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他人の不幸は蜜の味、特に敵のは


「おい、大丈夫か?」


 こいつ底が知れねえな、と恐れを抱きながら声をかけた。

 約一分もの間、十体近いホムラネコと魔術師相手に無傷で戦った斧使いのマーマンを、まるで噛ませのように突き殺した。


 俺が手も足も出なかったギルマンを危なげなく仕留めるホムラネコ。

 そのホムラネコ十匹に魔術師の援護もありながら傷一つ付けることができなかったマーマンの戦士。

 そのマーマンの戦士を突き殺したラッティ。

 ラッティの百倍強いという魔物の国のマーメイドの女王。


 上には上がいるというか、インフレが過ぎるというか。


「私はなんともないですよ。あなたこそ大丈夫ですか? 吐いてませんか? 正直私は吐きそうです。ここ、ナマグサ過ぎます」


 大丈夫じゃないじゃないか。


「ときどき空気は入れ替えてたぞ。この換気機能、便利だな」


 他にもっと付けるべき機能はあるはずだが。


「まあ、ダンジョン内を正常に保つ機能の一部ですから」


 ラッティが槍を払い、貫かれた上に氷漬けにされたマーマンは、ボキンと折れて砕かれた。


「それよりも、前回と比べて成長しましたね、マスターさん」


 もはや人当たりのよい笑顔も、あれだけの戦いっぷりを見せられると恐ろしさしか感じない。


「……あまりうれしくない成長だがな。人として大切なものを失くしてしまった気分だ」


「人としての倫理観を捨てたんじゃなくて、戦士としての覚悟を手に入れたと考えてみてはどうです?」


「そんな簡単な話じゃない」


 そっぽを向く。


 改めて部屋を見渡すと、やはり酷い光景だ。

 折り重なったホムラネコの死体。

 黒ずんだ魔物たち。


「さっきの強いマーマンたちは指揮官だったみたいです。攻撃の手が止んでいるのはその関係でしょう。じきに動きがあるはずですが、それまでに邪魔な死体を外に出しませんか?」


 酷い光景だろうな。

 自分たちが攻め立てていた洞窟からどんどん黒焦げの何かと、猫と人間の死体が叩き出されていく様は。

 外の魔物たちはどう思うのだろう。

 少し興味はある。


「……全部自分たちの手で外に出すのか?」


 しかし実際にやると考えれば気が遠くなる。そんな死体の数。


「こればっかりは仕方がありません。いずれはやらなければならない作業です」


「せめて休んでから……」


「まあ、いいですけど」




≪万人長たちが戻ってこない……≫


 後のことを頼まれたマーマンの千人長、ガミは大いに迷っていた。

 退くべきか、どうか。

 もともと決断力に優れていたわけではない。

 ガミは勇猛果敢で、何も恐れなかったから真っ先に行動できる資質を持っていただけだ。

 万人長にはそこを買われて後の指揮を任されたのだが、考えなければいけない時にはとことん迷ってしまう。


≪きっと敵を殲滅し、中を調査しているのでしょう。大丈夫です。私に中の様子を探らせてください≫


 万人長が信頼していた偵察兵が進言する。


≪……いや、一度国へ帰ろう。これ以上損害を出すことは誰も望まない≫


≪!? そんな馬鹿な! そんな弱気はありえません!!≫


≪俺は万人長から後を任されたのだ。俺だけの判断をするならば、ここで退くなどたしかにありえん。だが後を任せてくれた万人長の考えを推し測れば、これ以上の犠牲は出せんのだ。万人長たちが勝ったなら、我々が退いてもいずれは戻ってくるだろう。そうでなければ、やはりここで無茶はできん≫


 ガミの思わぬ思慮にたじろぐ偵察兵。


≪しかし……! では、やはり私だけでもいいのでここに残していってください!≫


≪むっ……≫


 ガミは本音を言えば残していってやりたかった。

 逆の立場なら、ガミはたしかに洞窟を攻めさせてくれと頼んだだろうからだ。

 そして生きている敵を見つけたなら、殺された同胞や万人長たちを見つけたならば、無謀であろうと、そこで退くことなど絶対にしないだろう。


≪いや、駄目だ。お前はこれからも国のために働いてもらわなければならん。万一があっていい人材ではない。……すまんな≫


≪……いえ、立場を超えた発言をしてしまいました。申し訳ありません≫


 マーマンたちは撤退を開始した。




≪謎の空洞は囮だったか。悪知恵の働く奴だ……!≫


 魔物の国は、本物のシービショップに襲われていた。

 全てはタイミングが悪かっただけの偶然なのだが、魔物の国にとっては、防衛戦力を大きく欠いた上で奇襲を受けた形になる。


 奇襲を生き残った国民たちは、アクエリアス宮殿だけに収まらず、女王の住まう城にも収容され始めている。

 それでも国を一望すれば、一体どれだけの市民が犠牲になったのかと心が病むような光景だった。


 五千もの兵士たちが散り散りになっている。

 ミミズのような、無数の灰色触手の群れにのみ込まれ、孤軍奮闘の状況がそこかしこで起こっていた。

 施療院を守る一団、配給所を守る一団、民家を守る一団。

 逃げ遅れた者や、物資を運びだす者たちを、その通り道を守るために必死で戦っていた。

 そうして肩を並べて戦う勇士たちが、一人一人灰色に飲み込まれていく、悪夢のような光景だった。


≪お前たちだけでは持ち堪えられぬか?≫


≪……申し訳ありませぬ≫


 しかし、海の都は広過ぎた。

 国の兵隊は約七万。それを支える国民たち。その住処。

 外敵などいない。全て併合し、排除し、侵入を許してこなかったが故の、野放図な都だったのだ。

 それでも洞窟に送り込まれた二千の兵士がいれば、老将は被害をもっと少なくできたはずなのだ。

 彼は忸怩たる思いだった。


≪次はないぞ。もう限界だ≫


 老将グランスバルは答えることができなかった。


 そして女王が杖を掲げる。


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