第17回:学校生活にはままあるちっぽけで重大な出来事の始まり
思えば、あの時の私は髪のセットをするのも忘れていて、病み上がりということもあってひどい顔をしていて、宇留間先輩が変な顔するのも当然のことだった。でも、そのことを思い出すと、とっても恥ずかしいので思い出したら、二秒で忘れることにしている。
「お先に失礼します」
もうすぐ朝のHRの時間。朝練を終えて、私は道場を後にした。
宇留間先輩は「ん」と答えるだけで振り返ったりしないで的に向かう。どうやら今日も午前の授業はサボって練習らしい。不良なんだか真面目なんだか、私には本当わからない。
「つまんな〜い」
垣根の傍に座り込んでいた良彦お兄ちゃんがぼやいた。練習中にあんまり騒ぐものだから追い出しておいたのだ。人がまじめに練習している横で一人小芝居始めたり、ミュータントタートルズの悪役タコのモノマネしたりしたら、怒るよ、普通。
そう言って私がたしなめたら、その後はずっとお兄ちゃんはふくれっつらなのだ。
「……千歳、なんか楽しそーな顔してる」
「え。え。そんなことないってば」
「……嘘だ、なんか顔笑ってるし〜」
「えー。笑ってなんかないってばぁ」
「なら俺にキスしてくれ、千歳」
「なんでそうなるのよ」
ぺし、とお兄ちゃんの頬を叩く。すごく自然にツッコミを入れられたのは昔を覚えているから。そういえば昔はよくじゃれあったりした。
「誰と話してんのー?」
突然頭上から降ってきた声。
通用口から校舎に入ろうとしていた私をとめたその声に上を向くと、外付けの階段から人好きのする愛嬌のある顔がひょっこりと顔を出した。
斯波祐貴。かつて宇留間先輩と熱烈なシーンを展開していたあの子だ。私と同級で、隣のクラスである。
「え。なんでもな……」
と、言いかけた私を、
「俺だ」
遮って言い放ったのはお兄ちゃんだった。
「だからどうしたっていうんだ」
なぜだかケンカ腰だった。
「ちょ、ちょっと……」
「気にするな、千歳。こいつはなんだかナンパ虫な匂いがする。お兄ちゃんが追っ払ってやるからな」
「そんな事しなくていいって」
「千歳ちゃん、その変な格好の人知り合い?」
きょとんとした表情で私に聞いてくる祐貴君。言われて、私はそこでようやく良彦お兄ちゃんの服装が変わっていることに気付いた。
オレンジや黄色の原色に近い配色の、サーカスのピエロが着るようなやたらに派手な服。顔にペイントはないものの赤くて丸い付け鼻はあるし、帽子には二つに割れた先に白いふわふわがついていた。
「……なにその格好」
「威嚇ファッション」
ピエロ男は臆面もなく答えた。
「おい、お前、千歳に近づくとただじゃおかないぞ。俺の鞭をもってすればアフリカ象だって玉に乗るのだ」
それでは調教師である。
「へー、無恥ってすごいね。ところで事務員さん呼んでいい?」
祐貴君は仲間を呼んだ。
ピエロ男は逃げ出した。
しかし、回り込まれてしまった。
事務員の奥村さんに事務室まで連れて行かれるピエロ男を見送りながら、祐貴君は私に尋ねてきた。
「あれって、千歳ちゃんの知り合い?」
「え。見たこともないよ?」
よどみなく言えた。
なんであんなことをしたんだろうか、お兄ちゃんは。あんな服着て、わざわざ姿現して。
威嚇ファッションって……よくわかんないし。それに、ナンパ虫って……。
(……あ、でも。そうか)
そういえば、祐貴君は美少年顔である。サラサラの髪に線の細い中性的な顔立ち。人なつっこい印象があって、女子に人気がある。
お兄ちゃんはそこが癇に障ったかどうかしたのだろう。気にしなくて良いのに、お兄ちゃんはこういうところで空回りする。むしろ暴走すると言ったほうが的確かもしれない。
(小学生よりひどいよ)
私はため息をつきつつ、隣にたたずむ祐貴君との出会いに始まる思い出を思い出していた。
それは去年の一学期に起きた一連の騒動のきっかけになることだった。