箍が外れる
「本格的な軍を差し向けられたようですね。二千近い魔物が外に集結しています」
「にせん……。おい、雑魚相手ならどうとでもなるって言ってたよな? 問題ないんだろ?」
「おや、弱気ですね。ま、数だけ見れば覆せるような戦力差ではないですから、弱気にもなりますか」
二千対五。一人頭四百だ。
そして俺は戦力外。一人頭は五百になる。
「この洞窟は狭いので、もちろん二千の敵が一斉に押し寄せてきても入りきりません。なるべく瞬殺せず、敵さんには『手強いが、数で圧殺できる』と思ってもらえるような戦いをしましょう。敵の第一陣を殲滅しただけで帰ってもらわれると、こちらの情報だけ売り渡すことになってしまいますから」
さらに注文がついた。
「さあて、ここを上手く乗り切れば勝機も見えてきます。正念場ですね」
状況はひどいが、唯一、負けるなんて思ってもいなさそうな口ぶりにだけ、頼もしさを感じる。
≪なぜこんな空洞がある……≫
女王から人間を殲滅するよう命を下されたマーマンの万人長が呟いた。
敵の数は十にも満たないと報告があったこと、女王から手加減をするなと言われたことから万人長なりのバランスを取った結果が二千という軍団。
人食い鮫レモラを中心とした騎兵連隊。
人間相手に強いギルマンを中心とした接近戦闘連隊。
虎の子の、上級マーマンメイジ連隊。
三兵科を中心とした編成で、言ってしまえば周辺海域で普段は仕事の少ない余り者で組んだ軍団だった。
人間と戦うためというよりは、普段行軍行動の少ない者たちに経験を積ませるための編成という意味合いがあった。
それでも数人の人間相手にはどう考えてもやり過ぎの部類。
そのはずだが、万人長にはどうにも目の前の洞窟が不気味で、不安に思えて仕方がなかった。
(本当にシービショップはいないのだろうな。偵察の間違いを正す贄にはなれんぞ……)
確かにシービショップが入れば前線部隊を任されたいと思っていた。一番槍を欲してはいた。そのために 一部部隊の行方不明が問題になった時には、無理やりにでも仕事を片づけて、すぐにでも出撃できるよう準備を整えた。
ゆえにこの場面でも、人間殲滅の命を下されることになったのだが。
≪万人長! 各兵科連隊、陣形が整いました!≫
≪うむ。予定通り、騎兵は万一人間どもが逃げ出した時のために待機。ギルマンとメイジはそれぞれ六人と二人で即席の部隊を作り、順に突入。適宜戦闘を開始させよ≫
戦力の逐次投入だが、敵の居場所がこのような洞窟となれば、あまり一纏めに行動させることもできない。
罠などあれば、一網打尽の恐れがあるからだ。
そして、敵が外に出てくるのを待つなどできない。たかが数人の人間を相手に無駄な時間はかけられない。
ほどなくして、洞窟への侵入が始まった。
「おかわり自由。ただしメニューは変わりません、か」
ラッティなどもう敵を何体斬ったか覚えていないだろう。
「ホムラネコ召喚! 人間の魔術師召喚! 魔術師は炎属性の魔法を使え! 仲間には効かん! 遠慮も手加減もいらんぞ!!」
倒すたび、倒れるたびにコアの光が強くなる。
仲間が敵にやられれば、その分新たに召喚する。
今はホムラネコ八匹、魔術師三人で戦線を作っている。
「はあ~、それにしても熱い! また冷ましますよ~」
炎の魔法のせいで洞窟内の温度が上がるたび、ラッティが細かく魔法を使って下げている。
アイスボルトはすでに死んだ。死体はいつの間にか魔法に巻き込まれ、燃え尽きていた。
敵の死体も燃える。
ホムラネコの死体が邪魔だ。
戦いの最中、敵味方に隅へ追いやられ、積み重なった山ができている。
臭い。焦げ臭い。ダンジョンの力を使えば空気を正常化できるのが救いだった。
地獄だ。
仲間の死を弔う暇などない。
ラッティの言っていた通りで、いずれはそうなるだろうと俺自身思っていた。
しかし、これほどとは思っていなかった。
感覚が麻痺してきている。あの邪魔なネコの死骸をどうにか処分する方法を、苛立ちながら考えている自分がいる。
「いやあ、敵さんも諦めませんね~。これだけ自軍が消耗したら、一度引いて手を考えてもいいんじゃないですかね。ま、こっちとしてはウハウハ入れ食い状態でいいですけど!」
槍を振り回し、縦横無尽に敵の間を駆ける。
ホムラネコの弱点である冷気、水属性の攻撃魔法を使う敵のマーマンメイジを優先して倒してくれているのだ。
味方で良かった。
が、敵の女王はこいつの百倍強いらしいから、それを思えばなんとも憂鬱ではある。
ホムラネコが正面からギルマンに飛びかかり、その頭を焼き齧る。
仲間を襲うホムラネコを、ギルマンが鋭い爪で引き裂く。
乱闘の中心に魔術師が火球を飛ばし、火だるまが踊る。
ホムラネコの前線を抜いて、魔術師を襲うギルマン。
急ぎホムラネコを差し向け、後衛と前線の崩壊を防ぐ。
退治してはまた次の敵がくる、混沌とした戦場。
≪なんということだ……。これではおめおめと生きて帰れん……≫
砂時計の砂のように、仲間が減る。謎の洞窟に吸い込まれて消える。
最初の数組には情けない奴らだと思った。
百近い仲間が帰ってこないことに怒りを感じた。
三百減り、悪魔のような敵を必ず殺すと誓う。
五百、敵の疲労を推し、仲間を鼓舞した。
ギルマンと上級マーマンメイジ部隊が半分ほどに減り、もう自分たちは後戻りできないところにいると、内心では慄いていた。
ときどき偵察兵に中の戦闘状況を報告させているが、敵は全く歯が立たないような化け物ではないはずだった。
悪魔のような戦士が一人、あとは魔物の四足獣と人間の魔術師が十数。
悪魔はメイジばかりを狙うという。ギルマンの数を増やし、メイジを守ることに注力させたが無駄だった。
無駄に死ぬからと、メイジを組み込まなければ前線がすぐに崩壊する。メイジの魔法攻撃は敵前衛に有効なようだった。
工夫では悪魔を掻い潜れない。消耗を覚悟した。
敵の動きはだんだん鈍り、つい十数分前にはもう一息という様子だったという。
間違いなく、敵に疲労はあるはずだった。
(もう少しで押し切れるはずだ……! ここが忍耐すべき踏ん張りどころなのだ!)
≪報告します! 敵は戦線を保ち、我々の仲間を害し続けています! 一進一退というところではありますが、敵は依然として崩れません!≫
≪……私が前線に出る。ロウダ、アズマズ、ついてこい! ガミ、後のことは頼んだ≫
≪はっ!≫
≪はっ!≫
≪お任せください!≫
万人長は長剣を抜き、二人の供を連れ洞窟に向かって泳ぎだす。
前戦に出るなど指揮官としてあるまじき行為だが、自らの命を以ってしても、勝利だけはもぎ取らねばならなかった。




