3-6
幸せは泡のようなものだ。
ある日突然弾けてなくなって、どうやったって戻らない。
1年前、突然の流行り病に父と母が倒れた。すぐに良くなるという医師の言葉を信じていたのに、2人はどんどん痩せこけていき、ある日突然今夜が峠だと宣告された。
せめて最後に親子のひとときを、と臣下たちは茫然とするアイヴィーを2人の寝室に案内した。幼いアイヴィーは涙を流しながら、必死に2人の手を握った。わずかでも愛しい2人の命をつなぎ留めておきたくて、必死だった。
そんな幼い少女の手を、骨ばった父の手が弱弱しく包む。
『いいかい、アイヴィー。お前はこれから王になる』
父の言葉にはっとした。
父はすっかり痩せてしまっていたが、目の奥に宿る光は、変わらず鋭いままだった。
アイヴィーは気づく。父と母は、親子のひとときを過ごすために自分を招き入れたのではない。
王の務めを受け継ぐために呼んだのだ、と。
『だからお前に伝えておく。この城に新たな戦争の火種を持ち込もうとしている者がいる』
父と母は死ぬそのときまで為政者であろうとした。そしてそれはアイヴィーも同じだ。
少女は子どもではなく、次の王であらねばならなかった。
だが、必死になればなるほど、現実は残酷な結果を突きつけてくる。
『それは赤の宰相か、青の宰相のどちらかだ』
少女は耳を疑った。彼らは王を支える右腕で、父のかつての戦友で、アイヴィーに厳しくも優しく指導をしてくれる大人だった。
『な、なにかの間違いではないのですか』
『私たちもそう思いたかったのだがね』
父は弱弱しく口の端を歪めた。
『だが間違いない。ただ、どちらなのかは分かっていない。目的も分からない。それでもお前はグラース国の王として、国の敵を阻まなければならない』
王が枯れ枝のように細くなった指で、窓の外を指し示した。
『敵はウィルドン山で動きを見せた。おそらくそこに、戦争を始めるための資金源を隠しているのだろう。突き止めたかったが、私たちは間に合わなかった』
王が宰相を「敵」と呼んだ時、アイヴィーはもうあの幸せな日々を取り戻すことはできないのだと感じた。
痩せこけてしまった母が、凛とした声で娘に問うた。
『次のグラース国の王よ。あなたがすべきことは分かりますね』
アイヴィーの目に涙が滲んだ。それを乱暴に拭い、しゃんと背を伸ばす。
『……はい。王様、王妃様。ご安心ください。裏切り者は必ず私が止めてみせます。次期国王である、アイヴィー・グラースが」
ちゃんと姿勢を正せているだろうか。泣きそうな顔をしていないだろうか。
……王の振る舞いができているだろうか。
そんな不安を抱えながら、それでもアイヴィーは宣言した。
『ああ……。アイヴィー、ありがとう』
『愛しい娘。どうか、平和な世界に──』
父と母は安心したように笑い、静かに目を閉じ──、そうして息を引き取った。
アイヴィーは安らかな顔をした2人を、瞬きもせずに見つめていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。アイヴィーは目をこすり、きびすを返して扉に向かう。
そして待機していた宰相たちに朗々と宣言した。
「王と王妃は身罷られた。これよりアイヴィー・グラースが王となる!」
全身に力を入れて廊下を歩く。そんな自分の後ろを、赤の宰相と青の宰相が付いてくる。一瞬だけ振り返って2人を見る。心配そうな顔で口元を引き結び、アイヴィーを見つめている2人。あの顔すら、演技なのだろうか。
ぐっと歯を食いしばった。泣く時間などない。つけいる隙も見せられない。
(──父様と母様が望む平和を、グラース国に)
少女はその決意だけを支えに、大地を踏みしめた。
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「……そうして、私は王になった」
葉太郎の張った結界の中で、アイヴィーは1年前の出来事を語った。
自分と同い年の少女の壮絶な覚悟を聞いて、ひまりは両手を握りしめて立ち尽くした。
(王様は、そんな秘密を抱えて1人でずっと戦っていたんだ……)
アイヴィーは自嘲気味に口元を歪める。
「だが、思った以上にうまくいかなくてな。最初は王が亡くなり、混乱したこの国を治めるだけで精一杯だった。私は何の手も打てなかったんだ」
日が暮れるまで学問を学び、執務に打ち込み、夜は悪夢にうなされる。
動かなければと焦りだけが蓄積された。
王が影で動かしていた諜報員がいるのではないか、その人が接触してくるのではないか、と期待したが誰も現れなかった。
そもそも王が最後の時に誰も引き継がなかったことから、諜報員は全員殺されてしまった可能性もある。そうだとしたら、本当に自分は1人だ。
敵は一番信頼していた宰相のどちらか。
城の者は、誰が信用できるのか分からない。
「……そして1年たったとき、ふと思い出したんだ。勇者召喚という話を」
異界から勇者を呼び、世界を救う。
1年間心をすり減らしたアイヴィーはそれにすがった。
アイヴィーは眉を下げて小さく笑った。
「まさか、出てきていきなり兵士たちを吹っ飛ばすとは思わなかったがな」
そして真剣な表情で、勇者2人を交互に見つめる。
召喚して、命令して。アイヴィーと勇者の関係は、ずっと一方的だった。
だけどひまりは歩み寄ってくれた。話を聞いてくれた。……ついでに、葉太郎も。
だから今度は、王からお願いすべきだろう。
「勇者ヒマリ。勇者ヨータロー。私のためにウィルドン山に行き、裏切り者の宰相が誰か暴いてくれ」
ひまりは背筋を伸ばした。
「はい、王様!」
「いいだろう」
「……ありがとう」
王は微笑んだ。分かっていたが、その肯定が嬉しかった。
「問題はどうやってウィルドン山にお前たちを行かせるか、だな」
「魔物を退治させるため、とかじゃだめなのかな?」
「ウィルドン山は半分ほど廃坑になっている。過疎化しているから、国としての優先度も低い。そこにいきなりお前たちを向かわせると、宰相達に怪しまれる恐れがある」
うーんと腕を組んで考えるひまりの横で、葉太郎が口を開いた。
「ウィルドン山には、引退した城の鍛冶師がいないか?」
「え。確かにいるが……、どうしてお前がそれを知っている?」
「鍛冶師の親方が言っていた。よし、なら理由ができたぞ。俺をウィルドン山に行かせる理由がな」
「本当!? お兄ちゃんすごい!」
ひまりに褒められて、葉太郎は鼻高々だ。
「むしろナイスタイミングだな。これで手に入れることができる」
葉太郎は立ち上がって宙に手の平を掲げ「ぐわしっ!」と虚空を掴んだ。
「乙女の憧れ、変身ステッキをな!!!」
「なんて?」
聞いたことのない異世界ワードに、アイヴィーは首を思いきり傾けたのだった。




