3-2
それは、少女にとってとても幸せな記憶だった。
庭師自慢の庭園に咲き誇る花。白いテーブルの上に並べられたお菓子。
自分を見て幸せそうに微笑む、王と王妃。
微笑み返し2人を呼ぼうとした──その瞬間。
咲き誇った花がみるみるうちに枯れていく。
王と王妃の顔が青ざめ、みるみるうちにやつれていく。
少女は2人の名を呼ぼうとするが、声が出ない。
庭がすべて黒い闇に飲み込まれ、2人の姿が消えていく。
真っ暗な闇に取り残され茫然とする彼女の前にはらりと何かが落ちてきた。
彼女を救おうと、天から垂らされた糸のように。
それは赤い布と青い布だった。
涙をこらえ、少女はその2枚の布を握りしめた。
だが。
『──掴むな』
□□□□
「──っ!!」
アイヴィーははっと目を覚ました。
首が痛い。体を起こすと、見慣れた執務室が目に入る。
仕事中にうたた寝していたようだ。
体中にぐっしょりと嫌な汗をかいている。夢を頭の中で反芻し、顔をしかめた。
「……夢なんかに言われなくても、分かってる」
気分を入れ替えるために少し外の空気を吸おうと椅子から降りた。
扉を開けると、見張りの兵士が一礼した。
「王。赤の宰相から伝言を承っております。『修練場にいるので、気が向いたら来てください』と」
「ヒマリの修練か……」
「息抜き、息抜き」という赤の宰相の言葉を思い出す。
魔術の特訓に付き合うのも、少しは気分転換になるかもしれない。アイヴィーは修練場へと向かうことにした。
騎士団の詰所からさらに城壁に近い場所に修練場がある。修練場は魔術師と騎士の練習用にそれぞれ分かれていた。
兵士をお供に、耐魔術用の石材で作られた廊下を進む。部屋は合計で8つ、均等に並んで作られている。1番奥の右端の部屋が、アイヴィーが鍛錬をするときに使用する部屋だ。最近はひまりもその部屋を使っている。
扉のない大きな入口から、きらきらと光の粒がこぼれている。光属性の魔術でも習っているのだろうか。
王は部屋に近づき、そっと中をのぞきこんだ。
ひまりが真剣な表情で、天に向かって杖を掲げているのが見えた。
隣にいた赤の宰相が、ぱんと手を叩く。
「はい、すばらしい。今のがゴーストを浄化する光の魔術です。完璧でしたよお。これでいつ墓地に行っても大丈夫ですねえ」
「あ、あはは。墓地はちょっと行きたくないなあ……」
ひまりは苦笑いして、額の汗を拭った。
「赤の宰相さん。相談があるんですが」
「はい、なんでしょー」
「王様の好きな香りって、分かります?」
突然自分の名前が出てきて、アイヴィーはなんとなく隠れてしまった。
「好きな香りですかあ? それはまたどうして」
「イェルさんから、香りの魔術があるとお聞きしました。本来は魔物を誘き出すための術らしいんですけど、リラックス効果のある香りとかが出せるようになれば、仕事をがんばる王様の助けになるかなって」
赤の宰相はぱちぱちと瞬きをした。
ややあって、その場に座り込む。
「花の香りとかは、普通に好きでしょうけど……。勇者ヒマリ様、ちょっと無理してません?」
「へ」
「異世界に無理やり連れてこられて、魔物退治をさせられて。いくら魔術が使えるといっても、話の通じない生き物と戦うのは、怖いでしょう」
赤の宰相からすれば、早々に大暴れした葉太郎の行動の方が納得できた。
ひまりは適応力があるというか、ありすぎる。
彼女の善人さは、赤の宰相には不自然なものだった。
「王様のことまで気にかけて。ちょっといい子すぎて、無理してるんじゃないかと」
「……いい子、ですかあ」
ひまりは赤の宰相にならって床に座る。
体育座りをして、膝にあごを乗せた。
「私がいい子にするのは……『サンタさんに来てほしいから』かもしれませんね」
「サンタさん?」
「はい。私がいた国に伝わるお話です。真っ赤な服を着ているおじいさんです」
「ちょっと私みたいですねえ」
赤の宰相は、羽織った赤い肩かけを引っ張った。
ひまりはサンタの説明をする。1年間「いい子」にしていると、サンタがやってくる。サンタは、子どもの欲しいものをプレゼントしてくれるのだ。
「うーん。都合のいい存在ですねえ」
「おとぎ話ですから。……でも、私には来たんですよ、サンタ」
ひまりは昔を思い出す。
それは、今から5年前。ひまりが小学校に上がる直前のことだった。
「お父さんとお母さんが別れてしまって、私はお父さんに、お兄ちゃんはお母さんに引き取られました。私は離れ離れになって寂しくて、お兄ちゃんに会いたいって思ったんです」
そうして、今よりもっと幼いひまりは思ったのだ。
いい子にしていれば、きっとサンタさんが兄を連れてきてくれる、と。
だからひまりはがんばった。寂しいときも我慢した。苦手だったピーマンも食べた。クラスの学級委員長にもなったし、苦手な算数も勉強して100点を取った。
そうして2年経った冬のある日。
「そうしていい子にしていたら、すごいプレゼントがきました。お兄ちゃんが帰ってくることになったんです。でも……」
兄とまた一緒に暮らせると聞いて、ひまりは飛び跳ねて喜んだ。
離れ離れになる前の記憶。9つ年上の兄は、陽だまりのように明るくて優しい人だった。いつもひまりの手を引いてくれたし、おかしを半分こしたら、いつも大きい方をひまりにくれた。
そんな兄とまた一緒に暮らせる。ひまりはとても嬉しかった。
サンタが願いを叶えてくれたのだと思った。
けれど。
「……久しぶりに会ったお兄ちゃんは、別人になっていました」
兄は帰ってきた。
──感情を削ぎ落とした人形のようになって。
母は別の男性と再婚していた。母と新しい父にとって、葉太郎は邪魔な存在だった。彼らは、葉太郎のために父が振り込む養育費だけが目当てだったから。
葉太郎は周囲にバレないように2人から攻撃され続けた。まともな衣食住を与えられず、眠ることも許されなかった。言葉で、あるいは周囲にバレない程度の暴力で、存在を否定され続けた。
マンションの一角で、少しずつ少しずつ、人格と尊厳を剥がされていった。
継続的育児放棄および虐待による反応性愛着障害および重度のうつ状態。
ひまりは単語さえ分からないそれが、2年ぶりに会った兄の病状だった。
ひまりはその2年で、兄が彼らに何をされたのか知らない。父に「お兄ちゃんはきっとお前には知られたくないから」と言われたので、決して聞かないようにしている。
「2年ぶりに会ったお兄ちゃんは元気がなくて、だから私、またいい子を続けました」
サンタさんが、お兄ちゃんに笑顔を取り戻してくれますように。
昔みたいに、一緒に遊んでくれますように。
ずっと部屋の隅に座り込んでいた兄に、ひまりは何度も笑いかけた。
ご飯が美味しかったら笑ってくれるかもしれないと、父と一緒にたくさんおにぎりを作った。
図工の時間に粘土で恐竜を作って、プレゼントした。
そうして、1年後のクリスマス。
「お兄ちゃんが笑ってくれたんです。本当に嬉しかった。2年後にはたくさん喋ってくれるようになって。3年後の今年は、異世界も飛び越えられるほど元気になって」
最後ちょっと元気になりすぎだろ、と赤の宰相は内心つっこんだ。
妹を追って異世界に飛び込み、兵士をボコボコにするほど元気になってしまった。
サンタという生き物も、もう少しさじ加減ができないものだろうか。
「分かってます。サンタさんじゃなくて、お兄ちゃんががんばって元気になってくれたんだって」
苦しい記憶と戦って、今ここで生きてくれていること。
それは、誰かの贈り物ではなく、葉太郎の勇気で成り立っているのだと、ひまりは理解している。
だからサンタクロースが来てくれる、というのは、あくまで願掛けに過ぎない。
「私が『いい子』なのは、お祈りみたいなものです。いい子にしてたら、いいことが起きるよー、みたいな」
「……でも、王様が元気になるのは、いい子の範疇を超えていると思いますよお? あなたには関係ないでしょう」
そこまでしなくても、という赤の宰相の言葉に、ひまりはにこっと笑う。
「王様は友達です。友達が笑顔の方が、嬉しいです!」
赤の宰相は、目を丸くした。
壁の向こうで立ち聞きしていたアイヴィーも、だ。
赤の宰相はあぜんとひまりを見つめて、困ったように笑う。
「やっぱり、あなたはただのいい子ですよお」
赤の宰相は立ち上がった。
扉のない入り口の方に視線を向ける。
「王様の好きな香りは、王様に直接お尋ねしましょうか。きっともうすぐいらっしゃるでしょうから」
その言葉は、入り口の影に隠れているアイヴィーに向けられたものだ。
気づいて言っているな、とアイヴィーは舌打ちした。
(……友達、か)
友達と言っていいのだろうか。
自分は、勇者を利用するためにここに呼んだのに。
アイヴィーはうつむき、やがてぶんぶんと首を振った。ここで悩んでいても仕方ない。
アイヴィーは入り口の影から足を踏み出し、明かりの灯った修練場へと一歩足を踏み出したのだった。




