16.霊帝、崩御す
中平6年(189年)4月 荊州 長沙郡 臨湘
189年の4月、漢帝国に動揺が走った。
時の皇帝 劉宏が崩御したのだ。
享年37という、若すぎる死であった。
そして彼は後継を定めていなかったため、嫡子の劉弁と劉協の間に、後継争いが勃発してしまう。
しかし兄である劉弁が、母の何太后と、伯父の何進将軍の後押しにより、皇帝に即位した。
後の少帝 弁である。
ちなみにこの少帝とか霊帝(劉宏)ってのは、死後に贈られる称号なので、生きてる間は使われない。
それはさておき、この代替わり劇によって、外戚と宦官との勢力争いが活発化する。
俺はこれが何進の暗殺と、董卓の台頭につながるのを知っているが、他の人間には分からない。
そこで俺は、主な配下を集めて注意を促した。
「劉宏陛下が崩御して、劉弁さまが即位したのは、知っているな?」
「それはもちろんですよ。これで少しは、世の中が落ち着けばいいんですけどね」
そんな願望を述べるのは、義弟の呉景だ。
苦労性の彼は、あくまで身の回りの環境改善を望んでいる。
しかしそんな考えは甘すぎる。
「甘いな。今後しばらく、中央は荒れるぞ」
「何を根拠に、そのようなことをおっしゃるのですか?」
そう問うのは張紘だ。
「劉弁陛下の即位でも、いろいろ揉めたのは聞いているだろう。端的に言えば、外戚と宦官の勢力争いだが、それは今後も続く」
「しかしそれは今までも、よくあった話。必ずしもそれで荒れるとは、言えないのではありませんか?」
「それはそうだが、今は朝廷の権威が著しく衰えている。そして豪族は懐を温めることに熱心な一方で、民は疲弊するばかりだ。このままでは国を割るような大乱が、いつ起きてもおかしくない」
「な! 孫堅さまは国が割れると、お考えですか?」
「それは分からん。しかしいざという時のため、備えておく必要はあると思う」
すると周瑜が、俺に訊ねる。
「その備えとは、どのようなものでしょうか?」
「そうだな……まずは自分たちが生き残るための武力、それを支える経済力、そして土地を保つための人脈や信用、といったところかな」
「ふうむ、興味深いですね……しかしそれは、いざという時に独立するようにも聞こえます。少々、不穏すぎるのではありませんか?」
「生き残るために必要とあらば、俺はそれも辞さんぞ」
「……全て覚悟のうえですか。さすがは孫堅さま」
そう言って周瑜が、意味ありげに笑うと、配下の武官たちが盛り上がる。
「マジで? 父上。うお~、なんか燃える!」(孫策)
「フハハハハッ、さすがは孫堅さま。儂も腕が鳴りますわい」(程普)
「う~む、そんなことを考えていたとは」(韓当)
「うえぇ、マジですか?」(呉景)
「さすがは兄さんだね」(孫静)
「お役に立てるよう、がんばります」(孫河)
「独立なんて、無茶でしょう」(徐琨)
「さすが、儂が見込んだお方だ」(黄蓋)
「フフフ、それも面白そうですね」(朱治)
「え、マジで?」(祖茂)
何人かは戸惑っているようだが、いざ戦となれば、頼もしい奴らである。
そんな彼らに改めて指示を下す。
「まあ、あくまでいざという時の話だ。そのために張紘と周瑜は、中央の情報を集めてほしい。そして他の者は、配下の兵を鍛えておくこと。ひょっとしたら、乱世はすぐそこまで来ているかもしれないぞ。それを念頭において各自、動いてくれ」
「「「おうっ!」」」
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中平6年(189年)10月 荊州 長沙郡 臨湘
ハロー、エブリバディ。
孫堅クンだよ。
あれから半年の間に、状況は目まぐるしく動いた。
まず大将軍 何進と宦官の関係が大きく悪化し、何進は宦官の誅滅を決意する。
しかし妹の何太后が、首を縦に振らない。
そこで何進は、前将軍 董卓、東郡太守 橋瑁、武猛都尉 丁原を、軍勢ごと洛陽に呼び寄せた。
その武威によって何太后を説得しようとしたのだが、そうこうしているうちに、何進が宦官に殺されてしまう。
これに逆上したのが、袁紹や袁術たちだった。
特に袁紹は、何進をあおって宦官誅滅を図った張本人であったため、自身も殺されかねなかった。
そこで宮殿に火をかけるだけでなく、宮殿内に押し入って、2千人もの宦官を殺戮するという暴挙に出たのだ。
中には宦官と勘違いされて殺された者もおり、服を脱いで去勢されてないことを示した場合もあったとか。
いずれにしろ、袁紹や袁術がやったことはとんでもない無法であり、大逆罪だった。
しかし皇帝の身柄さえ押さえれば、なんとかなると思っていたのだろう。
ところが皇帝 劉弁とその弟の劉協は、一部の宦官に連れられて、洛陽を脱出していた。
そしてそれを目ざとく見つけた董卓が、ただちに劉弁たちを確保。
董卓は軍勢と共に洛陽に入城し、巧みに現地の軍勢も取り込んで、権力を掌握してしまう。
その過程では、やはり洛陽に入城してきた丁原を暗殺し、軍勢を手に入れていた。
ここで利用されたのが、猛将として名高い呂布である。
丁原の配下だった呂布を、董卓が口説き落とし、丁原を殺させたのだ。
その後、董卓は3公のひとつである司空を解任し、その後釜に収まる。
これが8月までの出来事だ。
しかし董卓の横暴はこれだけに留まらない。
なんと皇帝の劉弁を廃位して、弟の劉協を皇帝にしてしまった。
これは何大后という後ろ盾を持つ劉弁より、劉協の方が扱いやすかったからだろう。
劉協は董大后(すでに死亡)に養育されていたので、同姓の董卓がその後釜に収まったという見方もできる。
董卓は皇帝の外戚として、権力を振るおうとしたわけだ。
さらに董卓は、相国という伝説的な地位への就任も果たした。
これは前漢の初期に蕭何と曹参が就いて以来、空席となっていた最高位の官職だ。
これによって董卓は、漢帝国で位人臣を極めたと言っていい。
しかしその進め方は強引で、周囲の反感を買ったのは、想像に難くない。
そんな状況が、張紘の口から語られた。
「以上が洛陽で起こった事件のあらましです」
「なんとまあ……」
「うへえ、董卓ってのは悪いヤツですね」
「まったくだ。天子さまをすげ替えちまうだなんて、とんでもねえ」
配下の反応はいろいろだが、董卓に対する反感は強そうだ。
そんな中で、俺は周瑜に問いかけてみる。
「周瑜、今の話の中で、誰が悪かったと思う?」
「そうですね……董卓の横暴は目につきますが、理解できないほどではありません。むしろ、こうも短期間に権力を掌握した点は、賞賛に値するかと」
すると孫策が反発した。
「なんでだよ? 周瑜。天子さまをすげ替えるだなんて、やっちゃいけねえだろう!」
「いや、それは過去にいくらでも起きたことだよ。時の権力者が、自分に都合の良い者を天子に据えるなんて、ありふれた話さ」
「ええっ、そうなの?」
平然と言い返された内容に、孫策が驚いている。
ただしそれを言ってのけたのが、数えで15歳の子供なんだから、俺もちょっと引いていた。
中央で働く名士を何人も輩出してきた、周家ならではの視点だろうが、それを平然と受け入れる精神性には恐れいる。
しかし彼の言っていることは、もっともなものだ。
「そのとおりだぞ、策。これはキレイ事だけでは済まない、高度な政争なんだ。周瑜が言うように、短期間で権力を掌握した手際は見事なものだ」
「でも、父上……」
不満そうな孫策に、張紘が言葉をかぶせた。
「ふむ、孫堅さまは、ずいぶんと冷静に事態を見ておられる。そして意外なことに、董卓について肯定的なようですが?」
「ああ、俺はむしろ、董卓を応援したいと思っているぐらいだ。しかしこのままでは彼は、遠からず行き詰まるだろうな」
「ほう、それは何ゆえに?」
「関東の名士や豪族どもが、黙ってるはずがないからだ」
ここで言う関東とは、函谷関より東の地域のことだ。
函谷関は洛陽の西を守る関所で、ここより西を関中または関西、そして東を関東と呼んで区別した。
そしてこの当時、政治の中枢は洛陽を擁する関東であり、関中は田舎、後進地という認識なのだ。
そんな関中からやってきた董卓を、関東の名士どもが容易に認めるはずがない。
実際に史実で董卓は名士どもに背かれ、それが反董卓連合の結成へとつながるのだ。
この世界でもその流れは、確実に起きるだろう。
すると程普が興味ぶかそうに、俺の意図を問う。
「ほう、すると孫堅さまは、その名士と共に立ち上がるので?」
「いや、逆だ。やはり俺は董卓に味方する」




