不穏な予感
シービショップを捕捉するために、何人もの優秀なスカウトが殺された。
彼らは討伐軍が結成されるまでの間、文字通り命がけでシービショップを追い続けたのだ。
≪フラメフィス将軍! 包囲完了いたしました! いつでも行けます!!≫
一つの谷を取り囲む、五万の軍勢。
あの谷底に、敵がいる。家族と住処を襲った触手たちが、隠れ潜んでいる。
それだけで、谷ごと恨まんばかりの視線が集まっている。
マーマンに限らず、魔物の国で生きる全ての生き物が憤怒していた。
(絶対に逃せん。士気は高い。行ける。……だが、これを私に指揮できるのか?)
そして今、復讐の鬼と化した軍勢が、怨敵を滅さんと息巻いている。
行軍行動こそ整然として、包囲も乱れないと報告がある。
だからこそ、一度ぶつかりはじめれば、誰にも止められない修羅の集団と化すのではないか?
満ち渡る怒りは、隙とならないだろうか?
魔物の国では強さが地位を約束する。
フラメフィスは戦いとなれば誰にも負けない自信があった。
しかし、地位は能力を保証してくれない。
強さのカリスマで、今度の指揮も、いつものように滞りなく行くだろうか。
≪あまり気負うなよ。俺もいる。総大将はお前だが、その戦いはお前だけのものじゃない≫
言ったのは、同じ将軍地位のグイコだった。
戦いだけの男だと自負さえしているフラメフィスと違い、グイコは知謀にも長けている。
やはり個人の強さにおいて勝るフラメフィスが総大将に抜擢されたものの、指揮を執るならばグイコが適任だったはずだ。
≪そうだな、お前がいる。迷っていても仕方がない。もう時は満ちたのだ……。合図を出せ! 第一陣、突撃だ!!≫
「おお、始まっていますね。どの辺で待機しておきましょうか……」
シービショップは放っておけば、いずれ討たれる。
今は遠目に見て、谷の色を変えるほど灰色の触手が蠢いているが、次第に押しこまれていくはずだ。
これはタイミングを見計らうのが難しい。
「まあ、手出しできそうになければ総指揮官でも襲って、揺さぶってみましょう」
ラッティは鼻歌交じりに海底へ伏せる。
「しかし、やはり心配なのはダンジョンの方ですよね。私がいない間に攻められることがあれば、一体どれだけ保つでしょう? 帰るまで何事もなければいいのですが……」
≪お前たちの話はわかったが、今の状況で、これ以上都の防衛戦力を他に割くことはできん。せめて討伐隊が戻ってくるのを待て≫
マーマンの千人長ガミは、都の防衛を指揮する老将グランスバルに直訴した。
≪……わかりました。しかし、北西の洞窟にも驚異が存在することを忘れずにいていただきたい。そして、仲間の仇討を望んでいる者たちがいることも≫
≪うむ。この海は我らのものだ。異物の存在を許すつもりは毛頭ない≫
≪……駄目だ、やはり気になる。シービショップが他生物とつるむはずがない。あの空洞にいた人間どもは何をしていたんだ? 嫌な予感がする……≫
ガミは行動することにした。
万人長たちでさえ、ついに帰って来なかった。それだけあの洞窟にいる人間たちは強いということだ。
寄せ集めでは意味がない。
≪グランシェ、お前の力を見込んで、頼みたいことがあるんだ≫
まずは、都南部に配置されているギルマンの友人を訪ねた。
≪ガミか、お前たちの討伐隊は敵の悪辣な罠にかかったと聞いているぞ。災難だったな≫
グランシェは努力してマーマン語を身に付けたギルマンだった。
マーマンでなくてもマーマン語を読み書きできる者は多いが、彼のように、マーマンではないのにマーマン語を話せるという者は数少ない。
≪仇討をしたい。今が重要な局面だということはわかっているし、お前がその中で尊厳ある仕事を任されているのも知っているが、その上で頼む。力を貸してくれ!≫
事情を話し、彼の助力を得ようとするガミ。
≪仇討か……。その思いはよくわかる。だがお前の言う通り、今守衛の任を放り出すわけにはいかん≫
≪それについては換わりの者を手配できる。お前と同等の働きができるとは言えんが、多少の無茶を通してでも、お前に力添えを頼みたいんだ≫
≪むぅ……≫
グランシェは顎に手を当てて悩み始める。
≪おいグランシェ、行ってこいよ≫
そこへ、彼の同僚らしきマーマンが声をかけた。
≪悩むからには、お前だって行きたいはずだ。お前が抜けた分は、俺たちで補ってやる≫
≪仇討の力添えを頼まれるなんて、名誉なことだ!≫
「ギャギャッ!」
同僚のマーマンやサハギン、ギルマンたちが囃し立てる。
≪む、これでは断れないな≫
苦笑い。そして、嬉しくなっているのが隠せていない。
≪心強いよ、よろしく頼む≫
≪ああ、任せろ≫