第八話 銀色の狛犬
「……睦月さん、睦月さん」
誰かが頬を押しながら、何度も何度も私の名前を呼んでいる。
「………う……ん…」
意識が戻り掛けると、私を呼ぶ声が更に大きくなった。頬を押す手に力が入る。頬に鋭い痛みが走った。私はその痛みに、目を覚ました。
「睦月さん!!」
その声に私は勢いよく上半身を起こす。何かがコロコロと転がって行った。
「ん………」
勢いよく起き過ぎて軽く目眩がした。掌で額を軽く押さえ治まるのを待つ。その時唐突に思い出した。自分が誘拐されたことを。
「大丈夫ですかっ!?」
部屋の隅から声が聞こえてくる。そういえば、何かが転がっていったような……。
「…………」
無言の私。
「どこか、痛みますか!?」
返事をしない私を心配して再度尋ねてくる。その声に聞き覚えはなかった。
部屋の隅まで蝋燭の光が届かないのか、影に紛れて姿が見えない。声だけは聞こえる。だけど、部屋の隅で何かが動いているのは気配で分かった。
(何っ!!)
霞が掛かってぼんやりとしていた思考が一気に晴れた。
「睦月さん、大丈夫ですか!?」
返事をしない私を心配したのか、部屋の隅に飛ばされた塊が急いで私の所に駆け寄って来る。
(えっ!! 何!?)
思わず、まじまじと見ちゃったよ。
駆け寄って来たのは、一頭の銀色の仔犬だった。大きさはトイプードルぐらいだ。首輪の代わりに、紅白の縄が交差して編み込まれた縄で括られている。それはまるで、しめ縄のようだ。
「もう少し横になっていた方がいいですよ。睦月さん」
銀色の喋る仔犬は知らないが、こんな話し方をする人を私はよく知っていた。
「……サス君?」
私はおずおずしながら名前を呼ぶ。
「どうかしましたか?」
名前を呼ばれた銀色の仔犬は、不思議そうに首を傾げ、私を見上げている。
「その姿……」
私の指摘で、サス君は改めて自分の姿を見る。
「あぁ……この姿が僕の本当の姿ですよ。僕は元々狛犬ですから」
私の挙動不審な態度に納得した様子で、さらりとサス君は自分の正体を暴露した。
「サス君って、狛犬なの!!」
(狛犬って、神様の使いじゃなかった!? もしかして、サス君って、実はすっごく偉いのでは……?)
驚きを隠せない。犬科のあやかし(犬耳だから)だとは思ってたけど……まさか、狛犬とは思わなかった。私はまじまじとサス君を凝視する。
「はい。っと言っても、今は分身みたいなものですから、こんなみすぼらしい姿なんですけど」
サス君は照れたように前足で耳をかいた。
「(か……可愛過ぎる!!!!)」
思わず抱き締めたくなるが、サス君の人型の姿を思い出して、なんとか押し止まる。沈黙を体調の不良からだと思ったサス君は、潤んだ黒目で私を見上げた。
「どうかしましたか? まだ具合が悪いようなら、横になった方が……」
(この言い方は、やっぱりサス君だ)
姿は全く違うが、間違いなくサス君だ。
心配性のところも全然変わらない。どこか安心する。無意識のうちに緊張していたのだろう。肩の力が抜けていくのを感じた。一人じゃないことが、とても嬉しかった。すっごく、心強く感じた。
「どうして、サス君がここに? 分身って!?」
私は尋ねた。
「この前あげた御守りの中に、僕の気を練り込んだ毛を入れていたんです。何かあった時の為に」
そういえば……この前、サス君から御守りを貰った。可愛い桜柄の小袋で、無くしたら困るから小町さんに紐を貰って首から掛けるように加工した。
(この御守りにそんな力があったんだ……)
御守りを掌に乗せ見ながら、御守りに視線を落とす。
そして、そんなことが出来るサス君の力に改めて驚く。だがそのことよりも、気になることがあった。
(何かあった時の為に?)
サス君の言葉に引っ掛かった。まるで、何か起きることを予想していたかのような言い方だった。
「どういう意味?」
私は率直にサス君に尋ねた。
「もしもの時のために渡したもので、まさか、役立つ日がくるとは思いませんでした。渡したことに深い意味は全然ありませんよ」
サス君の声は乱れることなく平然と答える。それが却って怪しい。
(何か隠してる!!)
直感的にそう感じた。
現に私は、誘拐されてここにいる。
サス君はその理由を知っているような気がした。サス君だけじゃない、伊織さんも小町さんも陣さんも、皆知っているのかもしれない。ふと、思った。
(何度も店から出ないように言ってたしね)
それは、皆に繰り返し言われていたことだった。
(風邪を引いたらいけないからだと思ってたけど……もしかして、こんな事態が起きる可能性があったから……?)
疑惑は、徐々に確信へと変わっていく。
それでも……サス君や伊織さん、皆に対しての信頼が薄まることはなかった。今の私があるのは皆のおかげだ。皆の愛情で、私は心を取り戻したのだから。
「睦月さん。外はまだ夜更けです。私が側にいますから、安心して寝て下さい」
サス君はいつもと変わらない優しい声だ。
自分が今何処にいるのか分からない。でも私は全然怖くはなかった。サス君が側にいてくれるからだ。
サス君の声に促されるように、私はソッと目を閉じる。疲れていたのか、直ぐに睡魔が襲ってきた。
(考えるのは、明日でいいや……)
寝息をたて始めた私にサス君は語り掛ける。
「睦月様。この私が命を掛けて必ず護りますから、安心して下さい」
サス君の声は、私に届くことはなかった。
拙い文書を、最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。楽しんで頂けたでしょうか。これからも頑張って書いていきますので、これからも応援宜しくお願いします。