14.お隣からのSOS (地図あり)
中平5年(188年)1月 荊州 長沙郡 臨湘
ハッピーニューイヤー、エブリバディ。
孫堅クンだよ。
長沙劉家の消極的な協力を取りつけて以来、めっぽう仕事がやりやすくなった。
当主の劉興が、”孫堅はおもしろそうだ。様子を見よう”、と言ったという噂は、たちまちのうちに長沙の名士や豪族に広まり、反対勢力が激減したからだ。
やっぱ長沙劉家って、影響力おっきいのな。
俺はこれ幸いと、郡や県の汚職官吏を見つけては首をすげ替え、改革を進めていった。
さらに脱税のひどい豪族も洗い出し、強制捜査によって農地や人員の把握も進める。
ただし全てを徴税対象とはせず、多少の目こぼしをしつつ、豪族の協力を引き出すよう交渉した。
おかげで予算は増える見込みだし、働いてる役人たちにも活気が出てきた。
そんなことに忙殺されていたある日、思わぬところからSOSが入る。
「となりの豫章郡から、救援要請が来ただと?」
「はい、宜春の県長である、陸駿どのからの要請です。どうやら山賊が暴れて、困ってるようですね」
「それがまた、なんで俺に?」
「さあ? おそらく孫堅さまの武名を、聞きつけたのではないでしょうか」
「でも郡どころか、州も違うんだぞ」
豫章郡てのは、お隣の揚州でも西側に位置する郡だ。
長沙に接しているので、距離的には遠くない。
さらに宜春は豫章の中でも西よりなので、なおさらだ。
しかし、である。
「たしかに州境を越えて兵を出すとなると、問題になる可能性が高いですね」
「だよなあ。心情的には助けてやりたいけど……」
実際のところ、史実でも孫堅は助けにいって、お咎めなしになってるので、大したことはないと思う。
すでに漢朝には、地方の細かいことに気を配ってる余裕などないからな。
しかしあまりゴリ押しばかりしていると、やはり体面が悪い。
史実でも横紙破りばかりする孫堅を、うとむ者はいたらしいのだ。
長沙で地盤を築こうとしている俺としては、ここはひと工夫したいところである。
「張紘は何か、いい案がないか?」
「そうですな……今から朝廷に伺いを立てるのは、現実的ではありません。なので少数を率いて、陸駿どのにあいさつをしにいったことにしては? その途中で山賊に襲われたので、返り討ちにしたとでも報告すればいいでしょう。ちなみに山賊の数はいかほどで?」
「この書状によれば、100人ほどのようですね」
「100人か。念のため200人も連れてけば、よほど負けはないだろう。その線でいくか」
「本当に大丈夫でしょうか?」
「ダメなら、逃げてくるさ。大至急、準備だ」
劉先が心配しているが、200人もいれば、その倍ぐらいは対応できるだろう。
なので俺は程普に部隊を編成させ、早々に出かけたのだ。
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中平5年(188年)1月 揚州 豫章郡 宜春
「長沙太守の孫堅です。太守に就任したので、ごあいさつに参りました」
「私が県長の陸駿です……え~と、私の要請に応えてくれたのですよね? それにしては少々、兵数が少ないように思えますが……」
そう言う陸駿は、30才ほどで気の弱そうな青年だった。
ちなみに県長とは、規模の小さな県の長である。(大きい県の長は県令)
「今回はあくまで、あいさつにきたという形なので、多くは連れてこれなかったのですよ。しかし我が軍は精鋭なので、山賊の100や200、物の数ではありません」
「それはなんとも、うらやましい話ですな。それでは信じさせていただきますぞ」
「お任せあれ。それで山賊どもは、どこにいるのですか?」
「はい、奴らは――」
陸駿から情報を引き出すと、俺たちはさっそく討伐に出かけた。
「掛かれっ!」
「「「おうっ!」」」
「しゃらくせえ! 官軍なんか返り討ちだ、野郎ども!」
「「「おお~っ!」」」
かくして山賊との戦いが始まった。
奴らは逃げも隠れもせず、情報どおりの場所にいたのだが、人数はちょっと多かった。
200人はいないと思うが、150は超えているだろう。
しかし俺とその部下にかかれば、大した数ではない。
俺がバッシバッシと山賊を斬り捨てる横で、程普や韓当、呉景、孫静、孫賁、孫河、徐琨たちも活躍していた。
しょせん山賊など、実戦で揉まれてきた俺たちの敵ではない。
あっという間に50人ほどが討ち取られると、残りは早々に降伏するか、逃げ出してしまった。
そして50人以上の捕虜を連れて帰ると、陸駿が呆れたような声を上げる。
「うわぁ……本当に強いんですね、孫堅さまは」
「まあ、こんなものですよ。これでも黄巾賊や異民族との戦いで、揉まれてきましたから。しかしこの程度の山賊に対抗できないのは、ちょっとまずくないですか?」
「……面目ありません。私だってもっと警備に兵を回したいんですよ。だけど資金も物資も中抜きされて、それどころじゃないんです」
陸駿サイドの情けなさを指摘したら、彼の愚痴が始まった。
聞けばあちこちで資金や物資が横領されてるせいで、治安維持がおろそかになっているとか。
それを豫章郡の太守に訴えても、一向に改善する動きがないらしい。
そりゃまあ、県だって宜春だけじゃないし、汚職官吏が多すぎて対応できないんだろう。
大抵の豪族は、脱税しまくりだしな。
そこで俺が長沙でやってる改革を話したら、メチャクチャうらやましがられた。
「本当ですか? 長沙劉家まで味方につけただなんて、ちょっと信じられませんね。だけど実際にこうして加勢にきてくれるぐらいだから、事実なんでしょうね。はぁ……私も孫堅さまのような方の下で、働きたいです」
ガクリと肩を落とす陸駿を励ましながら、気になっていたことを訊く。
「まあ、そう落ちこまないで。そのうち、いいこともありますよ。ところで貴殿の一族に、陸遜という少年がいませんか?」
「陸遜なら私の息子ですが、なぜご存じで?」
「い、いや、どこかで聞いたんですよ。そうか、貴殿のご子息でしたか」
やべ、まさかピンポイントで父親だったとは。
たしか陸遜はまだ5歳かそこらだから、優秀だと聞いたってのも不自然だしな。
俺はそれをごまかすように、別の話に切り替えた。
「ところでですね。陸家といえば、陸康どのが有名ですよね。たしか最近、廬江の反乱を鎮めたとか?」
「ええ、そのとおりですよ。叔父上は経験も豊富だし、戦もお強いのでしょうね。今は廬江郡の太守を務めています」
「ほほう、なるほど。一度、会ってみたいですね。もし良ければ、紹介状でも書いてもらえませんか?」
「構いませんよ。今回の恩に比べれば、大した手間ではありません。叔父上にも手紙を送っておきましょう」
「ぜひ頼みます。陸家のような名族と知り合っておいて、損はないでしょうからね」
「フフフ、まあ、この江南で生きるなら、多少は役立つかもしれませんね」
陸家といえば、揚州では有名な名家のひとつだ。
そしてその家長的な存在が、陸康なのだ。
しかし俺の息子の孫策は、史実でこの陸康と敵対し、病死に追いこんでしまう。
おかげで孫策は多くの名家にそっぽを向かれ、政治的な弱点を抱えてしまった。
結果的に孫策が早世したため、それを受け継いだ孫権は、名家の支援を得られるようになる。
しかし、この時に名家や豪族の世話になりすぎたため、孫権はその意向を無視できなくなったって話もある。
孫堅や孫策みたいに、武力だけでもいけないが、名士や豪族に頼りすぎてもいけないのだ。
この辺のバランスが、この乱世で生き残るための、ポイントになるかもしれない。
そんなことを考えつつ、早々に長沙へ帰還した。
ちなみに表向きは、俺が宜春にあいさつにきて山賊に遭遇したので、陸駿と協力して討ち取った、と報告を上げた。
めんどくさ。
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中平5年(188年)4月 揚州 廬江郡 舒
長沙へ戻って、また仕事に励んでいた俺だが、春になると陸康に会いにいった。
「孫堅 文台と申します。今日はお会いいただき、感謝いたします」
「うむ、陸康 季寧だ。甥の陸駿が世話になったそうで、こちらこそ感謝している」
「いえ、それほど大したことはしていません。たまたまですよ」
「フッ、そういうことにしておくか」
陸康は意味ありげに笑うと、それ以上は追求してこなかった。
彼は60歳を過ぎた老人だが、体はかくしゃくとしていて、眼光も鋭い。
有能な官吏として積み上げてきた、自信にあふれているようだ。
本来なら俺のような山猿など、相手にされないとこなんだが、陸駿が上手くとりなしてくれたらしい。
彼は上機嫌に話に応じ、太守としての経験を語ってくれたりした。
俺も区星の反乱鎮圧について語り、長沙の改革についても言及する。
「なるほど。どこも大して変わらんな。中華全土に腐敗と汚職が広まっているというのに、朝廷は見て見ぬふりだ。おっと、これは他言無用だぞ。下手をすると、また捕まってしまうからな」
陸康は漢王朝の現状を嘆きながら、俺に讒言はしてくれるなと釘を刺す。
なんでも彼は以前、非合理な課税に反対したら、とっ捕まって処刑されかけたそうだ。
幸いにも知人の取りなしで免官だけで済んだものの、また捕まってはたまらないというわけだ。
もっとも、首になってもこうして太守に返り咲くあたり、本当に優秀なのだろうな。
「それにしても、貴殿の改革というのは興味深いな。儂も同じ太守として、羨望を禁じえん」
「いえ、ただあるべき姿を目指してるだけですよ。なかなか思うようには、進みませんがね」
「それは当たり前だ。しかしこの乱れた世の中で、理想を掲げられるだけでも、大したものだ。もっともそれは、貴殿の圧倒的な武力あってのものであろうがな」
「そんな大したもんじゃないですよ。願わくば、陸康どのとは今後も誼を通じ、学ばせてもらいたいと思います」
「それはこちらも望むところだ。お互いにがんばらねばな」
こうして陸康とは、かなりいい感じで関係を持てた。
さらに彼には、とある名家への紹介状を書いてもらう。
ちょっと早いが、あの一族にも渡りをつけておこう。




