3-5
ひまりのぐっすりお昼寝大作戦から5時間後。
(お、思いっきり眠ってしまった……っ!)
目が覚めたら日が暮れていたアイヴィーは、よろよろと廊下を歩いていた。
相当熟睡したのだろう。頭はものすごくすっきりしている。
しかもお付きの兵士から「今日の執務は、できる範囲で宰相達がやっておくとのことです」と伝言までもらってしまった。
何もかも見越しての行動なのだろう。
修練場から出て、王城につながる渡り廊下を歩いていると、向かいからひまりがやってきた。葉太郎も一緒だ。
「王様! よく眠れましたか?」
「……そうだな」
アイヴィーは小さい声で「ありがとう」と言った。ひまりは嬉しそうに跳ねる。
「あの、兵士さん。少し王様とお話ししたいんですが」
王城にたどり着いたので、もう大丈夫と判断したのだろう。
兵士は一礼すると、自分の持ち場に戻った。
葉太郎、ひまり、アイヴィーの3人は、室内に入り廊下を歩いていく。
廊下には、たまたま誰もいなかった。それを確認したひまりは、王様の横に並ぶ。
「王様、このまま歩きながら聞いてくれる?」
「なんだ?」
葉太郎が左手をぱちん、と鳴らした。
それはほんの一瞬のこと。3人を、薄い青色の膜が包み込む。
王様がはっと周囲を見渡し、警戒の色を滲ませて葉太郎を振り返った。
「お前……!」
「焦るな、認識阻害の魔術だ」
認識阻害。つまりこの3人が、周囲から認識できないようにしたのだ。
曲がり角から歩いてきた使用人が、礼もせずにアイヴィーの横を通り過ぎた。葉太郎の認識阻害の魔術のせいで、アイヴィーに気づかなかったのだ。
「ど、どうやってこんな高等な魔術を覚えた」
音や認識を阻害する魔術は繊細な技術を求められる。程度はあるが、使いこなせるのは城の中でもほんの数人程度だ。
「ギフテッドだ。イェルに幻影の魔術をかけてもらって、そこから編み出した」
(相手に幻を見せる術を、自分を見えなくする幻にしたのか? もはや別の魔術じゃないか)
アイヴィーはゾッとした。今アイヴィーは誰にも認識されない。悲鳴をあげても、何をされても。
アイヴィーの表情を見て、葉太郎は片眉を下げた。珍しく少し困った顔をしている。
「……そんな顔をするな。この魔術は俺にも扱いづらい。お前が大声を上げるなり、暴れるなりすれば、すぐに破れるだろう。少し内緒話ができる程度のものだ」
葉太郎が手で自分の妹を指し示した。
ひまりは申し訳なさそうに縮こまっている。
「驚かせてごめんなさい。本当は私が防音の魔術を教えてもらえばよかったんだけど……」
そこでアイヴィーも少し冷静になった。
おそらく葉太郎は、ひまりの望みでこの魔術を会得したのだ。
アイヴィーと、内緒の話をするために。
「……ヒマリ、お前は私と何を話したいんだ」
「王様が勇者を召喚した理由を知りたかったんだ」
ひまりは、友人となった王のために何かできることはないか考えた。
一緒におやつを食べたら楽しんでくれるだろうか。
ぐっすり眠れたら喜ぶだろうか。
葉太郎にもたくさん相談した。そうして、ふと思ったのだ。
「王はなぜ、勇者を召喚したのだろう」と。
ひまりの読んでいたファンタジー小説では、勇者は魔王を倒すために呼ばれることが多い。
だが宰相に聞いたところ、そういった分かりやすい悪は、この世界に存在しなかった。
ならばなぜ王は自分を召喚したのだろうと、疑問に思ったのだ。
グラース国の平和と安寧のため。それは理解できる。けれど、それだけではないと思ったのだ。
ひまりの問いにアイヴィーは肩をすくめた。
「お前はなんでも素直に信じると思ったんだが、意外だな」
「うーん。お兄ちゃんもよく『俺が食べたかったんだ』って私が食べたいものを買ってくれたり、『ちょうどチケットが2枚空から降ってきたんだ』って言って、私が行きたいところに連れて行ってくれるから。だから、言葉と思いがちょっと違うことがあるのは、分かるよ」
お前のせいか、と後ろに控える葉太郎を睨んだが、ぷいとそっぽを向かれた。
「それで? お前はどう思っているんだ?」
宰相達は、アイヴィーが戦争を目論んでいるのではないかと考えている。
この少女は、どんな結論を出したのだろうか。
目の前の小さな勇者は、真っ直ぐにアイヴィーを見つめた。
「……私は、王様が誰かに助けて欲しくて勇者を召喚したんだと思った」
アイヴィーの緑の瞳が大きく見開かれた。
勇者を召喚したアイヴィーを見て、ひまりが思い出したのは過去の自分だった。
自分にはどうしようもない力で、兄と離れ離れになったとき。兄から笑顔が消えて、人形のようになってしまったとき。
ひまりはどうすることもできず、ただ無力な自分を悔やみながら祈った。
寂しい、悲しい、誰か、どうか。
──サンタさん。
ひまりが願いを捧げたのは、「サンタ」だった。
どうしようもない理不尽で幸福を奪われた人を救って欲しくて、人を超えた力を持った対象に祈った。
だからアイヴィーも「そう」なのかもしれないと、そう思った。
「自分ではどうしようもないことが起きて、誰かに助けを求められなかったから、勇者を呼んだんじゃないかって、そう思ったよ」
ひまりは自分の胸に手を当てた。
「ここなら他の誰にも聞こえないよ。王様の言葉が聞こえるのは、勇者だけ。だから、もし私たちにして欲しいことがあるなら、言って欲しいの」
「…………」
アイヴィーの肩が小さく震えた。
ひまりと葉太郎、勇者2人の視線が注がれる。
アイヴィーは唇を噛んで俯いて、震える声を吐き出した。
「……その、通りだ」
ひまりの言う通りだった。
前王が死んだあの日。アイヴィーには秘密ができた。城の人間には言えない秘密。だから、この国のものではない勇者を呼んだ。
「……あ、ぁ」
今この時は、まさに絶好の瞬間だった。
勇者を呼んだ目的を、この2人にのみ明かすことができる。
「よくぞ分かったな」と告げなければならない。凛とした態度で、王らしく。
だって、自分は王なのだ。グラース国を背負うことができる、たった1人の人間なのだ。
だから。
「……あ、青の宰相か、赤の宰相が、国を裏切って戦争を始めようとしているんだ……」
──だから。
くしゃくしゃに歪んだ泣き顔など、見せてはならない。
助けて欲しいのに、誰にも助けを求められなくて、どうしたらいいか分からなくなって。
それで勇者を呼んだなんて。
そんな子どもじみた理由を、知られてはならない。
……なのに涙が止まらない。
「ど、どちらかは分からない。前王が死ぬ間際……、情報を……っ、私はそれを元に、証拠を探した。だが、これ以上動けば、……う、裏切った宰相に気づかれる。でも、城の者は裏切り者に通じている可能性が……あるっ」
しゃくりあげながら必死に伝える。
1番信頼していた王の右腕。その宰相2人の内、どちらかが国の平和を壊そうとする裏切り者。
さらに城内の者は、既に宰相の息がかかっている可能性が高い。
アイヴィーはもう、誰のことも信頼できなかった。
「だ、だから、だから……っ」
「うん、分かった」
アイヴィーの目から溢れる大粒の涙を、柔らかい布が掬う。涙を拭ったタオルから、ひょこりとプテラノドンのぬいぐるみが顔をのぞかせた。
「大丈夫だよ、王様。あとは勇者に任せてください」
プテラノドンタオルをアイヴィーに渡して、ひまりは真剣な顔で頷いた。
葉太郎も一歩前に出て、アイヴィーの前で片膝をついた。
「俺たちが、どちらが戦争を始めようとしているのか調べてやる。……だからもう泣くな」
ひまりがアイヴィーの手を握る。
アイヴィーは大粒の涙をこぼしながら、何度も何度も頷いたのだった。




