第22回:一歩だけ踏み出して
数日後の放課後、誰もいなくなった教室。
濡らしたタオルで机に書かれた汚い言葉を消していた私は、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
児島さんだった。私は心底ほっとした。
「……ありがとね。あたしの机……毎日消してくれてたの、小林さんだってわかってた」
私は何も言えなかった。児島さんの顔を見れなかった。
「でも、もういいよ。もしかしたら感づかれちゃうかもしれないし。そしたら、小林さんも……」
私は首を振った。
「無理しなくて良いって。あたしはさ、中学で慣れてるから。小林さんが気にしなくても、大丈夫だから」
「……本当に?」
「本当だよ。全然平気。だから、ね」
「……ダメだよ」
私はその言葉を搾り出した。児島さんが強くて優しく思えて……自分がみじめで、悲しくて泣きそうだった。
「ここで私なにもしなかったら、後で絶対自分のこと許せない。……これは、最低限の私の自戒なんだ」
私は、児島さんの為だけにやっているんじゃない。そんな、おしつけがましいことじゃない。だいたい、きっかけは私が作った。
人との出会いは一期一会。一度機会を失ったら、二度目はない。
後悔は一生残るんだ、忘れても。
私はくだらない人間になりたくなかった。
「……それでもありがとね」
児島さんは私を抱きしめてくれた。
「一歩踏み出してくれて、ありがとう」
私は「ありがとう」を言われるような人間じゃない。
けど、こんな私でも誰かに認めてもらえることは嬉しかった。それだけで、自分がここに存在している価値があるように思えた。
私は自由にならない手を児島さんの背中に巻きつける。
「あ。なにしてるのー?」
ガラッとドアが開いて、女の子の声がした。児島さんの肩がびくりと震えた。
児島さんは私をかばうような姿勢をとったので、私は目の前にかざされたその手を握った。
「大丈夫ですよ。あの子は新田小春っていって、私の友達です」
「あーなんか楽しいことしてるんでしょー? 小春もまぜて〜」
小春はとことこと近寄ってきた。小春はタオルを絞ってきたのだが、絞る際に色つきのしぶきが飛んだらしく、顔に黒のまだら模様ができていた。
「ね。人畜無害」
「新種の天然記念物?」
児島さんと私は、おかしくて声を上げて笑った。