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イェルが瞼を開くと、光の糸で編まれた海が広がっていた。
黄・橙・金の入り混じった暖かな色合いの海が、どこまでもどこまでも続いている。
手足の感覚はない。自分の白い肌も、透明感のある薄水色の長い髪も見えない。
鏡はないが、イェルはすぐに理解できた。自分は肉体から解き放たれ、魂だけの姿になってこの場所にきたのだ、と。
神官に代々語り継がれた勇者召喚の術の中で、この場所はこう呼ばれている。
異世界と自分の世界をつなぐ境目、すなわち「境界」と。
(ここが境界……、とても神秘的ですね)
美しい光景に思わず見とれたが、すぐに自分の役割を思い出す。
(早く勇者を見つけなくては)
のんびりしている暇はない。イェルは感覚を研ぎ澄ませた。
イェルの頭の上に、ぱっと小さな灯りが灯ったような感覚があった。
これだ。イェルはその灯りを吸い込むようなイメージで引っ張る。
灯りが少しずつ自分に近づいてくる。ぱしゃん、と光の海が波打った。
なにかが境界に落ちてきたのだ。
イェルはそっとそこに近づいていく。魂だけになっている今、自分が移動できるのかどうか不安だったが、泳いでいる自分をイメージすると、すぐにたどり着くことができた。
たどり着いたその先で、黒髪の少女が光の海の中で静かに眠っていた。
イェルと異なり、少女は肉体を伴っている。異世界から肉体ごと連れて来たからだ。
年齢は王と同じ10歳前後の子どもだろう。イェルはほっと息をついた。
(よかった。召喚は成功です。あとは彼女が、勇者として正しき心を持っていてくれるよう願うばかりです)
祈るように少女を見つめて、イェルはふと気づいた。
黒髪の少女の胸元で、きらきらとなにかが光り輝いている。
(これは……、勇者の証明でしょうか? 確か言い伝えでは、勇者にはその証と力が授けられると言われていましたね)
波に揺られながら、イェルがそんなことを考えていた時だった。
『ふんっ!!』
どがしゃん、ばりん、ぼっちゃん。
気合の入った鼻息とともに、光の海になにかが落っこちてきた。
(……?)
イェルは首を傾げた。(実際のところ、魂だけになっているので首はないが)
既に勇者は境界に呼び込んだはずだ。一体何が落ちてきたのだろう。
不思議に思って落下物に近づこうとしたその瞬間。
『ひ ま り いいいいーーっっつ!!』
波しぶきと共に、成人男性が激しいバタフライでこちらへ突進してきた。
『キャーッッ!?』
イェルは叫んだ。魂だけになっても叫べるんだ、知らなかった。
突進してきたそれは少女の前で急停止。激しい波にさらわれ、イェル(魂)は水面を転がるビーチボールのようにぽーんと飛んでいった。
バタフライ男、もとい葉太郎は光の海で眠るひまりを抱きかかえ、外傷がないか確認した。ただ眠っているだけだと分かると、全身で安堵の息をつく。
『ああ、ひまり。怖かっただろう、ごめんな。さあ、一緒に帰ろう』
『ちょちょちょ、待ってください。なんなんですか、あなたは!』
波に流されるままだったイェルは、慌てて乱入者の元にばしゃばしゃ戻ってきて叫ぶ。
『勝手をされては困りますっ。彼女は選ばれた勇者なんです。グラース国を救っていただくという使命が』
『ああ……?』
葉太郎がぎろりとイェルの魂を睨む。その恐ろしい形相に、イェルの魂がぴょんと跳ねた。
『さては貴様が、この妙な空間にひまりを連れ込んだ張本人か。誘拐犯』
『ゆっ……!? わ、私は3国の中立を担う神官で』
葉太郎はがしっ!とイェルの魂をわし掴みにした。
わあ、魂って掴めるんだ、とどこか他人事のように心の中で呟く。
『どんな手品かは知らんが、LEDライトの分際で俺の妹をさらおうとはいい度胸だなあ!? 瓶詰めして玄関に吊るして、センサーライトにしてくれるわ!!』
『ギャーッッ!? イヤーッ!!』
イェルは叫ぶ。LEDもセンサーライトも分からないが、とにかく怖い。怖すぎる。
光の海がぐにゃりと歪む。それに合わせて、ひまりの体がゆっくりと飲み込まれていく。
『おい! ひまりを放せLEDライト!』
『たぁすけてええーーっ!』
どったんばったんと暴れる2人。その横ですやすやと眠るひまり。
暴れる最中、ひまりの胸元で輝いていた光が「ぽろっ」と剥がれ落ち、葉太郎の腕に張り付いた。
しかし騒ぐ2人と眠る1人がそれに気が付くことはなく──、3人は光の波の中に落ちていったのだった。
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そして場所は戻り、勇者召喚の儀式の場。
そこはラタの森と呼ばれる場所だ。グラース王城の東にあるその森は、大樹からあふれ出る魔素で満ちている。そのためさまざまな祭事を執り行う場として利用されていた。
しかし今日行われているのは勇者召喚。普段の祭事とはわけが違う。
警備を任されたヒイラギ騎士団の間にも、いつもとは違う緊迫感が漂っている。
彼らの中心には石の祭壇に横たわったイェルがいた。眠るイェルに、王であるアイヴィーがひょこりと近づいた。
そんなアイヴィーを、騎士団員が再び後ろに引き戻す。先ほどイェルを受け止めた青年だ。
「王、何度も言いますが危険です。あまり近づかないように」
彼はグラース国のヒイラギ騎士団副団長、フィーロ。21歳という驚きの若さだが、その冷静さと剣の腕を買われて副団長という地位についた。
35年ぶりの勇者召喚だというのに、その表情からは興奮も緊張も一切読み取れない。
アイヴィーは口を尖らせた。
「そうは言っても、寝てるようにしか見えないぞ。本当に大丈夫なのか?」
なんでも魂だけをここではない空間に飛ばし、異界から勇者を連れてくるという話だが、本当にそんなことができるのだろうか。
「大丈夫です。よく御覧ください。あの神秘的な姿を」
「う……ゔ~ん……、瓶詰めはいや……」
「うなされてるようにしか見えないが」
「もっと真剣に、心の目と耳でご覧ください」
真顔で無茶ぶりをする副団長。
こいつこういうところがあるんだよなあ、と王は心の中で呟いた。
一応もう一度祭壇を見てみる。額に汗をかきながら、イェルはうんうんと唸っていた。
「やっぱり寝てるだけじゃ……」
言いかけたその時。
イェルが「かっ!」と目ん玉をかっぴらき、ばねのように飛び上がる。
「ぎゃーっ!!」
「ぎゃーっ!?」
イェルが叫びながら飛び起きた。その勢いに驚いた王がひっくり返った。
静かに見守っていた周囲の人間たちがざわめきだす。
(神官殿が目覚められた!)
(ということは、勇者がついに召喚されるのか!)
(一体どこに……!?)
期待に胸を躍らせる騎士団一行。周囲に満ちるお祝いムード。
そんな中、祭壇から降りてぜいぜいと肩で息をしたイェルが、青い顔で叫ぶ。
「気を付けて! きます!!」
何が「くる」のか。それはもちろん彼らが待ち望んだ存在「勇者」だろう。
だが「気を付けて」というのは? 兵士たちが顔を見合わせて首を傾げる。
彼らの疑問が解けるより早く、イェルの背後の空間が歪む。光の糸が空で揺らめき、大きな花のつぼみになった。
神秘的な光のつぼみがゆっくりと花開き──、静かに眠る長い黒髪の少女が1人現れる。
その神々しさに誰もが息を呑み、そして確信する。
あれが、あれこそが勇者なのだ、と。
皆が歓声をあげようとしたそのとき。
「わしっ」と。光の花びらからもう一本手が生えた。
その腕には燦然と輝く金色の輪っかが付いている。イェルがその輪っかを見て出目金のように目をひん剥いた。
ごつごつとしたその手は、眠る少女の手を決して離さないとばかりに強く握りしめる。
『貴ぃ様らああぁぁ』
ずもももも、と不吉な効果音と共に。
少女の背後からさらに男が飛び出してきた。
(なんか出てきた)
(追加で出てきた)
予想外の出来事に、思考停止する王兵一同。
男は少女を大切そうに寝台に寝かせる。そしてゆらりと首をもたげ、兵士たちを見渡した。
獲物を捕らえたその目が、ぎらりと光る。
「俺の妹を連れ去ろうとは……、いい度胸だなあああ!?」
「「「ぎゃーっっ!!?」」」
歴史に残る勇者召喚。
グラース国の大騒ぎはのちのちまで語り草になった。




