第7回:うっかりものエレジー
「……て、寝ないでよ。お兄ちゃん」
「……んあ? ああ、大事だって。わかってるっちば! ファイト千葉!」
「それって、なにかのギャグ?」
私は私の膝の上でうとうとしかかっているお兄ちゃんをゆすり起こした。お兄ちゃんは言葉になっていない言葉でごにょごにょとなにか言った。
あれから私は説明の続きを求めたが、お兄ちゃんは私の態度が癇に障ってしまったらしく、すっかりすねてしまった。
半分冗談のつもりだったんだけど(もう半分は本気だった)こうなったお兄ちゃんは結構意固地になる。子供っぽいのだ。四つ歳下の私から見ても。
で、部屋の端っこで体育座りをしたお兄ちゃんがこれ以上説明するのに私に出した条件がこれである。
「……耳掃除をしながらだったら話したくなるのかもね〜」
私はデコピンしたんだけど、そしたら鬱陶しい事に内山田洋とクールファイブの『東京砂漠』(私もよくは知らない)を口ずさみだしたので、私はあっけなく観念した。このモードに入るとお兄ちゃんは『大都会』『神田川』『昭和枯れススキ』と続くお気に入りメドレーをエンドレスで歌い続けるのだ。
……お兄ちゃんの趣味はわからない。鼻歌はいつもブロッコリー系のアニソンだし。
それはともかくとして、かくいうわけでお兄ちゃんの頭を膝に乗せて耳掃除を始めた私だったが、お兄ちゃんは疲れていたのかろくに話もせずに今に至るというわけである。
「ちゃんと耳掃除してあげているんだから、約束守ってよね」
お兄ちゃんを寝かさないように、ちょっと大きめの声で言う。
でも偉そうにしている割に、本当は耳掻き持って少しかき出す真似しているだけなんだけど。……だって、鼓膜破っちゃいそうで怖いから。
「あーあー、わかってるって。まぁ、だから俺は本当に死神なんだよ。あの世には閻魔庁ってとこがあって、まぁ、そこの役職名みたいなもんだったんだけど」
閻魔庁。で、死神かぁ。
「なんか聞いたことあるような感じだね」
「んだろ? ほら、なんて言ったっけ! アレ! 歩が持ってた少女漫画!」
歩というのは昔近所に住んでいた男の子で、私とお兄ちゃんの共通の遊び仲間だった子だ。
父親がJTこと日本たばこ協会に勤めていて、私が中二に上がる時に父親の転勤の関係で引っ越して行ってしまった。元々転校して来た彼は私達と遊んでいる間、筋金入りの漫画マニアとして勇名を馳せていたものだ。
で、その漫画というと……。
「『ぴたてん』?」
「惜しい!」
惜しいって、なに?
「死神でしょ? え〜と、じゃあ『闇の末裔』?」
「あ、それ! 大当たり!」
……なにが惜しかったんだろう?
私の疑問などお構いなしに、お兄ちゃんは突然起き上がると熱に浮かされたように目を爛々と輝かせる。
……うわ、耳掃除やめててよかった。
「俺さぁ〜、アレ読んですごく憧れてさぁ〜! 俺、死んだら絶対死神になるぞって誓ってたんだよ! なぁ!」
「なぁ……って、そうだね。そういえばそんなこと言ってたね」
メディアにはすごく影響されやすい男なのだ。でもまさか、その単純な思考を貫き通しちゃうなんて。ある意味、お兄ちゃんてすごい……。
「そう! やっぱり、男なら一度決めた目標は達成させないとな!」
死なないと達成できない人生の目標なんて立てないで欲しい。
「で、俺という男は見事、死神試験を一浪して突破し」
……一浪したんだ。
「研修期間も終え、晴れて新米死神様として下界に降りてきたってわけだ! なってみれば、実際の仕事は漫画の通りじゃなかったんだけどな! それでも今、俺は、猛烈に〜熱血してるぅ〜!」
それは大昔のアニメの主人公の口癖だよ。古いよ〜。
呵呵大笑。すごく誇らしげに言うもんだから私はそれなりに相槌を打つ。
「へ〜、英語検定3級だって受かったことないのにすごいじゃん」
「ほっとけ。……でもなぁ、死神試験てのは日本じゃぁ、倍率五千倍の超難関なんだぞぅ!?」
「え! そうなの!? それって、本当にすごいじゃん!!」
多分書類の手違いかなにかあったんだよ、なんて内心苦笑しながら。
「なはは〜褒めて褒めて〜もっと褒めて〜」
「天才♪ 超エリート♪ ナイスガイ♪ 末は閻魔か神様か♪」
「にゃははは〜! もっともっと〜」
「お兄ちゃん最高♪ ブッシュも真っ青♪ 石田純一よりも男前♪(うわ、ビミョー・合いの手)……んで♪ お兄ちゃんは誰を殺しにきたの〜?」
「そっれはね〜♪ 千歳だよ〜♪」
……。
……。
凍るお兄ちゃんの笑顔。
……やっぱりね。
私は、途中から薄々読めていた話の展開が見事に当たったことに涙した。誘導したのは私だけど、そこは口をすべらして欲しくなかったよ……お兄ちゃん。