動き出した影と書状
黒翼船の墜落の知らせは、睦月様が帆船に保護したという報せが届いてから三週間後、重盛の書状によって、天狗の総本山、黒劉山にもたらされた。
重盛の書状は黒劉山全体を大いに揺るがした。
常世一速い黒翼船の墜落よりも、待ちに待った主が行方不明という内容に黒劉山は揺れた。
重盛の書状には、黒翼船の動力装置が原因不明の不具合が起き、帆船の周囲の結界が解除された事。その時甲板に出ていた睦月様をはじめ、睦月様を助ける為に栞、茜も共に落下し、行方不明だという事がしたためられていた。
そして黒翼船は朱王都の外れ、辺境の地、赤砂漠に不時着したとの事。乗組員全員で目下、探索中という内容だった。
族長である伊吹は、すぐに先鋭部隊を招集し赤砂漠に派遣した。
迅速な行動だったが……伊吹の責任問題を問う声は、日を追うごとに大きくなっていった。
元々、伊吹が族長になることを反対する声は多かった。何故なら、伊吹の翼の色は漆黒ではなく、栞と同じ灰色だったからだ。
灰色は力なき者、半端者の色とされ、忌み嫌われ軽蔑の対象とされていた。今でもその思想は根深く残っている。
そんな中、先代であり伊吹と翔琉の父、錦は伊吹を次の族長に推した。
弟の翔琉ではなく。伊吹をだ。
周囲の反対は当然凄まじかった。
翔琉は一際綺麗な漆黒の翼を持っており、母親の身分も伊吹の実母よりはるかに上だったからだ。血筋、姿、どれをとっても翔琉の方が優れていた。誰もが、弟の翔琉が次の族長になるものだと信じて疑わなかった。それは当然、当事者である翔琉自身もだったし……伊吹自身もそう思っていた。
自分の周囲が敵だらけであることは、伊吹自身よく身に染みて分かっていた。普通なら問題にならない程のことでも、自分なら問題になることも。すぐに、責任問題に発展することも、よく理解していた。
針のむしろのような生活。
それでもやってこれたのは、父に認められた嬉しさと、自分と同じ定めを持つ我が子の未来が、少しでもましになって欲しいがため。
今まで、何度も窮地にたったことも、追い込まれたことも多だあった。父である錦が隠居し黒劉山を出てからは、直接命を奪いにくる輩も一人や二人じゃなかった。
だが今回は、自分が族長を継いでから最大級のものだった。
しかし伊吹は今、自分の身よりも、二人の我が子、そして……睦月様の身を心配する想いが心を占めていた。
一応、手は打ってある。打てれる手は全て打った筈だ。
だが、絶対はない。
神獣森羅様の化身が常世に出現したことが明らかになったのは、二ヶ月程前だ。
当初伊吹は、五聖獣様の意見を尊重していた。それが、最も睦月様にとって最良だと思っていたからだ。当時の睦月様は起き上がるのもままならぬ程、心身ともに弱り切っていたと聞く。
その時は長老たちも納得していたが、いざ睦月様の体調が戻ると、彼らは騒ぎだした。睦月様を迎え入れ、黒劉山に住んでもらおうと画策し始めたのだ。
本来天狗は、聖獣様を守護することを主な役割としていた。
優れた武術と強靭な肉体、そして、法術を得意とする天狗は、自然と聖獣様の警護の任を任せられるようになり、そのことを誇りとさえ思っていた。
神獣森羅様は五聖獣様より位が上の神獣である。
その化身は最も尊い者とされ、その出現は千年に一度あるかないかくらいの頻度だった。本来ならだ。
先代の族長、錦の代に神獣森羅様の化身が出現し、後に彼女は北の大地に本屋を開いた。
錦は狛犬のサスケ殿と共に、彼女に長い間仕えていたが、今の店主に店を託すと彼女は忽然と姿を消した。
二代続けての出現に天狗たちは沸き上がった。だが、忽然と姿を消した件が背景にあったせいか、その想いが暴走した。大半はそうだろう。だが、一部は……。
ーー結果。
睦月様を連れ去るという、強引な行為へと走らせたのだ。
そして、その先頭に立っていたのが、弟の翔琉だった。
神獣森羅様の化身を警護出来る世代に生まれたことは、何よりも誇りであり、名誉なことであった筈だ。多くの者はそうだろう。
しかし中には、そう思わない者もいる。
目先の褒美に目がくらんだ者たちだ。
その筆頭が、睦月様を黒劉山へ呼ぶことに最も固執していた、弟の翔琉であった。翔琉がどういう意図で、睦月様を呼び寄せようとしていたのか、伊吹は容易に想像出来た。
魔法使いであり、神獣森羅様の化身とはいえ、元を正せば睦月様は人間である。
人間に仕える気など彼らにはない。
この世界で人間は、最も弱くて脆弱な存在だ。地位も勿論最下位といって過言ではない。自意識が高い翔琉たち一派にとって、人間に仕えることは屈辱以外のなにものでもなかったはずだ。
力こそが全ての天狗にとって、人間は最も蔑視すべき存在だった。人間の命を軽視していたからこそ、彼らはこの計画をたて、実行に移す事出来たのだった。
伊吹は庭園に面した廊下に立ち、空を見上げていた。
「族長、気を落とされますな。必ず、睦月様たちは無事見付かりますから」
翔琉は伊吹の足元に膝をついて座ると、その口から出たのは慰めの言葉だった。
伊吹は弟の顔を見下ろした。その顔は神妙な面持ちだった。しかしその目は、暗い影を色濃く含み、凍り付くほど冷えきっていた。
「(やはりな)ああ……」
伊吹が庭に視線を移しそう答えた時だった。
一羽の白い鳩が、庭に置かれた岩の上にとまった。鳩は軽く羽根を羽ばたかせると砂利の上におりる。鳩は砂利を歩いて、伊吹たちに近付いてくる。その首には、赤いリボンが巻いてあった。
「誰かが、飼っていたものですかね」
翔琉が鳩に視線を移して言った。
彼は鳩に目線を向けていたので見ていなかった。「そうだな」と答えた時の伊吹の表情を。もし見ていれば……彼は、新たに手を打つことが出来ただろうに。
それは、伊吹が待ちに待っていた報せだった。
「翔琉、詳細が聞きたい。重盛を呼び戻せ」
伊吹は翔琉にそう命じた。
「御意」
翔琉はそう答えると、文を出すためにその場から立ち去った。
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