act:01-virtual world
少女は絶望的な光景に立ち竦んでいた。
粘りつくような闇から這いよるように、三匹のゾンビ達が少女を取り囲んでいた。
のそりのそりと緩慢な動きを見せるのが逆に恐怖を駆り立てる。
全身が火事で灼け爛れたような皮膚はベチャリ、ベチャリと音を立てながら、また一歩、一歩と少女を廃墟の端にまで追い込む。
涙で眼が滲みながらも、少女は手に持っていたハンドガンでデタラメに発砲する。銃声とともに数発発射されるが、ほとんどは建物の壁にめり込んでいくだけの無駄弾。
唯一身体に命中した銃弾は、ゾンビの顔の一部を抉っただけ。ゾンビに感情はないはずだが、思わぬ反撃を受けて怒ったかのように口を開きながら少女に近寄ってくる。
開けた口から広がるのは虚空。
一切光の見えない口元からは、まるで腐ったチーズのように口の上皮組織が糸を作っているかのようだった。
あまりに悍ましい光景に、少女は卒倒しそうになる。
だが、そのまま気絶してしまえば、即死は免れない。唇を噛み締めながら、必死にガタガタと震える銃口を敵に対して向け、撃つ。トリガーを引く。……のだが、何故か銃弾が発射されない。
カチッ、カチッと虚しい音が闇夜に響く。
弾切れ、と少女は口に出そうとするが、あまりの衝撃に声にならない。完全にゲームオーバーだ。絶対的な死の予感。背後から死神の足音が明確に聞こえてくる。唇を震わせ、不格好に頬が強ばりながら、覚悟を決めて目を閉じ
「目は閉じるな。……何故なら、あきらめ、目蓋を閉じたその先には、本当の闇しか待っていない」
不意に、横っ飛びに聴こえてきた温かな男の声。
フッと目を開けたと同時に、猛烈な銃撃の嵐が巻き起こる。耳をつんざくような銃撃は、ゾンビ達のHPバーを一気に溶かし切る。
信じ……られなかった。
駆逐するのに必要とした時間はものの数秒。いくらトッププレイヤーであっても、ここまで複数のゾンビ相手に無双できる人間が存在するとは思わなかった。あまりに圧倒的。巨像と蟻ほどの格差がついた戦闘だった。だが、
「怪我はないかい? お嬢さん」
助けてくれた男を見やった少女は、まるで北極にでもいるかのように全身を身震いさせる。
恐怖だ。
尋常でない戦闘能力を見せつけた男に、本能的に恐怖を抱いたわけではない。恐怖し、驚愕したのは、その男の格好だった。
まるで、西洋劇映画において登場するカウボーイの服装。
時代遅れで被る人間を選ぶであるカウボーイハットは、言うまでもなく不釣り合い。
首元のバンダナは真っ赤でこちらの眼球が異常に乾くので直視できない。オシャレだと思っているのか、ジーンズはボロボロで、備え付けられているガンベルトが今にもずり落ちそう。踵の高い光沢のあるカウボーイブーツは動くたびに高い音を鳴らして五月蝿い。
銃を無駄に回転させ、ガンベルトに慣れた動作で入れるのは、恐らく他やまぬ努力の結晶。どうだ、という幼稚じみた顔させしていなければ、少女も素直に称賛することができたはずだった。
「……あ、あの。あなたは何者なんですか?」
どなたですか、とか、あなたのお名前は? みたいなお決まりの定型文が頭を掠めたのだが、どうしても何者なのかと聞くことしか選択肢が見当たらなかった。目の前の変人には、その言葉が相応しいと思った。
「フ。お嬢さん。残念だが俺、ヘルヴァンは一匹狼。他人に名乗れるほど……ご立派な名前なんて持ち合わせてはいない」
混乱のあまり、頭に頭痛が走る。
一体、男にどんな企みがあるのかが分からない。天然なのか、それともこちらを油断させ、陥れるための策士の演技なのか。いや、演技にしてはあまりにお粗末過ぎる。少女を騙すために、これほどまでに低次元な会話を繰り広げる意図が掴めなかった。
少女はショックのあまり蹈鞴を踏みながら、なんとか言葉を紡ぐ。
「…………すいません、普通に名乗ってます」
ヘルヴァンと名乗った男は、ピキーンと凍りついた。
素だったらしい、先ほどの発言は完全に素だったらしい。途方もない馬鹿は、何とか威厳を保とうとしていたのだが、それも敵わず、深夜も深まっていった。それそろログアウトするか、という提案に乗って、男は少女を護衛しながら、コネクトゾーンのある村まで道程を一緒にした。
そう、これは世界最大規模のVRMMO――ホラーガンアクションオンラインゲーム、《ラン・アンド・ガン》だった。
黒夜白月先生発案・企画の小説です。
不定期更新&中編になりそうでが、よろしくお願いします。
※ご意見&ご感想があれば、ぜひ。構ってくれると作者は喜びます。