第十三話 海賊船
何の前触れもなく、急に伊織さんの姿がぼやけてくる。同時に、声もノイズが掛かったような状態で聞こえにくくなった。
少しでも伝わるように、伊織さんは大きく口を動かす。
途切れ途切れで聞こえていたのに、ノイズの音が大きくなったせいで、何を言っているのか……殆ど聞き取れない。
『伊織さん!!』
必死で名前を叫んだ。
伊織さんともっと話をしたかった。知りたいことが、まだまだ山程あるのだ。知らなければならないことも。
ーーそれなのに!!
願いは無情にも叶わない。
(待って、お願い!!)
そう願った時だった。伊織さんの口がまた動いた。私にでも分かるように、ゆっくりと……。彼女は言った。『大丈夫』と。
『また来るから!! 絶対に来るから!!』
来れるかどうか分からない。それでも、私は大声で叫んだ。伊織さんに届くことを信じてーー。
伊織さんの姿が完全に見えなくなった瞬間、私の周りは真っ暗な闇に覆われていた。
音も全くない静寂な世界。
自分一人しかいない。その思いが私は恐怖に落とした。
その時だった。私の名前を呼ぶ声が幽かに聞こえてきたのは。私は暗闇の中で、幽かな光を確かに感じとった。
声がする方向に体を向ける。すると、はっきりと私の耳に声が届いた。
私は静寂な世界から逃げるために、必死で手を伸ばす。
「睦月様!!」
私は身を乗り出し、手を伸ばした。
すると、不思議な事に、私を呼ぶ声が徐々に大きくなっていった。
その声は、私の名前を何度も繰り返し呼んでいた。必死で。
心配する声で呼んでいるのが誰か分かった。
その瞬間、光が目の前で弾け私を包み込んだ。何故か温かかった……すっごく、温かかったんだ。
「……様!! 睦月様!!」
うっすらと目を開けると、光に導いてくれた人の名前を呼んだ。「……栞」と。
栞は泣きそうな顔で私を見下ろしていた。私は栞を安心させるために、微笑みながら……もう一度栞の名前を呼んだ。
「……栞、ただいま」
栞の張り詰めた緊張が解けたのか、栞の目から大きな涙があふれ出てくる。
私を思って涙を流してくれるこの人を、私は初めて護りたいと思った。
この世界に来て、私はずっと……色々な人に護られてここまできた。護られてばっかりだった。
初めて誰かを護りたいと思った時、いかにその人が大切な存在かに気付く。そして反対に護られた時、私はその人にとって、誠実で、大切な存在でありたいと願った。
「栞、ありがとう」
私は泣き止まない栞の頬に手を添える。栞はその手を掴むと強く握り返した。温かい体温が伝わる。
「よかった……本当に無事でよかった……」
栞は胸の内を吐き出すように、何度も、何度も同じ言葉を繰り返す。
その間もずっと、栞は掴んだ手を離さず握り締めていた。
強く握られていたその手を、私は振りほどけなかった。栞が落ち着くまで、私はそのままでいようと思っていた。
だが、その空気は直ぐに破られた。
「いつまでも続くのかな? そろそろ終わりにしてくんないかな、二人とも」
呆れた男の声がする。その時になって私は、この場に私たち以外の人物がいることを知った。
男に言われたからか、栞は私の手を離すと一歩下がった。袖口で乱暴に自分の目元を拭っている。
私は上半身を起こして気付いた。自分がベッドの上に寝かされていたことに。
サス君は枕元で丸くなって寝ている。ぴくりとも動かない。心配になって、サス君の背中を撫でる。温かいその体に、ホッと胸を撫で下ろす。
同時に、私を観察する、嫌違う……値踏みするような男の視線を感じていた。私は気付いていない振りをしつつ顔を上げる。
「大丈夫ですか? 目眩とかしませんか?」
栞が尋ねてくる。
「ありがとう。大丈夫」
栞にそう答えながら、目線は横にいる男から離さなかった。
男は机に座ると私たちを見ていた。
ラフな格好を更に着崩している。でもそれがかえって男の魅力をあげていた。
今まで、常世で出会ったどの人たちとも違う感じの人だ。もといた世界でも彼のような人はいなかった。
一見華奢に見えるが、隙のない感じが男からする。それでいて妙に人を惹き付ける、色気っていうのかな、それがある人だった。反対にその目は刃物のように鋭く、とても澄んでいる。
私はこんなに澄んだ目をした人は見たことがなかった。
常世に住む人は澄んだ目をした人が多い。伊織さんもサス君も、皆澄んだ目をしている。
何で、そんな澄んだ目が出来るんだろう。ずっと不思議に思っていた。却って長い間生きてると、こんなに澄んだ目になるのかもしれない。
しかし目の前の男の目は、その中でも特に澄んでいた。
今までくすんだ目を見続けてきたから……澄んだ目に気付けるのだと思う。日本にいた時、回りにいた人の殆どがくすんでいた。中でも、一番酷かったのは私だけどね……。
男から目を離せない。
そんな私を見て、男はニヤリと笑った。その笑い方も様になっている。彼は自分をよく知っている人だと思った。見せ方も、自分の力量も。
私は男に尋ねる。
「貴方は、族長の知り合いですか?」と。
「……どうしてそう思う?」
私の言葉が意外だったのだろう。男は反対に私に訊き返してきた。
その目は、真っ直ぐ私を捕らえている。まるで私の心を見透かすようだったが、私は敢えて男から視線を外さなかった。それも、男にとっては意外だったようだ。男の目にわずかな感情が動いたような気がした。
「もし貴方が敵なら、栞とサス君が黙っていない。絶対に。それに、敵ならベッドに寝かされていないでしょ。恐らく、牢屋か汚い部屋に閉じ込められているんじゃない? 私をどうにかする機会はいくらでもあったし……それを貴方は何もしなかった」
「だから、俺が敵ではないと?」
私は頷く。
「私は貴方を敵だと思わない。それに……貴方は信用できる人だと思う」
私の台詞に男は可笑しそうに笑った。
「俺が何者か知っても、同じことが言えるのか?」
私はまた頷く。
「貴方が何者でも信用出来る。だって、貴方の目はくすんでいない」
きっぱりと言い切った私を見て、男は目を見開く。驚きを隠せないでいる。しかしそれはほんの一瞬で、次の瞬間には腹を抱えて笑いだした。
(何がおかしいの? 変なことを言ったかな?)
首を傾げる。栞は黙って、私たちの成り行きを見ていた。
何故男がそこまで笑うのか、その理由が全く分からなかった。
「こんなおかしな女、見たことがない。俺の名は悠里だ。空賊を生業としている。だが勘違いするな。俺が狙うのは貴族の帆船だけだ。覚えとけ」
悠里と名乗ったその男は、腹を抱えて笑いながら告げた。族長との事は否定しない。つまりそれは、肯定って意味だ。
「…………空賊」
(……私たちが今乗ってるのは海賊船のようね。それも、空賊の帆船。そして恐らく、悠里という男が空賊の頭)
そして悠里は義賊なのだろうと、私は思った。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。これからも一生懸命書いていきますので、応援宜しくお願いします。




