてる」
伊織さんの事だ。伊織さんなら、あり得る話かもしれない。とても凄い魔法使いだから。夢の中でしかあった事のない人で、一度しかあった事がないけど。
神獣森羅様の化身の事は、伊織さんは一切口にしなかったが、私は彼女の中に似た何かを感じていた。
悠里が称賛するように、伊織さんは本当に凄い人なんだと思う。でも私は……。伊織さんとは違う。何も出来ないただの人間だ。魔法使いだけど。でも……ただそれだけだ。もし、私にそんな力があったら、あの時、私は重盛を間違いなく倒してた。茜が今こうして、死の淵に立つこともなかった筈。栞が辛くて泣くこともなかった。私に力さえあればーー。
黙ってしまった私に、悠里は苛立ちを見せる。
「このまま何もしなければ、間違いなく茜は死ぬぞ!!」
(……茜が死ぬ……茜が……)
私の頭の中で悠里の言葉が繰り返し響いた。私は下唇を噛み締める。考える時間はなかった。この場で即決しなければならない。私は目を閉じる。
(茜を死なせたくない!! 茜をこのまま失うのは、絶対嫌!!)
心が悲鳴を上げる。
そして、あるかもしれないわずかな可能性を無視して、大切な人を失うのは、もっと嫌だ!! なら、やるしかない。
答えは決まった。後は、自分を信じるだけだ。それが一番難しいけど。それでも決めた。
私は目を開けると膝を付く。
「……やってみる。でも、どうすればいいの?」
悠里と栞を見上げる。
栞は何も言わずに私を見詰めている。その目は明らかに揺らいでいた。しかし悠里は、答えるより前に栞の方を向くと一言言い放った。
「その前に、お前は部屋から出ろ」と。
有無を言わせない強い口調だった。
(何で栞を部屋から追い出すの!?)
私は信じられない思いで悠里の顔を凝視する。何故悠里が、そんなことを言ったのかは分からない。だが、あんまりな言い方に反論しようとした時だった。
「理由は自分がよく分かってるだろ」
悠里は感情がこもらない、冷たい声で告げた。栞は表情を崩し悠里を睨み付けたが、反論はせずに部屋から出て行く。
「悠里!!」
私は咎めるように悠里の名前を呼んだ。しかし悠里は無視すると、反対に私を咎めた。
「今は茜のことに神経を集中させろ。いいか、まずは茜の手を握れ。そして、想像するんだ。茜が元気なところを。強くな。魔法や法力、霊力の原動力は想像力と強い思いだ」
そうだ。今は茜の方を優先すべき。一刻を争うんだから。
悠里の言う通り、茜の手を強く握り締めた。
そして、想像する。
茜の元気な姿を。
一緒に、もっと色んなことを話したい。私は心から祈った。お願い!! 戻ってきて!! 必死に呼び掛ける。でも何も起きない。
(私は……何も出来ないの……やっぱり無理なの…………)
自分が無力だと痛感する。それでも私は、歯を食いしばり崩れそうな気持ちを踏み止める。
どうしてもここで諦めるわけにはいかなかった。栞のためにも、そして自分のためにも。茜の帰りを待っているだろう人のためにも。私はここで茜の手を離すわけにはいかないのだ。
(お願い!! もし私に力があるなら、私は茜を助けたい!!)
心の中で叫んだ時だった。不意にどこからか声が聞こえて来た。『大丈夫』と。
聞こえた瞬間だった。
体がもの凄く熱くなった。今までと何かが違う!! 私は必死で心の中で茜の名前を呼び続ける。夢中だった。時間の感覚が分からない。それでも私は呼び続けた。次第に体の感覚がなくなってくる。
あまりにも夢中になっていたのだろう。悠里が私を呼ぶ声が全く聞こえなかった。何度呼んでも手を離さない私を、悠里は後ろから抱き締めると、私の手に自分の手を被せる。注意がそれた私の耳元で悠里が言った。
「もう大丈夫だ。よく頑張ったな、睦月」
大丈夫……。今、大丈夫って言ったの……。私は気付く。握り締めていた茜の手に体温が戻っていたことに。
安堵からなのか、体に力が入らない。崩れそうになる体を、悠里が後ろから支えていた。
「ありがとう」と悠里に言い掛けた時だ。私は急に咳き込んだ。苦しい。なかなか咳が治まらない。口元に手を当てた時、私は掌に血がべっとりと付いていた。
「睦月!!!!」
悠里の声が聞こえる。焦ったような声だ。でもその声が、だんだん遠くに聞こえてくるよ。何でかな……。
『……頑張ったね、睦月ちゃん』
その声に目を開けると、伊織さんが私を見下ろしていた。
大木の根元に私は寝かされている。それも伊織さんの膝枕で。額には濡れたハンカチが置かれていた。私は微笑む。
『……あの声は、伊織さんだったんだね』
伊織さんはにっこりと微笑んだ。
『どうして、ここにまた来れたの?』
『睦月ちゃんの魂に刻まれたから。この場所がね』
伊織さんの言っている意味は正直よく分からなかったけど、今はそれでもいいかなと私は思った。深く考えたくなかったからだ。
だって、風がとっても気持ち良かったから……。気持ち良くて目を閉じる私に、伊織さんは告げた。
『睦月ちゃん、これだけは忘れないで。力を間違って使ったら駄目だよ。絶対に。一度でも自分のために使ったら、力に飲み込まれてしまうから、忘れないで』
伊織さんの言葉に、固い声に、私は閉じかけていた目を開けた。伊織さんは真剣な顔をしている。
伊織さんが放った言葉は、私の胸に深く突き刺さった。これは大事なことなんだ。同じ神獣森羅様の化身である伊織さんの忠告。
私はその思いに応える。『うん。絶対忘れない』と答えた。
伊織さんはにこっと笑うと、私の頭を撫でてくれた。その手の感触が気持ち良くて、私はいつの間にか眠ってしまった。
『大丈夫。もう苦しくないからね、睦月ちゃん。今はゆっくり寝てて。…………睦月ちゃん、私ね。ずっと……貴女に会えるのを長い間待ってたんだよ』
眠ってしまった私に、その声は届かなかった。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。これからも頑張って書いていきますので、応援宜しくお願いします。




