act:08-friend end
衰弱しているナナシの腰に手を回して、起き上がらせる。
もうHPが微かにしか残ってはいないが、すぐに回復させれば――と、ヘルヴァンの顔が歪む。何故か少しずつだが、水に濡れた角砂糖が溶けていくかのようにHPバーが溶けていっている。目の錯覚ではないかと、瞬きをするが、徐々に減っているのは現実のものだった。
――まさか、毒?
ゾンビにそんな特性があるなんて聞いたことがない。噛まれてしまえばゾンビに発症してしまうが、それも街でコネクトゾーンを潜ってしまえば治る代物。そこまでの脅威じゃない。だが、現にこうしてダメージを負っていき、悶え苦しんでいるナナシを見ていると、そうであるとしか思えない。
「ヘルヴァン……さん。私……」
「いいから。今から街に連れて行くから。そうしたら、またHPが回復するから、だから――」
引き摺る無数の音が聴こえる。
まさか、と思っていると。
今まで見たこともないような大量の腐った軍勢が蠢いていた。ここは一度プレイヤーがクリアしたステージだ。いくらなんでもこんなにも沢山のゾンビが発生するなんて事例がない。視界に収まりきれないほどのゾンビの大群が押し寄せてくる。
ヘルヴァンは震える手を宥めながら、銃弾を撃ち込んでいく。
「その……まだ……言いたいこと沢山あるんです。教えて欲しいことも、知りたいことも。……いっぱい、いっぱい……」
「ああ、分かってるって……。俺がお前に教えてやる。……このゲームのことをな。始めたばかりで失敗して死にかけたこととか、チームを組んで新しいステージに挑戦したんだが、そのチームの中で衝突が起きて、ステージに行く前に死にかけたこととか、俺にだって最初は師匠がいたことだとか、たくさん、たくさん……」
減衰していく意識の中でも、まだナナシは何かを伝えようとしてくる。早くヴィラの街へと急ぎたいにも関わらず、それを塞ぐのはゾンビの山。どれだけ数を減らしてもゴキブリのようにどこからか湧いてでてくる。
「……私、ずっと」
弱りきっていく声なんて聞きたくなかった。
ヘルヴァンには、悪い予感が脳裏を走っていた。ここはもしかしたら、日本なのかも知れないということを。もしかしたら、ゲームなどではなく、現実そのものなのではないのかということを。
「そうだ、リアルで会ってみないか? 顔バレなんてしたくないけどさ、お前にだったらいいやって思う。それに、お前が本当はどんな顔をしているのか気になるしな」
死んでしまったプレイヤーが、一度も顔を見せたことがなかった。それに、回復系のアイテムや蘇生系のアイテムがないことをも疑問に思っていた。
「……言えなかったことがあったんです」
もしかしたら、回復したくてもできないのではないのだろうか。
ゾンビに噛まれて攻撃を喰らって、そのダメージを瞬時に回復できるのは、コネクトゾーンを通った時だけだ。それがずっとおかしいと思っていた。
「それから、学校に行ってみないか? 俺の学校すげー古くてさ、廃校寸前なんだよ。いい思い出なんてなんにもないけど、夜に忍び込んでみたりしてさ、案内するよ。お前と一緒なら、あんな糞みたいな学校だって何だか楽しい気がするからさ」
そもそも、《VRMMO》などどいう技術を、何故ゲームのような娯楽に使っているのだろうか。
もしもそんな技術があるのだったら、政府はもっと世界の発展のために使用するのではないのだろうか。それをわざわざ、世界の人間に技術を発表したのは何故だ。一体何の目的があってそんなことをしたのか。
「知ってましたか? 私は――」
全ては、この世界を救うためだとしたら。
未来の世界を、誰かが変えることを試しているんじゃないのか。
「俺の姉貴とかさ、すぐ暴力振るうんだ。ムカついたことがあったら、拳どこからすぐに蹴りが飛んできてさ。紹介するよ。あんな姉でも、俺の両親よりかは少しはマシだと思うからさ……。そういえば、お前家族なんているのか? ……いや、答えなくていいや。楽しみはあとにとって置いた方がいいからな……」
「ずっと独りぼっちだったんです」
ナナシの言葉は、ようやくヘルヴァンに耳に届く。
銃弾の嵐が飛び交う中、その言葉だけは、体の芯にまで響いた。
「独りって、本当に辛いですよね。楽しいことも、苦しいことも、何もなくて、ただゆっくりと心が沈んでいくんです。ゆるゆると、いつの間にか呼吸ができなくなるぐらい深くにいて……」
この世界にヘルヴァンの居場所なんてどこにもなかった。
ただこのゲームの中だけが、唯一いてもいいところだと思えた。
「だけど、違いましたよね。私はきっと独りじゃありませんでしたよね」
「当たり前だろ!!」
胡乱としてきた瞳のナナシにも、声が届くように咆哮する。
――目は閉じるな。……何故なら、あきらめ、目蓋を閉じたその先には、本当の闇しか待っていない。
ヘルヴァンは物語のヒーローになりたかった。脇役以下の役割しか世間からは与えられず、ただずっと時間が過ぎていくのを肌で感じながらも、レールから逸れる勇気も持てずに、生きていた。そんな人間でもヒーローになれるような世界に憧れた。
映画の中に出てくるようなカウボーイ。
どんな悪党だって銃でやっつけ、そして、ヒロインを救う。映画のセリフそのままを口に出して、自分の言葉なんて言わずにここまでやってきた。
――ナナシです。
憮然とした態度でずっといるナナシ。彼女の前では飾った言葉は御法度で、少ない語彙力の中、剥き出しの心で感じたままに言葉を紡いでいった。必死になった。例え幻想世界の出来事であったとしても、それは輪郭のある、ぼやけてなどいない――リアルだった。
「……お前は……ナナシはッ! 俺の……初めてできた……」
ぐったりとしていて、冷たくなっていくナナシの肩を掴みながら、大音声で、口が裂けて血が出るまで開いて叫ぶ。
「――友達ッ――だから――」
…………だからッ…………だからッ…………と、喀血するかのように感情を吐露する。どうにも心を処理できないでいると、言葉すらでない。どうして、こんな時に格好良いセリフがでてこないのだろう。どうして、もっとナナシへの想いを告げることができないのだろう。
「――ありがとうございます」
悲しいまでに最期の最期まで笑顔を携えながら、露へとナナシは霧消した。映像グラフィックの光が虚空へと散っていく。闇へと呑み込まれていく光が消えていく中で、ぽつんとヘルヴァンだけが残された。
泣き叫ぶこともできず、嗚咽を漏らす。腹の底から湧き上がってくる昏い感情。視界が明滅としながら慟哭する。いつまでも、いつまでも、腕に残った温もりが冷めても、泣き続けた。そうしていれば、いつか帰ってくるのではないとか想って……。
だが、結局ナナシとヘルヴァンが再び邂逅することはなかった。
――銃声が虚空に鳴り響く。
ゾンビがひしめく密集地帯。どんなトッププレイヤーでさえも避けて通るようなステージに、ヘルヴァンはいた。銃を振り回しながら、悠然と歩いていく姿は、傍から見れば自ら死に急いでいるようにも見えるだろう。
そんな生き死に関わるような戦い方をしているせいで、未だに独りぼっちでプレイをしている。だがそれでいい。フレンド登録に一人の少女の名が刻まれている。ただそれだけで十分だ。
「いつか、また、この世界のどこかで……」
ナナシに初めて顔見合わせた時、彼女は壮絶なるピンチを迎えていた。そして、その最期も命の危機に晒されていた。ならばきっと、同じような状況下ならまたナナシに会えるだろう。
その時は、きっと今度こそ完全に助けてみせる。
薬莢がコンクリートの床に跳ねる。
どこまでも視界を闇に染めていく光景を瞳に写しながら、そうして探していく。彼女がどこかにいることを信じて、どこまでも歩いていく。
どこまでも、そしていつまでも。
coming soon