9.宛城の攻略 (地図あり)
中平元年(184年)8月 荊州 南陽郡 宛
あれから1ヶ月も経つが、やはり宛城の攻略は進んでいなかった。
敵の方が圧倒的に多勢なため、正面からの衝突は避け、城を囲んで補給線を絶つようにしていたのだ。
しかしそうこうするうちに、朝廷の不穏な動きが伝わってくる。
「朱儁さんを罷免しようって話が出てきてるんですか?」
「うむ、幸いにも張温さまが擁護してくれたおかげで、まだしばらくは大丈夫らしいのだが……」
黄巾討伐に手間どっている朱儁を見て、宦官どもが騒ぎはじめたらしい。
清流派の復活を苦々しく思う濁流派にとって、清流派寄りの朱儁や皇甫嵩に、手柄を立てられるのは都合が悪いからだ。
幸いにも司空である張温が、朱儁の肩を持ってくれたらしく、いくらか猶予はできた。
しかしのんびりと攻略できる状況でもなくなった。
「やむを得ん。少々、無理攻めをするぞ。力を貸してくれ、孫堅くん」
「もちろんですよ」
こうして今までは控えていた力攻めを、強行することとなる。
しかし一旦やると決めたからには、朱儁の行動は徹底していた。
今までとは打って変わった積極的な攻めに転じ、要所要所で賊軍を圧倒しはじめる。
おかげで数日で敵の大将を討ち取ったはいいが、また別の大将を立てて抵抗は続けられた。
ここで朱儁は城の近くに土山を築き、城内を観測できるようにする。
そのうえで陽動作戦で敵をかき回し、城の防備が薄いところを作り出す作戦だった。
そうして準備を整えると、朱儁は決戦を挑んだ。
俺を含む部隊に正面を攻めさせる一方で、朱儁ひきいる精鋭部隊が逆方面から奇襲したのだ。
この作戦は見事に図に当たり、宛城への侵入は成功する。
おかげで城内に動揺が広がる様子が、こちらからも見えた。
「敵に動揺が見えるぞ! 今こそ勝機だ、突っこめ~!」
「「「おお~~っ!」」」
俺は兵士に号令を掛けると同時に、自分も城壁に取りついた。
目についたハシゴをすばやく登りきると、バッシバッシと敵兵を蹴散らしていく。
やがて味方が城門を内から開けることに成功して、本隊も攻撃に参加する。
ただでさえ混乱していた敵軍は、圧倒的な武力に蹂躙された。
俺も部下を指揮しながら突入し、大いに武勲を立ててやった。
これによって、佐軍司馬から別部司馬へと昇進が決まる。
別部司馬は独自に動ける別働隊の指揮官で、格段に自由度は高まった。
一方、さすがに10万の敵軍を全て討ち取れるはずもなく、数万の賊軍が城外へ逃れた。
奴らは別の城へ逃げて抵抗を続けたものの、すでに戦意は低く、展望も開けないため、やがて降伏を申し入れてきた。
ところが朱儁は
「奴らは有利と見れば戦い、不利と見れば降伏する。今、もしこれを受け入れれば、将来また逆意を持つであろう」
と降伏を拒んでしまう。
受け入れた方が楽だったと思うが、朱儁なりに考えがあったのだろう。
一方、降伏しても許されないと知った黄巾賊は、必死で抵抗してきた。
おかげでその後もダラダラと戦闘が続いたが、もう官軍の優位は揺らがない。
結局、最後は西顎で夏育という首領を討ち取ると、ようやく組織的な抵抗はなくなった。
これが10月のことで、11月には皇甫嵩が最後の首魁 張宝を討ち取って、黄巾討伐は一応の終結を見る。
もっとも、黄巾賊の残党は各地に残り、その後も反乱は繰り返された。
これによって漢王朝の統制力はさらに弱まり、武装化した豪族が各地で群雄となって、後の三国志の世界へとつながるのだ。
時計の針はもう、止まらない。
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中平2年(185年)1月 司隷 河南尹 洛陽
ハッピーニューイヤー、エブリバディ。
孫堅クンだよ。
黄巾討伐に成功した俺たちは、洛陽へ凱旋した。
えっ、下邳に帰らないのかって?
帰りたいんだけどさ、俺って一応、朱儁の配下じゃん。
朱儁は光禄勲府に属する右中郎将だから、職場は洛陽になるんだよね。
つまり俺も、勝手に帰れないってこと。
悲報、孫堅いきなり単身赴任となる!(涙)
今はそのうち家族を、呼び寄せようかと考えてるとこだ。
ああ、呉雨桐に会いたい。
わりと切実に。
そんな中、俺も黄巾討伐を祝う式典に呼ばれ、壁の花になっていた。
するとそこへ朱儁が寄ってくる。
「やあ、孫堅くん。飲んでるかい?」
「あ、朱儁さん。まあ、ぼちぼちです」
「ちょっと君には退屈かもしれないね。でもこういうところで、顔を売っておくのも大事だよ」
「そうなんでしょうね。でも俺、ほとんど知り合いなんていないし」
「それもそうか。それじゃあ、ちょっと紹介してあげよう。ああ、ちょうど張温さまが空いたようだ」
そう言って朱儁は、豪華に着飾った爺さんに近寄り、話しかけた。
「張温さま。お久しぶりです」
「おお、朱儁か。今回もよくやってくれたな」
「とんでもありません。聞けば張温さまが、戦場からの召喚を止めてくださったとか。それが無ければ、何もできなかったでしょう。ありがとうございます」
「ホッホッホ、なに、当然のことをしたまでじゃ。あまり気にするな」
どうやら彼が張温らしい。
彼は司空を務めるほどの重鎮で、今回の討伐で朱儁の味方をしてくれた。
黄巾賊を攻めあぐねている朱儁を呼び戻そうとする声を抑え、仕事を続けさせてくれたのだ。
ちなみに司空とは3公のひとつで、都市の建設や治水、灌漑工事などを司る官職である。
そして3公ってのは太尉、司徒、司空のことで、総理大臣級の重職だ。
そんなお偉いさんが、俺に目を留めた。
「む? そちらの青年は?」
「はい、彼は孫堅といって、我が軍の司馬を務めておりました。今回の討伐でもたびたび活躍した、剛の者です」
「はじめまして、孫堅 文台と申します」
「ほほう、朱儁にそこまで言わせるとは、なかなかのものよな。期待しておるぞ」
「はっ、ありがとうございます」
こうして張温との顔合わせは無難に終わった。
その後も朱儁は何人かのお偉いさんを紹介してくれて、俺は緊張の時間を過ごす。
そんな作業も一段落すると、また朱儁と話をした。
「まあ、こんなものかな。今後、私は将軍への昇進が決まってるから、君の面倒を見てはいられない。だから今後は自分の力で、切り開くんだよ」
「はい、ありがとうございます。それとご昇進、おめでとうございます」
「うん、ありがとう。君もがんばってな。まあ、いろいろと不穏な動きはあるから、活躍の場には困らないだろう。ただし、命を粗末にしないように」
「はい、肝に銘じておきます」
こうして朱儁とは、しばしのお別れとなった。
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中平2年(185年)8月 司隷 河南尹 洛陽
「涼州で辺章と韓遂の討伐、ですか」
「うむ、そうじゃ。儂は車騎将軍となり、討伐軍を率いることになった。ついては孫堅、おぬしも参加してはどうかと思ってな」
「ご配慮、ありがとうございます。ぜひ参加させてください」
「うむ、期待しておるぞ」
「はっ」
張温に呼び出されたから何かと思えば、涼州で反乱を起こした賊徒を討伐すると言う。
彼はその討伐軍に、俺もどうかと誘ってくれたのだ。
これも朱儁が紹介してくれたおかげであろう。
しかしこの”辺章と韓遂の乱”、すでに皇甫嵩に対して、討伐命令が下されていた。
ところがあの皇甫嵩が、今回はちょっと後れを取ったらしい。
なかなか進まない状況に、またもや濁流派が讒言し、彼を罷免してしまう。
その後任として白羽の矢が立ったのが、司空の張温だ。
おかげで俺にもお呼びが掛かり、手柄を立てる機会を得られそうだ。
しかしこの討伐、例の男が絡んでくるんだよな。
それはズバリ、董卓である。
その極悪非道、傍若無人な行いによって、後漢王朝を混乱の渦に叩きこんだといわれる男だ。
彼も皇甫嵩と共に反乱鎮圧を命じられ、京兆尹にいるはずだ。
そんな董卓との対面は、俺に何をもたらすのか?




