謀反
食事が終わった後、苦悶にみちた表情を浮かべながら錦がこう切り出した。
「…………すまない」と。
それは、謝罪の言葉から始まった。
「今回の件は、俺の息子翔琉が、兄、伊吹を追い落とす為に起こした謀反だ。睦月はそれに利用された。全ての責めはーー」
自分にある。そう錦が続けようとしたが、途中でそれを遮る者がいた。
「いいえ!! 違います!!」
重里だった。錦の言葉を遮るように、重里が声を張り上げる。甲板にいた伊織とサスケを呼びに来た少年だった。重里は続ける。
「錦様は悪くありません!! 悪いのは、弟の重盛です!! 重盛が翔琉様を唆したのです」
「それは違うわ、重里。悪いのは全部私。私の育て方が悪かったから、翔琉は利己主義な子に育ってしまった……」
さっきまでの威勢のよさは消え、今の彼女は弱々しく、そして小さく見えた。
「……琉花様」
頭を垂れる琉花に、重里はそれ以上言葉が続かない。三人は押し黙ってしまう。何とも言えない重い空気が漂う。だが、それは三人の周囲だけだ。
反対に伊織とサスケは苛々が増していた。
「いい加減にしてくれませんか。貴方方が責任の擦り合いをしたところで、睦月が無事に戻ってくる保証はどこにもないんですよ」
感情がこもらない声で伊織は静かに言い放つ。
今度は違う意味で、三人は言葉を失った。
静かに、だが深く、伊織とサスケは憤慨していた。その怒りは既に沸点を越えている。暴れ出さないだけ誉めて欲しい。
「俺たちは誰が裏で糸を引いていたとか、関係ないんだ。もし睦月さんに何かあったら、俺はお前たちをただではおかない。それだけの話だ」
サスケは声を荒げることなく、伊織と同様に静かに告げた。
伊織とサスケが本気になったら、黒劉山は間違いなく崩壊する。そして天狗は間違いなく滅ぼされ、この世界から完全に消えてしまうだろう。普段はおくびにも出さないが、それだけの力が彼らにはある。
錦は彼らが本気だということが、長い付き合いから分かっていた。突き付けられた現実に、思わず唾を飲み込む。嫌な汗が吹き出して止まらない。
先代とはいえ、天狗の族長だった者の様に琉花と重里は言葉をなくす。
サスケたちの迫力に錦たちは押し黙る。息子たちは、最低最悪の相手を完全に敵に回したのだ。
「一つ訊いても構いませんか?」
伊織が錦に尋ねる。
異様に喉が乾き言葉に詰まりながらも、錦は「ああ」と短く答えた。
「神獣森羅様を危険な目に遭わす。その意味を理解した上で、こんな事を仕出かしたのですか? 翔琉は?」
神獣森羅は〈常世〉において、五聖獣に匹敵するほどの影響力を持っている。時には五聖獣を凌駕する事もあった。
理に一番近い位置に存在する神獣森羅は、この世界において最も尊いものであり、神聖なものと認識されている。五聖獣は星読みを各地に置き、その出現を待ちわびていたほどだ。
(その森羅を危険な目に遭わしてまで、族長の地位が欲しいのか? あまりにも、デメリットが高過ぎないか?)
伊織とサスケはそう思えて仕方がなかった。
もしこの事件が明るみに出ても出なくても、神獣森羅の化身を危うくさせた天狗の立場は相当厳しいものになるだろう。「それを理解しているのか」と伊織は尋ねているのだ。サスケもそのことには当初から疑問をもっていた。
「伊吹の翼の色はご存知ですか?」
琉花が口を開く。先代族長の妻として。
(翼の色?)
勿論、伊織とサスケは伊吹のことを覚えていた。
何度か、錦に連れられて本屋に遊びに来ていたからだ。極度の人見知りで、いつも錦の後ろに隠れていた。確か……翼の色は灰色だったと記憶している。
「天狗の優劣が翼の色だということは知っています。しかし、それだけの理由で……」
「貴方方が思うそれだけの理由で、翔琉たちはそこまでしたのです」
琉花は絞り出すような小さい声で、だがはっきりと答えた。
天狗の優劣は、伊織の言う通り翼の色で判断されていた。
漆黒で艶があるほど優れており、反対に色が薄ければ薄いほど劣っていると認識されている。でもそれは迷信に近いもので、実際はそんなことはなかった。
そうでなければ、灰色の翼をもつ伊吹が、猛者が多い天狗たちの族長を務めることは到底出来なかったはずだ。ましてや、長子という理由だけで、錦が伊吹を指名することもなかった。
しかしーー。
現実は、まだまだ厳しいものがあった。
錦はそれを理解したうえで、それでも伊吹なら大丈夫だと判断したのだ。長年近くにいた翔琉も、重盛も、その実力をいずれ理解出来ると錦と琉花は信じていた……。
「伊織様、サスケ様、見て頂けますか」
側に控えていた重里が伊織たちに声を掛ける。
上着を脱いでから変化を解いた重里の背中には、灰色の翼が生えていた。重里は言葉を続ける。
「……重盛は、私を認めることがどうしても出来ませんでした。この姿を見ても分かると思いますが、私は重盛よりも法力の力が強いです。自分よりはるかに劣っていると思っている者が、自分よりも力をもっているーー。その事実が、重盛は耐えられなかったのです。昔から重盛は周囲の者たちに、私と比べられ辛い思いをしていました。おそらく、重盛は自分と翔琉様を重ねているのだと思います」
だから……錦と琉花は悪くないのだと、重里は言った。
「翔琉も重盛も、それに加担した者も、皆いい大人なんだ。誰かのせいで起こしたっていう、責任逃れは出来ない」
黙って聞いていたサスケは、錦たちを見据えるとそう言い放つ。
厳しい言葉の裏に、誰の責任でもないという意図が含まれていたのを、錦たちは感じ取っていた。伊織は黙って聞いている。伊織もサスケと同じ考えだったからだ。
錦はサスケと伊織から視線を逸らせ顔を伏せると、一言「……すまない」と告げた。そして、琉花も重里も顔を伏せ「ありがとう……」「ありがとうございます」と小さな声で告げた。
(それだけが理由じゃないだろう……)
伊織とサスケは錦たちを見ながら考えていた。
主に対して、絶対の主従関係を築くのが天狗であり、それが何よりも幸せだと思っているのが天狗である。
つまりーー。
翔琉と重盛たちは、睦月を主だと思わなかったということだ。神獣森羅様の化身である前に人間である睦月を、彼らは主と認めなかった。理由は明確だ。
翔琉と重盛は人間を蔑んでいたからだ。
常世に住んでいる人間は、伊織を含めると睦月しかいない。
他の人間は五体満足でいるものは少ないし、例え五体満足でいたとしても、精神が壊れてしまった者がほとんどだ。法力や霊力もない。寿命も短い人間は、彼らの中で最も下位の立場なのだ。
だから……翔琉と重盛は、この計画を立てることが出来、実行に移すことが出来た。
そしてその考えが、天狗のいや、常世の常識だと勘違いした。
狭い世界しか知らない彼らが導きだした答えは、下手をすると、仮に謀反が成功したとしても……天狗そのものを失墜させるほどのことを仕出かしたのだ。その認識が彼らにはない。一切ない。認識がない彼らが、その火消しが出来るとは到底思えない。
実は……天狗たちが騒ぎだしてると知った時、伊織とサスケは伊吹について探りをいれていた。どういう人物でどれほどの手腕を持っているか、調べたのだ。
結果、伊吹はかなりの手腕だということを知った。翼の色など関係がないとまで称されるほどだ。
そこに至るまでの苦労を考えると、伊吹の人柄も自然と分かってくる。錦が伊吹を推したのも理解出来た。伊吹なら弟たちが仕出かしたことを収めることが出来るだろう。
無事収めることが出来ても、責任は必ず誰かが負わなければならない。
そうなると……伊吹は首謀者として、実の弟、翔琉と重盛に重い処罰を与えなければならなくなるだろう。どの道、成功してもしなくても、翔琉と重盛の未来は暗いものになることには間違いない。
今まで必死で築き上げてきた、伊吹自身の信用もガタ落ちするだろう。
伊織とサスケがそう考えるくらいだ。
おそらく錦も琉花も、そして重里も、その未来を十分想像出来ただろう。
大切な子供や弟が負うべき未来を思うと、錦や琉花、重里の苦しみ、身を引き裂かれるほどの辛さがひしひしと伝わってくる。大事な者だからこそ、その辛さは計り知れないものに違いない。
だからといって、手を貸すことは絶対に出来ない。もし手を貸せば、天狗全体の信用が失墜し、今まで築き上げてきた全てを失うことになりかねない。それこそ、それは弱き者まで、子供や年寄りにまで及ぶ。かつて族長であったものが、それを許す訳にはいかなかった。
伊織とサスケは睦月のことが大事なのにかわりはない。だが、錦のことも大事なのだ。大切な仲間だと今でも思っている。
だからこそ、苦しむ錦たちにかける言葉を、伊織とサスケはどうしても見付けることが出来なかった。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。これからも、一生懸命書いていきますので、応援宜しくお願いしますm(__)m