第25回:要領を得ない解決
私は気がつけば道場に来ていた。
普通なら屋上にでも行くのかもしれないが、屋上は校長先生の散歩コースで、人が寄り付く場所ではないし、私にとって一番心がおける場所が道場だったんだろう。
私は木板の壁に寄りかかった。嗚咽が止まらなかった。止めたかったのに。
宇留間先輩がそこにいたのに。
宇留間先輩はまるで私がいないかのようにしていた。
こちらを一度も見ずに、黙々と弓を射る。無関心な態度が今は少し、ありがたかった。
しばらくして。
「……静かにしとけよ。練習の邪魔だ」
私がだいぶ落ち着いてくると、宇留間先輩は冷たい一言を放つ。先輩のきつい一言一言にはもう結構慣れていたから、私は言われるままに静かにしようと心がけた。でも、気持ちとは裏腹に口は開きたがった。
「……出てけとは言わないんですか?」
「……これ以上泣かれても困る」
「ずっと居座るかもしれませんよ」
「いればいいじゃねえか」
「いても、いいんですか。私、練習の邪魔になりませんか?」
「……別に。気にしない。それに、俺は教師じゃない」
「……じゃ、います」
それから、私は膝を抱いたまま、ずっと宇留間先輩の射を見つめていた。
…………。
「ねぇ、先輩」
「……ん」
「先輩は泣かないんですか?」
「泣かねえ」
「一生?」
「死んでも泣かねえ」
「大切なものをなくしても?」
「……んなもんはねえ」
長い沈黙の後に、宇留間先輩は答えた。動揺しているようにも見えたけど、矢は的を外れていなかった。
「お前、泣き止んだなら、黙ってろ。射るぞ」
「……すいません」
私は謝りながら、先輩も強い人なんだと、ぼんやりと思った。
彼は人を傷つけないのかというと、それは間違いかもしれない。実際、普段無駄に怖いし。
でも、傷ついたものを痛めつけたりはしないようだ。他への無関心は他人のため? わからないけど。無造作に人を傷つけたりしないためだったりするの?
それは、思いやりというよりは……案外人に干渉するのが怖いだけだったりして。
人を傷つけるのが怖い。人に傷つけられるのが怖い。人に依存するのが怖い。誰かが、知らないうちにかけがえのないものになってしまうのが怖い。
かけがえがないのに、なくなってしまうものはあるから。
それだったら、私にもわかるかもしれないんだけど、な……。
そんなとりとめのない思考をしているうちに時間は過ぎて、自分でも気付かないうちに嗚咽は治まっていた。彼は理由さえ聞かなかった。
「……じゃ。私、もうそろそろいきます」
「……ん」
振り向かないことはわかりきったことだったから、私は思いっきりアッカンベーをして、それからちょっとだけ礼をした。
それで、結局網澤さん達の件はどうなったのかというと。
もう一度、しっかり網澤さん達と話をつけないといけないと、意気込んで教室に戻った私の眼前には『和やかに談笑する児島さん』と網澤さん達の姿があった。私は正直拍子抜けした。どうやら私が道場に逃げ込んでいる間にことは運んで決着はついてしまったようだった。
釈然としないものがあったけど、蒸し返すわけにもいかなかったから、私はその輪に順応しようとした。児島さんはその日始終笑顔だったけど、網澤さん達はどことなく怯えているように思えた。教室の備品もところどころゆがんでいるように見えた。
(……結局どうなったの?)
その日から、網澤さん達は児島さんにも私にも不気味なくらい丁寧な態度をとるようになって、斯波君の話もしなくなった。しばらくして、斯波君も三中出身だという話を聞いたけど、そのことは私の中では結びつかなかった。
児島さんが昔『鎖姫』ってあだなのレディース(こわいひと)だったとか、たまに児島さんに敬礼する男子生徒がいるとか、児島さんはたまに警察のことを『サツ』と呼ぶとか、想像を膨らませる要素はあるけれど。
私は、そうすぐには網澤さんたちを許せそうにはないが、児島さんがこれでいいなら私は無用な詮索も、話題の掘り返しも、やめておこう。
なにごとも、平和が一番だから。
この章も終わり。