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深夜二時のコロネと、あかない窓

掲載日:2026/10/18

### タイトル:深夜二時のコロネと、あかない窓


午前二時十三分。 デスクトップの液晶画面が放つ青白い光が、志乃の眉間の深いシワを冷酷に照らし出していた。 カタカタ、ターンッ! 叩きつけるように打ったエンターキーが、静まり返った部屋に虚しく響く。


「……なんなのよ、これぇ!」


思わず頭を抱えて唸った。 画面に表示されているのは、最近新しく登録してみた小説投稿サイトの管理画面だ。 数字が、動かない。 以前いた別のサイトでは、それなりにファンもいて、更新すれば「待ってました!」「今日も笑いました」と温かい星や感想がついたものだった。なのに、ここは一体どういうことだ。 総合評価:★☆☆☆☆(閲覧数:12)


「低評価どころか、ほぼ無風じゃないの! これじゃあいつになっても、芥川賞も直木賞も本屋大賞も遠のいていく一方じゃないのよぉぉぉ!」


まだ一行も文芸誌に載ったことすらないのに、文壇の最高峰ばかりを気にする志乃の脳内は、すでに受賞辞退の記者会見のシミュレーションまで完了している。それなのに現実は、閲覧数十二。そのうち三回くらいは自分で確認のために踏んだやつだ。


「あーもうっ! 自分の機嫌は自分で取れって、お釈迦様だか誰かも言ってたでしょ! ……よし、突撃!」


志乃はヨレヨレのスウェットの上に、適当なフリースを引っ掛けると、財布を掴んで玄関を飛び出した。


深夜二時の冷気が、カッカと熱を持った頬を撫でる。 街灯がアスファルトに落とすオレンジ色の影を乱暴に踏みつけながら、早足で向かう先は、徒歩三分の一角にあるコンビニだ。


(ふふん、この時間なら、あの癒やしの蓮れん君が夜勤に入ってるはず……!)


蓮君。地元の大学に通っているという二十歳の爽やかイケメン店員だ。彼が「温めますか?」と子犬のようなタレ目で微笑んでくれるだけで、荒んだ志乃の心はオアシスを見出した旅人のように潤うのである。


自動ドアがウィーンと開いた。 志乃は目を凝らしてレジカウンターを凝視する。


そこに立っていたのは――。 無精髭を生やし、死んだ魚のような目で棚の納豆を見つめている、四十代半ばのベテラン店員・佐藤さんだった。


「…………いなかった」


がっくりと肩を落とし、小さく呟く。 「ざんねん……」


天に見放された気分になりながら、志乃はとぼとぼとパンコーナーへ向かった。 「何かおいしいものはないかな……」


実は、志乃はもともとパンが余り好きではない。口の中の水分を全部持っていかれるパサパサ感が苦手なのだ。だが、深夜のヤケクソ状態の脳は、普段なら絶対に選ばないような派手なパッケージに吸い寄せられてしまう。


目あたらしい新作の棚から、ふたつを手に取った。 ひとつは『至福のくちどけ! ダブルホイップコロネ』。 もうひとつは『ジューシー&スパイシー! ミックスピザスティック』。


レジ袋をぶら下げ、トボトボと夜道を歩いて帰宅する。玄関の鍵を閉め、手を洗うのもそこそこに、リビングの椅子に座り直した。


「よし。これで血糖値を急上昇させて、神のような名作をキーボードに叩きつけてやるんだから」


まずは『ダブルホイップコロネ』の袋を破る。 巻き貝のようなパンの奥から、純白のミルクホイップと濃いチョコホイップが顔を覗かせている。見た目は百点満点だ。 志乃は大きな口を開け、ガブッとかぶりついた。


モグ……モグモグ……。


「…………ん?」


咀嚼の手が止まる。 鼻腔に抜けていく香りに、強烈な違和感を覚えた。


「な、なにこれ……? チョコとミルクのダブルホイップのはずなのに……なんでシンナーの香りがするのよ!?」


アルコール揮発剤の匂いが強すぎるのか、それとも香料の調合をミスったのか、ケミカルで人工的なツンとした刺激が舌の根元を襲う。 ここのところ数字が伸びないストレスで拒食気味だった胃袋が、異物混入を感知した警報機のようにキュッと縮み上がった。


「うぇっ、まずい……! なんでこんな時に限ってハズレ引くのよ!」


ペッとティッシュに吐き出したいのを必死で耐えて飲み込み、怒りに任せて二個目の袋を引きちぎる。 『ミックスピザスティック』だ。惣菜パンなら裏切らないはず。 がぶり。


「…………冷たい上に、ケチャップが異様に酸っぱい……!」


チーズのコクはどこへやら、安っぽいトマトペーストの酸味と、湿気た油の匂いが口いっぱいに広がった。


「なんなのよーーーっ!!」


志乃はテーブルに突っ伏して叫んだ。 なぜだ。なぜ深夜二時半に、好きでもない不味いパンを二個も連続で噛み締めなければならないのか。低評価の呪いなのか。


「……ハァ。落ち着け、落ち着くのよ志乃……」


ふらふらと立ち上がり、冷蔵庫から紙パックの成分無調整牛乳を取り出した。コップに注ぎ、椅子に深く腰掛ける。 胃の粘膜を守るように、牛乳を口に含み、ゆっくりと、かみかみするようにして味わう。


ごくん。 ひんやりとした優しい甘みが喉を通っていく。


「……ふぅ。……こんなもので機嫌悪くなってる場合じゃないわよね」


天井を見上げ、志乃は小さく息を吐いた。 大切な読者に、心のおもてなしをするのが私の役目じゃないの。 たとえ画面の向こうにいるのが、たった十二人だったとしても。その人たちに「ふふっ」と笑ってもらえるような、あったかい物語を届けるのが書き手の矜持でしょうが。


「だけどさぁ……」


志乃は牛乳のコップを両手で包み込みながら、ぽつりとこぼした。 頭に浮かんだのは、昼間ネットで見かけた心理学の言葉――『ジョハリの窓』。


人間には四つの顔があるらしい。 自分も他人も知っている自分。 自分は知っているが他人は知らない自分。 他人は知っているが自分は知らない自分。 そして、誰も知らない未知の自分。


「私が人からどう見られてるかなんて、考えなくても分かるわよ……」


志乃は自嘲気味に口角を歪めた。 他人の目から見た志乃なんて、きっと―― いい加減で、突拍子もなくて、ちゃらんぽらんで、その場しのぎ。 行き当たりばったりの、不誠実なやつ。 何か失敗しても、鶏のように三歩歩くとすぐにケロッと忘れてしまう、能天気なお気楽極楽女。


「ごめんなさーい。その通りでございまーす……」


誰もいない部屋で、志乃はぺこりと頭を下げた。 鶏頭でごめんなさい。計画性がなくてごめんなさい。 でもね、違うのよ。 忘れたくて忘れてるわけじゃないの。 落ち込んでると息が苦しくなるから、心が勝手にリセットボタンを押しちゃうだけなのよ。


「誰か私のいいところ、教えてくださいなの……すりすり」


志乃はテーブルの端っこに頬を擦り付けた。 冷たい木目が、微熱を持った頬に心地いい。 誰かに褒めてほしい。 「あなたの書くお話、面白いよ」って、たった一言でいいから言ってもらいたい。 承認欲求の亡霊が、パジャマの裾を引っ張っている。


ピロン。


静寂を破って、PCから短い通知音が鳴った。


「……ひゃい!?」


志乃は椅子から跳び上がりそうになった。 慌てて画面に飛びつく。 深夜二時四十五分。更新したわけでもないのに、新着のメッセージマークが赤く点灯していた。


震える手でマウスを握り、クリックする。


『はじめまして。通りすがりの読者です。 深夜に眠れなくて、なんとなくタイトルに惹かれて読みました。 主人公の女の子が、変に格好つけないで、失敗してドタバタしながらも最後にはケラケラ笑っているところが、すごく可愛くて元気が出ました。 読んでいて、作者様はきっと、とても心のあったかい、優しい方なんだろうなと思いました。 明日も仕事で憂鬱だったんですが、クスッと笑えて、少し救われました。 続き、楽しみに待っていますね』


「…………っ」


画面の文字が、じわじわと滲んでいく。 志乃の大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちて、キーボードの手前に落ちた。


「なによ……これ……」


他人は知っているけれど、自分は知らない自分。 『盲点の窓』。


私は自分のことを、ただのちゃらんぽらんで、無責任な鶏野郎だと思っていた。 でも、画面の向こうの誰かには――私の書いた言葉を通じて、「あったかくて、優しい人」に見えていたのだ。


自分の機嫌を自分で取るためにコンビニに走ったけれど。 結局、私の機嫌を本当に直してくれたのは、見ず知らずの読者からの、たった一通の真心だった。


「……ぐすっ。鼻水出た」


袖口で乱暴に目元を拭い、志乃はグッと背筋を伸ばした。 喉の奥に残っていたシンナーくさいコロネの不快感も、冷たいピザパンの後味も、綺麗さっぱり消え失せていた。


牛乳を一気に飲み干す。 ぷはぁっ、と息を吐くと、胃の底からじんわりと新しいエネルギーが湧き上がってくるのが分かった。


「よーーーしっ!」


志乃は両手で自分の両頬をバチンッ! と叩いた。 痛い。でも、最高に目が覚めた。


「待ってなさいよ、通りすがりの優しい読者さん! 芥川賞も直木賞も本屋大賞も、ついでに蓮君の笑顔も、全部この私がかっさらってやるんだから!」


深夜三時の部屋に、再び小気味よいタイピングの音が鳴り響き始めた。 鶏は三歩歩けば嫌なことを忘れる。 けれど、もらった優しさの温もりだけは――何歩歩いたって、絶対に忘れはしないのだ。



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― 新着の感想 ―
すみません、またオレですm(__)m ジョハリの窓、どっかで見たぞ〜 そういうもんかねぇ、って感じ。 メジャーな賞も良いけどね。 自分流で書いて、賞取れたら良いけど。 なかなか、ねぇ。 ああいうのっ…
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