第18回:斯波君のお誘い
一年前。セミの声も耳に慣れるようになってきた六月の終わり頃。
蒸し暑い午前の授業から解放された私は、あまりのだるさから礼を終えるとすぐに机に突っ伏したりしていた。
(なんで日本はこんなに暑いんだろう……これも温暖化の影響?)
赤道直下の国はもっともっと暑いだろうに、毎年夏バテ気味の私は、差し迫った夏の始まりにもううんざりしきっていた。
「小林さーん。ちょっとちょっと!」
クラスメートの呼びかけに、気だるげに身体を起こす。
顔を赤らめたクラスメートの根津さんが教室の入り口で手招きしていた。どうやらその背後には誰か立っているらしい。
「あれって、もしかして隣のクラスの斯波君?」
「うっそー。今日学校きてたんだー♪」
「えーなんでなんで。斯波君が小林さんに何の用なのぉ?」
クラスメート達が騒いでいる中、私の意識はゆっくりと覚醒していった。斯波君、と言われても私には誰だかピンとこないんだけど、その斯波君とやらの顔を見てハッと思い出した。
(……あ。宇留間先輩のおホモダチ……)
ついついあのシーンを思い出してしまって、顔が赤くなるのを感じた。
「なんで僕が小林さんを呼んだか、わかる?」
空いていた音楽室に連れて行かれた私は、着くなり斯波君にそう尋ねられた。晩御飯のメニューでも聞くような軽い調子だった。
「えーと、あのこと……でしょう。宇留間先輩と、一緒に、いたときの……」
ダイレクトに言うのははばかられて、なんとかぼかす言葉を探していると、
「そう。僕と先輩のラヴシーン♪」
斯波祐貴は軽いノリで言った。
「二人きりの密室……顔を上気させた僕が切ない吐息を吐いて、先輩を求める……『先輩、身体が熱いよ』……先輩は僕を見透かしたような視線で、はだけた学生服の隙間から、その長くて繊細で、それでいてしっかりと肉付きのした指が僕の肌に触れようと侵入し……」
「あー、そこら辺の説明はどうでもいいんですけど」
いきなり悦に入ったように語り始めた斯波君に、私ははっきりと告げた。
「えー。詳しく聞きたくない?」
「聞きたくないです」
他人のラヴシーン描写なんて聞きたがるんだろうか、普通。とりあえず、私は年齢なりに頬を赤らめたりすることはあるものの(年頃の女の子ですから)ホモに興味はなかった。
「えー、つまんないの」
この人、愉快犯だ。
「ま、いーや。とにかく、そのこと。誰にも言ってないよね?」
「言ってません。こんなこと、喜々として広める趣味ありませんから」
「そ。ならよかった。学校にばれたら色々と面倒くさいしさー」
ピアノの椅子に座りながら言う。もしかして前科があるのだろうか。
斯波君はしゃべるときは飄々(ひょうひょう)として、親しい人と語り合うように私にも話しかけてきた。妙になれなれしくて、でも、嫌な印象は与えない。得な人だと思った。
「あ、でも、小林さんの気が変わって秘密をチクっちゃわないか、ちょっち不安。もう、一回停学受けてるからやばいんだよねー」
「は? そんな、しませんて」
メリットも何もないし。説明するのも恥ずかしいじゃないか。
「でも、弱み握られてるから不安なの。……あ、そーだ、じゃぁ、小林さんにも僕らの共犯になってもらおう♪」
「はい?」
「僕の彼女になってよ、千歳ちゃん♪」