第九話 黒翼船
翌朝。
いつもより早く、私は目を覚ました。時計がないから正確な時間は分からないけど、空気がまだ冷たい。早朝特有の張りつめた感じがした。
「おはようございます」
起きた私に気付いた狛犬サス君が枕元にやって来た。
「おはよう」
何事もなかったかのようにサス君に挨拶を返すけど、私のおかれた状況は一変していた。
見知らぬ部屋。
そして、知らないうちに着替えされている。
私をこの部屋に連れ込んだ者に誘拐された。
「睦月様、サスケ様、おはようございます。失礼してもよろしいでしょうか?」
可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
「どうぞ」
私がそう答えると、「失礼します」と言いながら襖を開けて一人の少女が入ってきた。襖を両手で閉める。少女は正座すると指をついて、私たちに向かって頭を下げる。
私より二、三歳年上に見える少女の背中には、灰色の翼根が生えていた。
「サス君、背中に翼根が生えてる!?」
私は初めて見るあやかしに驚く。
「彼女は天狗の一族ですよ」
サス君が答える。
(天狗!! あの有名な天狗なの!?)
まじまじと少女を見てしまう。当然だよね。
そういえば……私を誘拐したあの男も空を飛んでいた。がっしりと腰を掴まれていたので、後ろを振り向けなかったから、翼には気付かなかった。
(私を誘拐したのは、天狗だったんだ……でも、何で天狗が私を誘拐したの?)
ただの人間の子供を。誘拐した犯人は分かっても最大の疑問が残った。
そもそも、常世に墜ちて来て日の浅い私が知る事なんてほとんどない。何も知らない。そんな子供を誘拐して何の得があるの? もしかして、私を餌にするつもりなの!? 私のせいで、大切な人が大変な目に合うのは嫌!!
サス君が私の不安を敏感に感じ取る。体を擦り寄せてきた。布越しに伝わるほのかな温かみに、私は安心する。
(大丈夫。落ち着いて考えなきゃ。生き残る方法を。まずは、自分がいる場所を把握するところからだよね)
幸いヒントは目の前にあるし。
「はい。族長の娘、栞と申します。睦月様とサスケ様のお世話をさせて頂きます。何卒、宜しくお願い致します」
栞と名乗った少女は再度頭を下げた。
(様!? お世話!? 私に!? 狛犬のサス君なら分かるけど……)
私は思わずサス君を見下ろすが、サス君は少女を凝視していた。私はもう一度、栞と名乗った少女に視線を移す。栞はまだ頭を下げたままだ。
「あの……」
どうして、頭を下げたままなの? 私は戸惑いながら、栞と名乗った少女に呼び掛ける。
「はい!!」
栞は私の声に弾かれたように顔を上げ返事する。
(もしかして、私の言葉を待ってた? それは有り得ないよね。それよりどうやって訊き出そう?)
悩んでも思い浮かばない。しょうがない。私は栞に思い切って尋ねてみた。「ここ何処なんですか?」と。警戒されてるよね……絶対。
「黒翼船の主寝室です」
栞は警戒するような様子を見せずに答えてくれた。
「黒翼船?」
私は尋ね返す。
「天狗が所有する、帆船の名前ですよ」
サス君が栞に代わって答える。
「はい。でも、海や河などは航行しませんが」
栞はそう言いながら私を立たすと、素早く寝間着代わりに着ていた浴衣を脱がし、用意していた着物を着せる。
恥ずかしいから一人で着替えようとしたが、戸惑ってなかなか上手く着れない。着物なんて着たことないんだもん、仕方ないじゃない。元々着ていた服を着ようと思って、探してみたけどどこにもなかった。仕方なく、私は栞の手を借り用意されていた着物を着る。
朱色の刺繍が細部にわたって施された着物は、素人の私が見ても凄く豪華なものだった。そして見た目程重くなく、軽くて動き易かった。
こんな豪華なもの、私が着ていいの……? 確か、私は誘拐されたんだよね。不審に思っている私をよそに、私の身支度をすませると、栞は言った。
「朝げを用意しますので、お食事が終わってから、ゆっくり船内をご案内しますね」
(船内案内してくれるの!?)
驚いている私に気付かず栞はそう告げると、再度指を付き、頭を再度下げてから部屋を出て行った。
意外とすんなりと聞き出せたよね。
私とサス君が捕らわれている場所は〈黒翼船〉。今この船は何処かに向かっているのは確か……一体、何処に向かってるんだろう。それよりも、
「サス君、海や河を航行しないなら、一体どこを航行するの?」
「それは、ご飯を食べてから。外に出ると分かりますよ」
サス君は声を弾ませながら言った。
ほとんど待つことなく、直ぐに栞はお膳を持って来た。
「すみません、睦月様。今はこのようなものしか出せませんが……」
そう言って出された食事は、料亭の朝御飯のようで、私にとってはとても豪勢なものだった。着るものといい、誘拐されたのに、私の扱いはどうみても普通じゃない。
考え込んで箸が止まった私を見て、栞は不安そうに声を掛ける。
「口に合いませんでしたか、睦月様」
「えっ……あっ、ううん。凄く美味しいです」
「本当ですか?」
私は頷く。
栞は凄く嬉しそうに微笑んだ。でも、食が進まない私を見て、栞はすぐに顔を曇らせる。
「御気分がすぐれませんか? 床を用意しましょうか?」
「……睦月さん、大丈夫ですか?」
心配そうに声を掛けてくる、栞とサス君。私は一人と一頭を安心させる為に微笑みながら言った。
「大丈夫。考えごとしてただけだから……。栞さんだったかな、どうして、私のことを様付けで呼ぶの? 着るものも食事も豪華だし」
私の疑問に栞は驚きの表情を浮かべる。反対に、サス君は顔を曇らせた。狛犬だけど不思議と分かる。
「……睦月様、私のことは栞とお呼び下さい」
栞はそう私にお願いしてから、言葉を続ける。
「睦月様は、自分のことを御存知ないんですか?」
栞は驚きを隠せない。
私はサス君を見下ろす。サス君は気まずいのか、下を向いて小さくなっていた。
栞はそんな私たちを見て何かを察したのか、それとも空気を読んだのか、冷めたお茶を入れ替える為に席を外した。
私は栞を見送るとサス君に尋ねた。
「……サス君」
他の誰からじゃなく、私はサス君の口から聞きたかった。知りたいと思った。
サス君は私の気持ちをくんで、ぽつりぽつりと話し始める。
「睦月さんは、伊織から二度目に常世に来た時、〈生き返った〉って聞きませんでしたか?」
「聞いた……」
私はあの時の会話を思い出す。今でもはっきりと覚えている。何かが体を通り過ぎていったーーあの感触を。
「睦月さんを生き返らせたのは、伊織ではありません。〈森羅〉という神獣です。〈森羅〉は異世界を繋ぐ通路。異世界と異世界の間の空間を主に縄張りとしています。睦月さんは、その〈森羅〉に触れた。それによって生き返ったんです」
サス君の言葉は私に、かなりの衝撃を与えた。しばらくの間、私は声が出なかった。頭で整理しようと思うが出来ない。
「…………シンラ」
私の口からぽつりと、単語がこぼれる。
ーーシンラ。
それは、あの老紳士が消える直前に残した言葉だった。
「睦月さん、森羅万象という言葉の意味を知ってますか?」
たたみかけるように、サス君は説明を続ける。私は首を横に振った。四字熟語としては知っているが、意味はあやふやだった。
「森羅万象とは、天と地、その間にある全てのものを指し、全ての現象の総称を指しています。そしてーー」
一旦、言葉を切ると、サス君は私の目を見詰め告げた。
「神獣森羅は〈理〉に最も近いものであり、〈理〉そのものだと言われています」
故に、〈理〉を曲げることも可能なのだ。例えば、一度死んだ者を生き返らせることも、可能ということだ。森羅が望めば。
「〈神獣森羅〉は誰の目にもうつることはありません。唯一具現化されたのが、森羅に力を分け与えられた者。つまり、森羅によって奇跡を起こした者です」
「……私のように」
「はい。だから、栞は睦月さんのことを生き神として崇め、敬っているのです」
(納得した)
でも、全然実感がなかった。
私に様を付けて呼ぶ理由は分かったが、誘拐された理由はさっぱり分からない。だがここにいれば、それはいづれ分かることだろう。
「サス君が私のことを呼び捨てにしてくれないのは、そのせい?」
私の問いにサス君は頷く。
「本当は様を付けて呼ぼうとしたのを、伊織に止められてしまって……」
サス君は言葉を濁した。
やっぱり、伊織さんは知っていた。知ってて黙っていた。何故教えてくれなかったのかは分からない。
(でも……今は……)
私は目を瞑り考え込む。
色々なことが頭を過るが、今は答えが浮かばない。出ない答えを無理に答える必要はないと思った。しばらく考えて、私は決める。
「…………分かった。でも今は、皆の所に帰ることを一番に考える」
私はサス君に告げる。そして、サス君の銀色の頭を撫でた。サス君は気持ち良さそうに、耳を横に倒していた。
私たちの会話が一段落した頃、栞が「失礼します」と声を掛け入って来た。熱いお茶と柿をおぼんにのせている。
(取り敢えず、今は食べて力をつける。そして、情報を集めなきゃ)
私は入って来た栞に声を掛けた。
「ありがとう、栞。食べたら、船内案内してくれる?」
私のお願いに、栞はにっこりと微笑む。
「はい。喜んで!!」
「ありがとう」
私はそう答えると、栞が持ってきた柿を頬張った。とても熟れてて美味しかった。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。少しでも、楽しんで頂けたでしょうか? 拙い文書ですか、一生懸命書いていきますので、これからも応援宜しくお願いします。