紀行記怪談『五山送り火』
道路わきのコインパーキングに車を停める。赤い門をくぐり少し歩いた先に『宇治平等院鳳凰堂』はあった。
さすがは、世界遺産。アジア系の顔つきをした外国人の観光客で、院内は溢れかえっていた。所々に、背の高い金髪の男女の姿も混じる。
近年増加のインバウンド。外国からの観光客たちのお目当ての観光地、京都は、特に外人たちで混み合っている。
白砂に囲まれる池は澄んだ水を湛え、水草の茂る水面からは蛙の鳴き声が聞こえてくる。
池の中に浮かぶ鳳凰堂の、朱色に染まる柱が支える端正に積み重なる屋根の上で、一対の鳳凰が対峙するかに向き合い、今まさに空へと羽ばたこうかとしている。
十円玉のデザイン通りの鳳凰堂は、池に姿を映して静かに佇み、宝物館ではガラスケースの中で、鈍く金色に光る国宝の鳳凰が互いに向かい合って見つめ合い、数多の飛天が様々に飛翔の姿を見せていた。
ちょうど、国営放送の大河ドラマで、紫式部と藤原道長をテーマにした話をやっていた頃だったから、鳳凰堂を思い出すと、その優雅さが何か感慨深く感じられたけれど。
( 宇治平等院鳳凰堂 )
大文字山の、『大』の字の火床を右手に見ながら『銀閣寺』に向かう。川に沿う、学問の道沿いの駐車場に車を滑り込ませる。参拝者たちで混み合う中、何とか車を停めることができた。
銀閣寺へ向かう参道は、やはり多くの外国人観光客たちでごった返していた。
長い土塀脇を歩いて行く。受付に御朱印帳を預け、入場の門をくぐる。
視界が開けると、右手に銀閣寺がこじんまりと建っていた。その前の、すぐ目の前に、富士の山形に白い砂を盛り上げた向月台が静かに佇んでいる。
その先には銀沙灘の、白砂が波のように連なる庭園が広がっていた。
「へー…」
庭園の木々の植え込みや、小山の中の道を辿り、様々に変わる銀閣寺の姿を目にする。
ずっと昔、前にも来たことがあるのだろうが、金閣寺とはまた異なった落ち着いた静けさが、何か心に染みた。
周りは、外国人観光客たちで、ざわざわとしていたけど。
( 銀閣寺と向月台・銀沙灘 )
◇◆◇◆◇…
『 金〇の夏、日〇の夏。バックに映る大の火文字 』。
子供の頃、観たテレビCM。づっと、頭の片隅にその映像があった。
京都五山の送り火を見に訪れた、嵐山の渡月橋。
観光客らで混み合う前にと、車を停めた渡月橋近くの市営駐車場。晩夏の日の光がまだ眩い、午後3時。送り火が点火される午後8時までには、まだ5時間もあった。満車になってしまうと、車を停める場所が無くなってしまうから。幸い、定額料金だし。
近年の温暖化の影響か、京都の盆地も連日40度に迫る猛暑日続きだった。
この日も、エアコンの効いた車内からドアを開けると、息ができないほどのベタ付く熱気が顔に纏わりついてくる。日ももう大分、山際に傾きかけているのだが。
夜の送り火に備え、渡月橋周辺を歩いてみる。
橋の袂の交差点や、そこから続く土産物を売る店周辺は既に、沢山の人並で溢れかえっている。やはり、近年の国のインバウンドへの取り組みからか、外国人の姿が多い。というか、背の高い金髪やアジア系の顔。 周り、みんな外国人?… かの印象を受ける。
送り火の点火が迫った午後6時過ぎ、突然空を暗雲が覆う。
「これは…」
エンジンを掛けたまま、エアコンを効かせた車の中で寝ていた私を、不安の影が襲う。
突如鳴り響く雷鳴と、吹き荒ぶ風。あっという間に駐車場は、暴風雨の嵐の中に取り込まれる。
窓を叩く雹の飛沫。激しい風雨の中、窓ガラスからは外の様子がまったく見えない。
「送り火は、大丈夫だろうか…」
今頃、山の上の送り火の火床では、関係者たちが準備に大わらわだろうに…。
でも、午後8時の点火時間の直前、嵐は過ぎ去り、嘘のように周りは静まり返っていた。
これまで、送り火が天候などで中止になったことは無い、との事をどこかで読んだような気もする。だから伝統行事として歴史のある送り火は、やはり、” 何か ” を持っているのだろうか。
私はエアコンの効いた車から出ると、渡月橋に向かう人混みの流れの中に乗った。
車の通行が止められ、歩行者天国となった渡月橋の橋の上では、それこそ大勢の、沢山の人々がざわめきながら佇み、送り火の点火の刻を待ち受けていた。
午後8時、遠く東の山に『大』の字が点る。
おぼろげに、黒い山に浮かび上がった『大』の文字は、次第に力強い黄色い灯へと変わった。
「うをーっ!」
周りで小さく、そうざわめきが起き、一斉にスマホが向けられる。周りの、観光客たちが掲げる沢山のスマホの画面の中にも、黄色い『大』の字が小さく揺れている。
やがて間もなく、時間差で、左手側の山に『鳥居』型が大きく、そして力強く点る。
人々は、その黄色く灯る火を見つめている。
周りの人々のざわめく喧騒も、少し静まったような気もする。
この渡月橋の、人々で混み合う漆黒の闇夜の中、今の私は、すれ違う人の顔を誰も知らない。
この大勢の人混みの中で、私には、見知った顔が一つも無かった。もちろん、暗闇の中、すれ違う人の顔もおぼろげにしか見えなかったのだが。
私は一人、人混みの中の、孤独の中に居た。
だが、この盆の送り火が焚かれ、死者を黄泉の国へと送る中、私が佇むこの人混みの中の渡月橋を渡り、あの世へと帰ってゆく死者たちとも、今、私はすれ違っているのだろうか。
私が、見知る顔も無いこの人混みの雑踏の中で、もしかしたら、私が過去に見知っていた顔の者たちも、私の横を歩き、通り過ぎているのだろうか。また来年、この世へ戻って来るため、今、あの世へと帰る懐かしい顔たちが。
いや、来る時はきゅうりの馬に乗ってだったから、帰りはナスの牛…。 だから多分、懐かしい顔たちはみんな、精霊牛に乗って私の横を通り過ぎていくのだろうか。
「次は、大文字を間近で見てみたいな」
来年は、銀閣寺の近くで送り火を見よう。午後9時過ぎ、駐車場周辺の通行規制が解けると、そう思いながら、私はインターへと向かった。
( 大文字 渡月橋から望む遠景 )
(了)
お読み頂き、ありがとうございます。
渡月橋の上の人混みの中、周りを大勢の人のざわめきが取り巻いていました。
でも、『大』と『鳥居』の送り火の灯を見つめる私の心の中には、両親ら、懐かしい人の顔がありました。
ざわめきの中で、心は静まり、「また、来年…」と、私は呟いていました。
『送り火』、良いです。
また、行こうと思います。結構遠いですが(笑)




