玄武と死神
〈常世〉は聖獣麒麟がおわす王都を中心に、東西南北をそれぞれの聖獣が治めている。
聖獣たちを〈五聖獣〉と呼んだ。
東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武である。そしてその眷族たちは、それぞれ統治する国で生活を営んでいる。因みに『なんでも本屋』は、玄武の支配する土地に店を出していた。
北は他の大陸に比べて特に冬が厳しい環境からか、比較的寒さに強い鬼が多く住んでいる。他の大陸に比べて、多種多様なあやかしが生活していた。
そして西は、猫科の動物のあやかしが多く住んでいて、東は水の属性のあやかしが住み、南は鳥類のあやかしが多く住んでいた。
睦月を連れ去ったのは、南に拠点を置く鳥のあやかし。
天狗だったーー。
サスケも子供たちも、その姿をはっきりとその目で見ている。疑い様がない。それに彼らが残した確固たる証拠、黒い羽根も手元にあった。
天狗たちは、聖獣たちが取り決めした暗黙のルールを破り、睦月を無理矢理連れ去った。
それがどういう意味か理解した上での行動かはさておき、まず伊織は、北の聖獣玄武様に筋を通すためと、自由にしてよいという確約を貰う必要があった。その前に陣には、玄武様の報告と聖獣朱雀様の牽制を頼んだ。
朱雀様が表に出て来られるのは最悪避けたかったからだ。
睦月の身柄は、聖獣麒麟様から、玄武様を通し『なんでも本屋』で保護する事に決まっていた。
なのに、誘拐された。相手が死神だったとしても関係ない。下手したら、そのまま保護を目的として、睦月は南に捕らわれる可能性が大いにあった。
それだけはどうしても、伊織は避けたかった。
一度捕らわれれば、もう二度と日本には戻れない。籠の鳥として生きる事になる。長い時を……。
筋を通す事とは別に、伊織自身、玄武様直に確かめておきたい事があった。あくまで、疑念だが。
「お待ちしておりました。伊織様、サスケ様」
玄武の筆頭執事が頭を下げ、謁見の間に二人を通し扉を閉めた。
伊織とサスケが謁見の間の中央まで来た時だった。
サスケが突如唸り声を上げ、目の前の老人に飛び掛かろうとした。だが、どうしても出来なかった。体が硬直して動かなかったからだ。伊織がサスケの影を踏んで動きを止めていた。
「やはり気付いておったか、伊織」
笑いを含んだ低い声が玉座から発せられた。
見た目は黒髪の優しそうな美形の青年なのに、発せられるその声は重量感があった。サスケと伊織は全身の毛穴が引き締まる。
伊織は平然と答えているように見えるが、実は圧倒され、腹に力を入れないと、体が小刻みに震えそうになる。言葉も縺れうになっていた。
「……タイミングがあまりにも合っていましたので。それに、死神様が玄武様の領地に入られて、気付かないはずはないと思いました」
実は二日前の夕方、城から突然伝書鳩が飛んできていたのだ。「睦月に渡したい物があるから、早朝登城するよう」にと。その間の襲撃だ。タイミングがよすぎる。不審に思っても仕方がなかった。
「買い被り過ぎだな、伊織。私はそんなに万能ではないぞ」
玄武は笑いながら言った。
「でも、天狗たちの動きは知っておられた」
「ああ、天狗たちの動きは前から知っていた。朱雀の考えは、私の友人にわざわざ声を掛けて来た時に気付いたよ」
悪ぶれることなく玄武は答える。
「気付いて、そのままにされた?」
幾分か、伊織の声が低くなる。それを見て玄武は苦笑する。
「私もほとほと手を焼いていてな。伊織も知っておるだろ。麒麟がいくら言っても、奴らは納得せん。皆、睦月が欲しいのだ。それなら、睦月自身に決めてもらおうと考えた。睦月の言葉なら、皆も納得するだろう」
「だからといって!!」
拘束を解かれたサスケが声を荒げた。
「そう怒るな、サスケ。天狗たちは睦月に危害を加えるつもりで誘拐したのではない」
「しかし!!」
尚も食い下がろうとするサスケの言葉を遮るように、玄武は言葉を続けた。
「もうすぐ、約束した一ヶ月がくる。お前たちは、何も知らせずに選択させるつもりだったのか?」
玄武は全て知っていた。身内ないでの約束事だったのに。玄武の恐ろしさに、改めて伊織とサスケは気付かされる。
だが今は、玄武の言葉の内容ににサスケは声を詰まらせる。伊織は何も言わず、黙って玄武の言葉を聞いていた。言えなかったといった方が正しい。
伊織自身が、あの時陣と小町を遮って一ヶ月待つと決めた。
それは、睦月のためだったはずだ。でも心のどこかで、真実を知る時を先伸ばしにしたかったのも事実だった。真実を知った時、睦月がどういう答えを出すのかが……正直伊織は怖かったのだ。それは、サスケも同じだった。その思いが戸惑いを生んだ。玄武にそこをつかれたのだ。二人に何も言えるはずがなかった。
「ちょうどいいではないか。睦月の考えを知る機会だと思えば」
玄武は諭すように伊織たちに言った。
「……では、これから睦月を迎えに行って来ます」
今まで黙っていた伊織がようやく口を開き、玄武に頭を下げる。
「あんまり、乱暴なことはするなよ」
一言、玄武は釘を指す。
伊織はそれには答えず、再度頭を下げると謁見の間を後にした。サスケも玄武たちに頭を下げると伊織に続いた。
玄武は二人を見送ると軽く溜め息を吐く。そして長年の友人に声を掛けた。
「怒らせてしまったな。でも、過保護だと思わんか……」
「貴方も十分過保護ですよ」
微笑みながら、死神は答えた。
「そうか? しかし、我らの企みを知ったら、あいつらは我を恨むだろうな……」
玄武が何を言おうとしているのか、死神には分かっていた。珍しく、力なく呟く玄武に、分かっているからこそ、友人は掛ける言葉がなかった。うわべだけの言葉ならいくらでも言える。でも友人だからこそ言えなかった。