決戦 前半
そして決戦が始まる。
眼前には重厚な布陣の亜人たち。
彼らの奥には水没した都がある。
と言っても、そこに住まうのは水棲生物たちだ。
廃都ではない。彼らの不転退の地。
周囲を見れば頼もしい仲間がいる。
大型の竜はハリボテみたいな性能だが、敵と味方の士気に大きな影響を与えてくれるに違いない。という願望。
さまざまな特殊能力を持った魔物を召喚し、対処のし難さで前線と、敵の指揮官を苦しめる。予定だ。
兵科を立てて戦争するには、指揮官たる俺の能力が厳しい。
だから、災害のような魔物の群れで蹂躙するのだ。
魔物の国の戦力は、遠距離攻撃手段が乏しいこともわかった。
一部の魔法使いが五十メートルほど距離があっても効力射を放てる程度。彼らの魔法は槍なのだ。
使いどころが基本的に海の上。
海の上でならば槍から弓へランクアップするが、この戦場ではせいぜいが投げ槍だ。
つまり、こちらが遠距離攻撃を実装すれば、一気に形勢は有利になる。
それについても準備はしてきた。上手く働いてくれればいいな。
「進め! 勝利が俺たちを待っている!!」
この辺は海も濁りなく、海流も比較的穏やか。
気分も晴れやかだ。
≪恥を忍んだ甲斐はあったか……!≫
エスノートは転退してすぐに騎兵隊の元へ駆けた。
敵はすでに都から見える位置まできているが、ギリギリのところで間に合いそうだった。
≪レモラ突撃騎兵とドルフィン魔法騎兵は俺の指揮下に入れ! 敵の両側面を削るぞ!≫
一度対峙したからわかる。
敵に有効打を与えて、味方を活気づけなければならない。
背後に都を抱えているため、否応なく士気は上がるだろうが、それは恐怖心の裏返しだ。一度悪い方向へ傾けば、取り返しがつかなくなる恐れがある。
パフォーマンスが必要だ。
≪陛下、あなたはもう、自由になってください≫
≪私は自由だよ≫
≪我々は、あなたから卒業するべき時がきたのです。これは、天が与えたもうた試験なのでしょう≫
≪ならば、私が見届けてもよいではないか≫
老将と女王が二人っきりで言い合っていた。
≪女王陛下、いえ、ウンディーネ様。四元の精霊たるあなたが、このようなところで、たかだが一国のために死を迎えるなど、あってはならないのです……≫
人々の、魔物の国の民たちの間では、マーメイドだと信じられている魔物の国の女王だが、その実態は違っていたのだ。
これは、魔物の国の極一部。歴代の将軍職にしか知らされない事実だった。
≪死にはせん。万一のことがあったとしても、その時は一度マナへ還るだけだ≫
≪そして、新たなウンディーネ様が誕生なさると。しかし、それはもはやあなたではない……≫
≪お前が言っているのも、私の役目のことではないか。ならば私の人格など元から問題ではない。むしろ、今ここでお前たちを見捨てろなんて言われることの方が、私としてもよほど酷い話だよ≫
平行線だった。
今だけの話ではない。もう何十年と前から、二人の間で繰り返されてきた話だった。
いや、二人だけの話ではない。歴代の将軍の中には、この老将と同じように、女王をその立場から解放しようと試みた者も少なくない。
しかし、女王はその全てを退けてきた。
≪ここは私の故郷なのだから≫
前線が形成され始めた。
水中では線というのもおかしいか。
爪と牙、腕と足、武器と武器。そこかしこで激突の撃音が響く。
「あの中にいるってのは、どんな気分なんだろうな」
全方位で敵味方が入り乱れ、技を振るうのだ。
正面の敵とだけ戦えばいいという話ではないのだろう。
自分の背中を守ってくれる味方が、本当にそこにいるのか?
自分が敵に負ければ、味方もやられてしまう。
その中で自分が生き残れる可能性はどこにある?
自分のことだけ考えていればいいだけではないだろう。
「ゴギャアオオオォ……ウウッ!!!!」
ハリボテ並みの竜が吠える。
戦場全体に、音が響き渡る。
同時に、味方の呪謡士が呪歌を歌った。彼らの歌には魔力が籠り、聞く者の正気を奪う力があるのだ。
味方は尋常ではない熱狂を帯び、敵は怯む。
竜の咆哮との相乗効果だ。
竜が吠えるタイミングで、俺とレインコートの少女は耳栓をして、それらの効力を防ぐ。
「……よし! レモラは集合し、整列しろ! 突撃だ! これで決めるぞ!」
耳栓を外し、指示を出す。
俺の声は、控える魔術師が拡大して届けてくれる。
雑多な魔物の中に紛れ込ませていた鮫型の魔物、レモラを集結させる。
魔物の国も騎兵に扱っている魔物だ。
つまり、魔物の国ではその恐ろしさがよく知られている。
竜の咆哮と呪謡士の能力で、未知の恐慌状態に陥った敵軍は、身近で、想像できる脅威を前にして、どれだけ士気を保てるだろう。
「勝つ! これで勝てる!!」
水中で活動できるようになる魔法は全軍にかけられている。
その効力は二十四時間。すでに十時間以上経っている。
早く、決着をつけなければならない。
「ここまでマスターの予定通りだね! なら、そろそろ非難しないといけないんじゃない?」
「……ああ、そうだな」
気分が高揚して、忘れていた。
一瞬にして、前線の動きが止まった。
動きを止めた者が、次々と討ち取られる。
味方がやられると硬直から回復する者も出てくるが、その一瞬で一体どれだけの被害になるのか。
≪これはいかん……! イプピアーラの楽戦隊は、ただちに戦意向上の演奏を始めよ! 味方を鼓舞するのだ!≫
グイコは指示を飛ばす。
竜の咆哮には魔力がある。よく響き、よく染みる。恐怖がこびりつく。
グイコをはじめとする上級兵にはあまり効いていないが、軍を構成する基本の兵卒にはよく効いている。
≪エスノート将軍の突撃が、流れを変えてれれば……!≫
≪むぅ。これは、チャンスなのか……?≫
自軍の士気が崩壊している。
敵がこの隙を逃すとは思えない。
止めの一撃がくる。
≪大魔法のようなものならば、どうしようもない。だが……≫
騎兵での突撃を仕掛けてくるならば。
タイミングを合わせ、突撃する敵騎兵を真横から突き破る。
逆転の目を見るならば、これが必要だと考えた。
≪私はそう、死神とも呼ばれた男だ≫
その、どこか不健康そうな、不気味な風貌から。
今はあやかって、敵の命脈を絶つ災禍ともなろう。
騎兵になれるほどの者は、あの竜の咆哮にも怯んでいない。
チャンスはある。
エスノートは決断した。
≪予定変更だ! 位置を取り直す! 北東へ移るぞ! レモラ突撃騎兵隊は俺についてこい!≫
エスノートはレモラを駆り、自ら先頭に立つ。
腹心の部下はドルフィン魔法騎兵の先頭を。
≪ドルフィン隊は予定通り仕掛けろ。タイミングは、俺たちレモラ側が突撃した後だ≫
≪はっ! ご武運を!≫