紀行記怪談『旧 天城トンネル』
( シャー シャー シャー …、シャー シャ… )
深く青色に透き通る、眩いばかりの夏空。
伊豆の山間に入った途端、クマゼミ達の大合唱が、左右に続く、濃い緑色の葉が茂る木々の間から鳴り響き、降り注いでくる。
クマゼミただ一色の、蝉時雨。さすがに南端に位置する、温暖な伊豆半島。最近は温暖化のせいか、私の住む盆地でもかなりクマゼミの声を聞く様にはなってきたが、昔はその鳴き声を聞くことも無かったのだが。
今、何かと話題の伊東。
ボラ〇屋で昼食。金目鯛料理に舌鼓。
金目鯛の煮付に、お刺身としゃぶしゃぶ…。はっきり言って美味すぎる。
食事を堪能したら、少し休んで海岸沿いの自然道を歩いて城ケ崎海岸へ。
城ケ崎海岸の門脇灯台の近く、太古に大室山の噴火で流れ出した溶岩が荒波に削られた海蝕洞の間に、長さ48mのつり橋が架かる。
その名も『門脇つり橋』と呼ばれるその橋は細く、不安定で頼りげなくも見える。海面からの高さは23mとされ、つり橋の上から下を見遣ると、眼下には、切り立った断崖絶壁に深く浸食された入江に打ち付け、激しく砕け散る白波が立っているのが見える。不安定な橋の足場と手すりに、覗き見る目は思わず目眩を覚える。背後からは、鬱蒼と続く山の急斜面が海へと、急激に落ちかかかる。
海岸に迫る、切り立った断崖絶壁はそのまま海へと落ち込み、風光明媚な景観を見せている。
私が訪れた日も、晴れ渡った日射しの中に、大勢の観光客たちが海岸近くの自然道を散策していた。そして中には、道を逸れて断崖の上へと踏み込み、絶壁の突端から海を覗き込む若い人たちの姿もあった。
城ケ崎海岸は、自殺の名所としても知られている様だった。
『門脇つり橋』が架かっている崖は『半四郎落とし』と呼ばれ、名前の由来は『半四郎』という漁師の男が、昔この崖から誤って落ちて死んだことによるとされる。そのため、自殺や橋からの転落事故が多いのは、半四郎の呪いだとも噂されているとのことである。
つり橋近くの断崖の切り立つ絶壁には柵なども無く、崖沿いの自然道からそのまま断崖まで歩いて行けたから、もし崖から足を滑らせればひとたまりもないだろうか。
あのつり橋も、不安定な手すりに体重を預け下を覗き込むだけで、思わずきゅっとお尻の穴が締まる様な緊張を感じたから、その意思が無くとも事故を起こしてしまうのかもしれない。
訪れた時、私はここが自殺の名所で、しかも心霊スポットの一つとして名を馳せている事など全く知らなかった。断崖に架かるつり橋と、断崖絶壁の岩場が続く風光明媚なただの観光地だと思っていた。海が好きだったから。
「見て! 遠くに大きな船が。 …あっちにも」
「おぅ。いいね、気持ち良いなぁ…」
実際その日も、のほほんとした明るい日射しの中で、大勢の観光客が目の前に広がる海原の景色を楽しんでいた。
だが、夜闇の世界に切り替わった瞬間、ここの世界は一変するのだろうが…。
修善寺も過ぎ、浄蓮の滝を越えて、国道414号を南へ南下する。
旧道に入り、旧天城トンネルに向かう。
車をトンネル手前のトイレ脇の駐車場に停める。周囲には私の車の他、誰もいなかった。今日が平日の、午後ももう遅い時間だったからだろうか。
トンネルの石造りの壁の前に向かう。周囲の山肌から鬱蒼と茂る木々と、もはや傾きかかった日射しの中に、トンネルの前の広場はジトッと重苦しく湿った空気に満たされていた。
トンネルの入り口に立つ。石造りのトンネルがぽっかりと口を開けている。石造りの内壁が黒く暗く沈み、薄ら寒い冷気が中から頬へ吹き寄せてくる。内壁の壁に取付けられている照明の光が、オレンジ色に光って見える。
国道414号線の旧道に掘られた天城トンネルは、全長約445m、幅約4mの隧道で、国内で最長・最古の石造り道路隧道として国の重要文化財として指定されているとの事だった。そして、有名な小説の舞台であるとも。
トンネル内は、対向車とのすれ違いができないほどに道幅は狭かった。
( ぶるっ! )
私は思わず、そう身震いをする。
「中を歩いてみるか…」トンネルの中を伺いながら、私は呟く。
そして、トンネルの中に足を踏み入れる。
「寒っ…」
トンネル内は夏の盛りに見合わない冷気に満たされ、湿った壁面が、冷たく黒く光っている。
天井から滴る水滴が、床の小さな水溜まりに滴って、ぴちゃんと音を立て壁面に響く。
( ぴちゃん、ぴちゃ … )
「 ………。」
( ‼ )
入口から、ほんの数メートルトンネルの中に歩き行った私は、不意に何かの気配に包まれた。
刹那、私は振り向くと元の入口に駆け出していた。
そして怖じ気ついた私は、トンネルの入口の前に立ち止まり、振り向くとまたトンネルの石壁の中を伺い見た。
先ほどと同じ石造りのトンネルの壁面が、灌木の木々に覆われた山の斜面に向かってぽっかりと暗い口をあけている。ただそれは、周囲はより一層重く冷たい冷気に包まれ、暮れかけた夕日の中にさっきより重く佇んでいた。
ただそれだけだった。何が出た訳でもなにもなく。多分、” 心霊スポット ”としての先入観に、心が勝手に怯えていただけだったのだろう。
( ぶるっ! )
また大きく身震いすると、私は車に向かった。
そして車に乗り込むと、新道に向けてトンネルを走り抜けた。窓を閉めている車内を、トンネル内の重い空気が通り抜けて行く。
そしてトンネルを抜け、荒れた林道へ出ると国道414号の、新道との合流地点へと向かった。
新道と合流すると、私は『河津七滝ループ橋』の45mの高低差のあるらせん道路を、大きくぐるりと回りながら下りて行った。
河津を抜ければ、もう下田だった。
(了)
お読み頂き、ありがとうございます。
作中に、不適切な表現がありましたら、予めお詫び申し上げます。
宜しくお願いいたします。




