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番外編:死神・後編

 ぽろん。

 飛び出た小ぶりだが形のよい胸を黄色いチェック柄のスポーツブラが飾っている。鼻息が鎖骨をなぞる。視線が舌で唾液を塗りこむように湿っぽく柔肌を冒す。

(やだよぅ! 助けてっ……助けて、お兄ちゃん!)

 千歳はここにはいない彼に届けとばかりにあらん限りの気持ちで念じ、叫んだ。

「はーい、千歳。呼んだ?」

 声はすぐそばから聞こえた。

「……なにやってるの、お兄ちゃん?」

「ビデオ撮影。あ、いいから、いいから! 続けて、続けて! 抱き寄せて!」

「誰が続けるのよっ!」

「じゃ、遠慮なく……」

「この異常な事態を受け入れるなぁっ!」

 千歳は季彦の頬をぺちんと音がたつほどひっぱたく。ゆらありと不気味なほどゆっくり振り返る季彦の目には剣呑さが宿っていた。

「……ぃってぇな、くそ……。ふざけんじゃねえよ」

 明らかに、季彦は怒っていた。

 好物のケーキを目の前にクリームの上に大量の醤油をかけられたような、たちの悪いいたずらに対する怒りのようなものだ。心待ちにしていた喜びを台無しにされた激しさがあった。

 太ももの横で握られた拳。腕には血管が浮かび、千歳を怯えさせた。

 一時的に理性がふっとんでいる。荒々しい暴力が千歳に降りかかるかもしれなかった。

「おとなしくしやがれっ」

「きゃぁっ」

 季彦が拳を振り上げた。千歳は両手で頭をかばって目を閉じた。しかし、いつまでたっても殴られることはなかった。恐る恐る目を開くと、千歳に対して暴力を振るおうとした季彦は良彦の太ももの間に頭を挟まれ布団の中につっぷしていた。

 フランケンシュタイナーという名前こそ知らないものの、良彦の好きだったプロレス技をかけたのだということを千歳は理解した。

「俺の千歳をいじめるやつは許さん」

 股間の下に気絶した季彦の頭を敷いたまま良彦が言った。

「お兄ちゃん……」

「ふっ、千歳。このお礼はキスの一つや二つで構わないぜ」

「……チャック開いてるよ」

「だぁぁっ! それを早く言ってくれぇ」

 良彦の慌て様をくすくすと笑う千歳。たとえどんな格好良いことをしたとしても、良彦はいつも、なにかが決まらない。

 けれど。

「ありがとう。大好きだよ、お兄ちゃん」

 どんなに格好悪くても、千歳にとっては一番のお兄ちゃんなのだ。

 ガチャ。

 その時、玄関の扉が開かれた。千歳と良彦が同時に見ると、そこにはぴっちりとした服を着て隙のない綺麗な化粧をした女性が立っていた。

 本物の、お店の女の子である。

 彼女は、布団の上で季彦の顔に乗りチャックをいじっている良彦と彼に身を寄せている千歳がいる、という惨状を見て、一言こう言った。

「今日は、服を着たまま四人プレイ?」


「あー、もうまったくお兄ちゃんと来た日にはこんなのばっかり! なんで男の人ってみんなこうなの!?」

「いや、もうこれは習性というかな」

「そんなわけないでしょ!」

 あれから、とりあえず本家本元のお店のお姉さんには説明してお帰りいただき、季彦君には目の前でまわすだけで記憶が書き換えられる日仕儀名道具で、都合の悪いことは忘れてもらったのだった。

 もう気分は最悪。千歳はむくれて、後ろを着いてくる良彦を引き離そうと早足で歩く。

「本当に助けが必要ならさっさと幽体化して逃げればよかったじゃないかよん」

「私がまだうまく壁抜けできないの知ってて言ってるでしょ。お兄ちゃんのいじわる」

「それより、あいつ放ってきちゃったけどいいのか? 残り3日で寿命だったんだろ」

「いいんだよ。あんなに元気な人に天界にこられても困るもん」

「んな、勝手な……」

「私は勝手をやるために死神をやってるんだもん」

 千歳は実のところ、現世に対する未練を完全に吹っ切れたわけではない。今でも、もし許されるならば生き返ってもう一度みんなに会いたいと思うし、こうして死神の仕事をしているときでも、仕事の合間に元気でやっているかほんの少しだけでものぞきたいとも思う。

 けれど決してやらない。

 それをしたら、きっと歯止めがきかなくなってしまうだろうから。

「あーあ、すっかり不良死神だな。誰に似たんだか」

「言わなくたってわかるでしょ? 悪い見本がいたんだよっ。正式な死神クビになって、今は雑用やっている落伍者さん」

「俺はっ、自分から辞めてやった……んだ」


 しかし、なんの偶然か、神の試練か。

 今、千歳と良彦が歩く道に、路地から現れる一人の男。

 彼こそ間違いなく、千歳が先輩と慕った宇留間飛鳥その人であった。

 驚き、立ち止まる足。

 絡み合う視線。

 沈黙の帳。

 開きかける口。

 しかし、千歳は何事もなかったかのように立ち去った。

 宇留間飛鳥という男など、もはや知らないと振り返らず。


「おい……千歳……」

 良彦はためらいがちに声をかける。千歳は良彦の顔を見ずに言った。

「さっ! 帰ろう、お兄ちゃん、天界に」

「千歳……いいのか?」

「お兄ちゃん。私は、大丈夫だよ」

 千歳は振り向いた。その顔は泣いてなどいなかった。

 それどころか、お日様よりも晴れやかに笑っているのだった。

「死神のお仕事が待ってるよ」


 死神は、天界に迎えられる魂を、無事に運ぶのがお仕事。

 その人の寿命を勝手に延ばしちゃったりするのは職務外どころか始末書もので、そうしょっちゅうやるわけにはいかないけれど。

 死神は、生きる意思のある人をちゃんと見守っているから。

 安心して、生きてほしい。精一杯、生きてほしい。

 なによりも、誰よりも、あなたたちのために。


 寝かされた季彦の枕元に、千歳が来たときには伏せられていた写真立てが置かれている。

 お店のお姉さんは帰る道すがら、不思議と学生時代を思い出す。

 宇留間飛鳥は、味のきついタバコを吸って紫煙を吐く。

「……なんだ、案外元気そうじゃねえか」



 小林千歳。出身、女子高生。享年十六歳。担当、関東。

 ちょこっと死神やってます。



                       終わり

番外編も終わりました。やはり冗長だったのではないかと、今でも悩んでいます。

千歳とその周囲にまつわるお話は、これにて一切完結とさせていただきます。ご愛顧ありがとうございました。

またの機会があることを願って。


さようなら。

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