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人でなし


 地獄だった。

 嗅いだこともないようなひどい匂いが漂っていた。

 身の毛もよだつような熱気と血の気。

 焼ける仲間の死体。

 笑う少女。

 赤い獰猛な四足獣。

 鬱陶しく着込んだ人間ども。


≪すまんが俺はここで死ぬつもりだ。お前たちは自分のタイミングで逃げろ≫


 万人長は二人の部下、ロウダとアズマズの表情をしっかりと見る。

 精悍だった。

 俺もこんな顔をしているだろうかと思い、表情を作ろうと意識する。


≪どうせなら、本当に海の悪魔、シービショップと戦って死にたかったですね≫


≪一兵卒だった頃からの付き合いです。ここまできたからには、最後まで≫


 頼もしいが、悲しくなった。

 万人長は密かに、二人を必ず生かして返そうと決意する。


「強そうなのが三体。小川の大将ですかね?」


 敵の言葉はわからない。マーマンにとって、悪魔どもの言葉だった。


≪あの女、あれが同胞を一等多く殺したらしい。まずはあれをやるぞ。ロウダ、周りの雑魚を抑えておいてくれ≫


≪了解です!≫


 ロウダと呼ばれたマーマンがバトルアックスを両手で握り、掲げて吠えた。


「おおっ! やる気ですね!」


 けらけらと。マーマンたちの気に障る。


≪さっさとやってしまいましょう≫


≪ああ。俺が合図をしたら、すぐに魔法を放てるよう準備をしておけ≫


 アズマスはメイジ。マーマンメイジの中でも氷属性の魔術に秀でた才人だった。


 ロウダが猫の群れに突っ込むと同時に、万人長も少女に仕掛けた。


≪二千も率いているのは流石に強いですね≫


 長剣での刺突を三つ又の穂先で受け止められた。

 アズマズの魔法を頼るつもりもなく、自力で仕留めんと繰り出した突きがあっさりと受け止められた。


≪!? 貴様っ、我らの言葉をっ!≫


 しかしそんなことよりも、敵の少女がマーマン語を喋ったことに、何より動揺した。


≪迂闊な≫


 動揺で一歩引いたところへ踏みこまれ、万人長は少女の攻撃を踏ん張りの利かない態勢で受け止めなければならなくなった。


≪ぐっ≫


≪そのまま倒れて!≫


 アズマズが氷の矢を魔術で放つ。

 三本の矢がそれぞれ別の角度から、二人の競り合う場所を射抜かんとする。

 万人長はとっさに反応して倒れこみ、矢を回避した。


≪おっとっと、結構鋭い攻撃ですね。油断できません≫


 少女は突きだした手のひらで受け止める。手のひらの前に作りだした、氷の盾で受け止めている。そのまま腕を振り払い、氷の矢を霧散させた。


≪マーマン語を喋っている!? 人間が、なぜ!≫


≪貴様は何者なのだ! 人間ではないな!? 人間に我らの言葉が流暢に発音できわけがない!≫


 少女が矢を振り払っている間に、万人長はそこから脱出した。


≪発音だけなら訓練次第でなんとかなるかもしれませんよ? ま、私が人間ではないというところは合っていますが≫


 気味が悪い。笑っている。


≪人間に変身する能力を追加して生み出されたのが私です。元はあなたたちに近い生き物でして、マーマンの言葉は理解できるし喋れるんです≫


≪お前たちは全員そうなのか。あっちで戦っている人間たちも、本当は人間じゃないのか≫


 奥で、ロウダが四足獣を相手に奮闘している。

 上手く攻撃をいなし、敵の魔術を受けないように立ちまわっている。


≪いえいえ、人間に変身しているのは私だけです。……もう再開していいですか?≫


 言いながら、少女は槍を突き込む。


≪ぐっ、お前が何者だろうと同胞の仇は討つ!≫


≪精一杯頑張ってください≫


 一合、二号と打ち合い、ほぼ拮抗していた刃は、次第に万人長が弾かれるようになっていった。


≪見た目通りの力ではない……! お前は一体なんなんだ!≫


≪竜です。でも、本当の竜の力はこんなものではありませんよ?≫


 マーマンの階級は個人の戦闘力で決まる。

 女王、ついで四将軍、その下に万人長、千人長。

 万人長が六人しかいない現状、彼は魔物の国でもトップ10に入る実力を持っている。

 その彼が、数合打ち合って押さえ込まれている。


≪ロウダ! アズマズ! お前たちは逃げろ! 女王陛下にこいつらの危険性を伝えるんだ!!≫


 ロウダは反撃にこそ移れないものの、上手くホムラネコと魔術師の攻撃を掻い潜り続けていた。


≪そんなことできません! 殿ならば俺が果たします! 俺より強い万人長殿が生き延びた方がいい!≫


≪おっと、そんなもったいないことは私が許しません。お三方にはここで死んでもらいます。逃げようとしても無駄ですよ≫


≪戦闘狂が!≫


≪うおおっ!!≫


 ロウダが猫の攻撃と追撃を躱し、少女と万人長の間に割り込まんと走る。


「逃がすな! 追い縋って引きずり落とせ!」


≪邪魔立てするなっ!≫


 ロウダは振り返らずに斧を振るう。

 飛びかかったホムラネコを二匹裂き、後続を撒いて急いだ。


≪おや、わざわざやられに来ましたか≫


≪待て! そのままアズマズと一緒に逃げろ!!≫


 後ろから迫る魔術師の炎を左右に避けて、ロウダはたどり着いた勢いでバトルアックスを振り絞った。


≪ふん、だぁああああ!!!≫


 マーマンの下半身構造を生かした強力なアクセルターン。


≪全然、駄目ですね。刃筋が立っていません≫


 万人長の剣戟を受けた流れで、少女は襲い来る斧の柄に槍の石突きを当てた。

 斧が折れ、はじけて刃は万人長をめがけ飛ぶ。

 万人長は難なく剣で弾いた。


≪……グブッ≫


 万人長が斧の刃を弾いている隙に、少女は無防備なロウダの胴を貫き、振り回した後にホムラネコたちへ向かって槍から振り落とす。


 ロウダは殺到したホムラネコたちに全身を噛みつかれ、赤く燃えた。


≪……アズマズ! お前だけでも逃げろ!≫


≪そっちも逃げないうちに殺っておきますか≫


 ぞっとするアズマズ。

 同胞のあっけなく、悲惨な最期に打ちのめされて、現実に叩き戻された。

 次は自分が……。


≪……やはり万人長がお逃げください!≫


 アズマズは無謀に立ち向かう。

 すんでのところでアズマズは戦意を取り戻した。

 みっともなく逃げ出すなんてできない。そんなことをして生き残るより、マーマンの、魔物の国の未来により貢献するであろう万人長を逃がす方が、彼女にとってもずっと必要なことだった。


≪ま、待て! お前まで、お前まで死ぬな!!≫


 敵の少女に立ち向かおうとするアズマズを、万人長が押し飛ばす。

 その時。


≪麗しいですが、退屈です≫


 万人長がアズマズの方を見た瞬間に、少女の槍が万人長の首を衝き落とした。


≪あ……≫


 次いで、アズマズも腹を貫かれる。


≪……あなたたち、もしかして恋人だったとか? それは悪いことをしました≫


≪……フォース、フォース! ぐっぁ……≫


 アズマズは痛みに耐えながら、自身の体から衝撃を発生させる魔法を使う。

 この悪魔に一矢報いようと放った魔法は、しかし悪魔を揺るがせもしなかった。


≪お疲れ様です。あなたたちの命は、決して無駄にはしません。安心してください≫


 貫かれた腹から、アズマズの体が凍る。


≪……死ね≫


 完全に凍結し、絶命した。


「おお怖い」


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