30.裏切りの襄陽
初平3年(192年)7月 荊州 南郡 襄陽
荊州南部で反乱勃発と聞いて、急いで襄陽へ駆けつけてみれば、蔡瑁、蒯良、蒯越の裏切りに遭う。
俺と周瑜、孫河は10倍以上の兵に囲まれてしまい、傍目には絶体絶命だった。
しかしなんとしても脱出すると決めた俺は、周囲の兵に問いかける。
「念のため聞くが、この荊州牧 孫堅の命に従おうという者はいないか?」
しかし兵士たちは固い表情のまま何も答えず、蔡瑁たちは薄笑いを浮かべている。
すると周瑜が、状況を解説してくれた。
「無駄ですよ、孫堅さま。おそらく蔡家と蒯家の私兵によって、この襄陽は制圧されています」
「フフン、そのとおり。すでに逃げ道はないのだから、おとなしく縛につくがよい」
蔡瑁が得意げに応じるが、逆に俺の覚悟は固まった。
奴らの私兵ならば、遠慮なく攻撃できるというものだ。
俺は自身の内面に向き合うと、ソンケンの人格を前面に押しだした。
その途端、暴力的な衝動が湧き出し、熱い活力がみなぎった。
「うおお~っ! この孫堅 文台。簡単には討ちとられんぞ。てめえら、覚悟しやがれっ!」
そう言うやいなや、目の前にいた兵士を斬り捨てた。
ほんの一瞬で味方がやられたのを見て、敵兵があっけに取られる。
その隙をついて2度、3度と剣を振るった。
俺が剣をひと振りするたびに、敵の死体が生まれていく。
その嵐のような攻撃を目にして、兵士たちはすっかり怖気づいた。
ここでようやく我に返った蔡瑁が、声を上げる。
「矢だ! 矢を射てっ!」
「「「はっ」」」
その途端、10本ちかい矢が飛んできたが、剣で切り払った。
今のソンケンは、まさに野獣。
その身体能力と察知能力は常になく高まり、敵の攻撃をはねのけてみせる。
「周瑜、孫河。外だ!」
「はい!」
「はっ!」
俺は暴風のように暴れながら、外への道を駆け抜ける。
その傍らを周瑜と孫河が固めることで、死角からの攻撃を防いでくれた。
さすがに俺には劣るが、2人とも勇猛な戦士だ。
「こらっ、逃がすな!」
「逃げるな、孫堅!」
蔡瑁たちが慌てているが、そんなもの知ったことではない。
やがて行政府の外に飛び出ると、俺の護衛兵が囲まれているのが目に入った。
敵に剣や弩を突きつけられ、武装解除されようとしている彼らに、大声で呼びかける。
「おい、てめえら。蔡瑁たちが裏切った。そいつらは敵だ!」
「なっ、孫堅!」
「ぎゃあっ!」
「うおっ、抵抗するか!」
護衛たちもいきなり武器を突きつけられて、戸惑っていたのだろう。
そこへ俺が現れて事情を明かしたことにより、一気に逆襲に転じる。
これによって行政府の前は、大混乱に陥った。
その混乱に乗じ、敵を斬りふせながら護衛と合流する。
「野郎ども、船を奪って逃げるぞ!」
「「「おう!」」」
その後はそれまで以上の大乱闘だ。
立ちふさがる敵を斬っては捨て、斬っては捨てして突き進む。
来た道をそのまま戻り、船着き場へと向かった。
当然、蔡瑁らの兵が邪魔しようとするが、状況の急変についてこれない者が多い。
その隙をついて城門を抜け、なんとか船着き場までたどり着いた。
そのまま手頃な船を奪うと、目につく味方を乗せてから出港する。
ようやく追いついてきた敵から矢が飛んできたが、俺と孫河が切り払った。
動ける者は総出で櫂をこいでいるため、グングンと距離が離れていく。
ここでようやくひと息ついて味方を見回すと、みんな傷だらけだった。
多かれ少なかれ傷を負い、返り血を浴びているので、ひどい有り様だ。
かくいう俺も、数カ所に切り傷を負い、左腕には矢が刺さっていた。
ソンケンの力で暴走してなかったら、とっくにへたり込んでいるところだ。
「残ったのは半分くらいか。ずいぶんやられちまったな」
「仕方ないですよ。あれは予想外でしたから。脱出できただけでも、奇跡ですよ」
「……いや、これぐらい、予想しておかなきゃいけなかったんだ」
「……孫堅さま」
周瑜の慰めを、俺はばっさりと振り払った。
今さらのことだが、洛陽で賈詡に忠告されたのは、このことだったのだろう。
なのに俺は、蒯良や蔡瑁を仲間と思いこみ、裏切りを防げなかった。
彼らは優秀で働き者だったから、仲間として過剰な期待を抱いてしまった。
今までは、上手くいき過ぎていたというのもあるだろう。
おかげで俺は、仲間に裏切られるなんて、夢にも思わなくなっていたのだ。
その結果がこのざまだ。
なんとか逃げたはいいものの、護衛を半分も討ちとられた。
情けない思いで沈んでいると、周瑜に諭される。
「いずれにしろ、まずは敵の追撃を振り切らねばなりません。考えるのはそれからにしましょう」
「……そうだな。幸いにもこの辺は、俺の庭みたいなもんだ。まずは敵の目をくらますとするか。よし、あっちへ向かうぞ」
俺は気を取り直して、進路を指示する。
この襄陽に赴任して、もう2年も経つのだ。
その間、いざという時のために、周囲の地形はよく調べてあった。
さらに幸いなことに、追手の動きが鈍かった。
「まだ追いついてこないな?」
「それは孫堅さまが、たくさん斬り捨てたからじゃないですか? 怖くて追ってこれないんですよ」
「ハハハ、それはたしかに」
周瑜の指摘に、笑い声がまき起こる。
まだまだ敵中だというのに、のんきな奴らだ。
しかし周瑜は、別の可能性も指摘する。
「おそらく船を奪われるなんて、想定してなかったんでしょうね。それと襄陽の住民も、味方してくれてるようでしたよ」
「ん、そうなのか?」
「ええ、私たちは簡単に通してくれるわりに、追手には邪魔する人たちがいました。おそらく孫堅さまが追われているのに、気がついたのでしょうね。これも孫堅さまが、善政をしいていたおかげですよ」
「そうか。それは嬉しい話だな。ならば1日も早く襄陽へ戻って、実権を取り戻さねばならん」
「ええ、皆もそれを待ち望んでいるでしょう。絶対にこの借りは返しますよ」
そう言う周瑜の顔は、決意に満ちていた。
おそらく我が軍の諜報担当として、出し抜かれたのが腹にすえかねるのだろう。
まだ年若い彼を責める者は、さすがにいないと思うが、そのプライドを傷つけたのは間違いない。
俺はそんな彼を慰めるよう、無難な言葉を掛けた。
「まあ、まずは生き残るのが先決だ。後で奴らに、吠え面をかかせてやろう」
「ええ、かならず」
その後、周辺の地形を利用して、敵の目をあざむくことで、夜まで逃げきった。
そこで休憩した俺たちは、後続の軍と合流すべく、北へ向かう。
そして2日後には新野で、淯水を下ってきた先遣隊と合流を果たした。
「蔡瑁たちが裏切ったですと?」
「ああ、そうだ。今から速攻で襄陽を取り戻す。覚悟はいいな?」
「もちろんです。あの野郎、以前から上品ぶりやがって、気に入らなかったんだ。ぶっ殺してやりますよ」
「おいおい、領民を傷つけないよう、気をつけてくれよ」
「それはもちろん。目にもの見せてやりましょう。フハハハハッ」
先遣隊を率いていた黄蓋が、事情を聞いて張り切っている。
やはり蔡瑁たちは、エリート面をして嫌われていたようだ。
いずれにしろ、これで襄陽奪還の目処は立った。
裏切り者どもには、さっさと退場してもらおうじゃないか。




