嵐の前に時化
「むう。参上仕った」
現れたのは三角帽を目深に被った男だった。
複雑な幾何学模様のローブと、先端に玉の付いた杖。いかにも。
「やあ、あんたの名前は?」
「ない。今生み出されたばかりなのでな」
赤子同然ってことか。しかし姿は大人だし、会話ができる。
「まあ、普通は自分の名前なんて持っていませんね。私だって自分の名前は、生み出されてすぐに自分で付けただけですから」
ラッティ。どこか頭が軽そうな名前で、ある意味似合っているのかもしれんが。
「なんでそんな名前にしたんだ?」
「そんなって、失礼な……」
誤解された。
いや、今のは俺の言い方も悪かったか。
まあ、こいつ笑ってるから気にしてないんだろうけど。
「悪い。由来とか名前の意味を聞きたいんだよ」
「特にありません」
そうですか。こいつとは会話にならん。
「ふむ、では拙者も名を考えてみようか」
髭の濃い顎に手を当てて考え始める魔術師。
こいつらには知識があっても過去がないんだよな。
生み出された時から『自分』というものがあるってのは、どういう感覚なんだろう。
「うむ。では拙者、これからはアイスボルトと名乗ろう」
「……なぜに?」
「拙者が使える魔法の中で、一番使用難易度が高いものの名だ」
炎攻撃ができるやつを召喚したんじゃなかったかな?
いや、一番難しいやつって言ってるから、炎魔法も使えるんだろうけど。
「ちなみにどんな魔法が使えるんだ?」
「火球を放つフレイムボール。触れた相手に衝撃を与えるフォース。指定した位置を瞬間的に凍らせるアイスボルト。他には明かりを付けたり、眠気を覚ましたり、水中でも呼吸ができるようにしたり、色々とできることはある」
水中で呼吸ができるようになるのは、今後役に立ちそうだ。
「……それって、俺も訓練すれば使えるようにならんかな?」
「魔法ですか? 魔法を使えるようになるのは可能ですが、あまりお勧めできませんね。高くつきます」
「高くつく?」
「生まれつき魔法が使える人でなければ、道具の力を借りなければ魔法は使えません。必要な道具はコアの力で作り出せますが、非常に高くつきますよ」
言われ、コアを見やる。
人間の魔術師、アイスボルトを召喚したことで輝きは陰り、頼りないランプのような風情を醸している。
「具体的には?」
「アイスボルトさんも使えるフレイムボールなら、ホムラネコ二十匹分くらいですかね。ちなみに道具は消耗品ではないので、魔術師を数揃えるなら使いやすい魔法を選択肢には入れてもいいと思います。いずれね」
いずれ、だな。
「わかった。当面はなしだ」
≪これは問題だな≫
魔物の国、アクエリアス宮殿の会議室には万人長以上の指揮官が集まっていた。
警邏隊の行方不明。そしてマーマン含む調査隊の未帰還報告を受け、対応に関する通達が行われたのだ。
≪もし本当にグランスバル様の危惧する通り、シービショップでも現れたのなら、非常に厄介だ≫
海の魔物が恐れる厄の一つ。
シービショップは海の生き物を殺し、海へ還すことを目的として生きる精霊だ。
その目的ゆえに、魔物の国では海へ出てくる人間の船以上に嫌われている最悪の敵。
蛇蝎のごとく、と言えば生ぬるく、実際には親の仇ほどに憎まれている。
いや、実際に親の仇であることも多く、女王と四将軍で行われた会議ではシービショップ発生の可能性があるならば、軍を差し向けることも厭わずと結論されたようだ。
≪シービショップが敵かもしれないとなれば、統率が取れん≫
≪そうだな。皆必要以上に恐れるか、怒りを剥き出しにするか。偵察は早く帰ってきてシービショップなどいないと言ってもらいたいものだ≫
本当にシービショップがいれば数万の軍勢で攻める大規模な戦となる。
シービショップは一体だけでも無数のミミズ型生物を生み出し使役する、災害のような生き物だ。
そもそもこの国の成り立ちも、かつて現れたシービショップに対抗するため、海の生き物たちが手を取り合ったところにあるらしい。
≪……本当にシービショップが現れて戦うことになれば、我々は英雄になれるな≫
冗談めかしてマーマンの万人長が言う。
≪そのために何人死ぬことになるのやら。まだ海竜でもどこかから流れてきたという方がマシだ≫
後日。
≪シービショップはいなかったが、人間がたむろしている空洞があるとな≫
マーマンの女王が玉座で頬杖を突いた。
≪少々拍子抜けではありますが、余所者がはびこるのを見逃す理由はないですな。すぐにでも殲滅しましょう≫
四将軍の一人、女王から最も信頼されている老将が具申する。
≪うむ。見逃す理由はどこにもないな。何をしておるのかは気になるところだが、それを調べるのはその人間どもを殺した後でもよかろう。加減はいらん。疾く滅せよ≫




