2-6
朝のラタの森はやや肌寒い。
深く覆い茂った緑が太陽光を遮断するからだ。だが、軽鎧を着た葉太郎にはちょうどよい暖かさだった。
フィーロを先頭に、殿を神官イェルがつとめ、真ん中に手を繋いだ勇者兄弟を挟む布陣で、4人は森の中を歩いていく。
「ひまりはいくつ魔術を使えるようになったんだ?」
「4つだよ」
「4つも! さすがだなあ」
「えへへー」
ひまりは背負ったリュックサックから、紐で編んだ冊子を取り出した。
魔術の勉強のために作った学習帳だ。ひまりはページを開いて、勉強した成果を見せてくれた。
「魔術はね、魔素っていう空気中の魔力を変化させて使うんだって。方法は色々あって、呪文を唱えたり、魔方陣を書いたりするの」
ノートに描かれた手書きの魔方陣を指さしながら説明する。綺麗な円で描かれた魔方陣は、おそらくひまりに魔術を教えていた誰かが書いたものだろう。
「グレートレントに有効な火の玉を出す魔法と、火の雨を降らせる魔法を覚えたよ。あとは、みんなを守れるように防御の魔術。王様が教えてくれたんだよ! 最後は時間があったから、光の魔術を追加で教えてもらったんだ。光と闇の魔術は、大体の魔物によく効くんだって」
「さすがひまりだ。賢い、天才、準備がいい」
褒めちぎる葉太郎に続いてフィーロも頷く。
「数日でそれだけ覚えるとは、たいしたものだ。俺が習っても、あと10日はかかっただろう」
ひまりは照れて、手をぱたぱたと動かす。
「先生の教え方がじょうずなんだよ。青の宰相さんはとても説明が丁寧だし、赤の宰相さんはイラストも付けて教えてくれたの」
ひまりが赤の宰相の書いた魔方陣や魔物の絵を指さした。
「あの2人は、王の教育係も務めてらっしゃるからな。そんな2人に教えを請えるなど、中々貴重な機会だぞ」
「そうなんだ。王様は10歳なんだよね。私と同い年で王様って、すごいなあ」
「ああ、前王と王妃が昨年病で亡くなってしまったからな」
フィーロの言葉にひまりの顔が少し強張った。
「まだ王位につかれたばかりで、色々と戸惑っていらっしゃるのだ。……無作法な部分もあるかもしれないが、多めに見てやってくれ」
ひまりと葉太郎、2人に向けた言葉なのだろう。何も知らなかったひまりは、自分に魔術を教えてくれたアイヴィーの顔を思い出す。
玉座の上から自分を見下ろしていた緑の瞳。魔術の練習で正面から自分を見据える瞳。その目の下にはいつもうっすらとクマがあった。
国の未来を1人で背負うというのは、どれほどの重圧なのだろう。
ひまりには想像もつかなかった。
「……私、次は回復とか安眠の魔術も勉強したいな」
ひまりの呟きが聞こえたイェルが、彼女の顔を覗き込むように少しかがんだ。
「あら、それなら私がお教えしますよ。回復なら光属性が1番種類が多いですね」
「本当? イェルさん、ありがとう」
微笑み合う2人。そのとき、不規則に茂みが揺れた。フィーロと葉太郎が、2人を庇うように一歩前に出る。大きく揺れた茂みの奥から、2匹の魔物が飛び出してきた。
討伐対象のグレートレントではない。半透明にぶるぶると震える、サッカーボールくらいの生き物。スライムだ。
スライムはあらゆる地域に生息する魔物だ。生息地によっては金属を腐蝕させたり、街一つ飲み込んでしまうような恐ろしいスライムもいる。だがラタの森のスライムは、特性のない一般的なスライムで、工夫すれば子どもでも倒せる。冒険初心者にはぴったりの魔物だ。
これなら、ひまりのチュートリアルにちょうどいいかもしれない。そう考えたフィーロは剣を抜かず、ひまりの方を振り返った。
「勇者ヒマリ、このスライム討伐を任せてもいいか」
「ひまり、このスライムなら、今あなたが覚えている魔法で充分倒せますからね」
「がんばれ、ひまり! お兄ちゃんが応援してるぞ!」
「う、うん。やってみるね!」
場所はグラース国東部、ラタの森。
勇者ひまりの初の戦いが、幕を開けた。
□□□□
3人の声援を受け、ひまりは握りこぶしを作って、大きく深呼吸した。
「集中、集中……」
じりじりと近づいてくるスライムに、ひまりが城で支給された木の杖を翳した。
杖の先に赤い光が生まれ、収縮する。限界まで小さくなった光の玉が、ぼっと炎を生んだ。
「ファイヤァー!」
手のひらほどのサイズの火球が、スライムの1匹に命中する。
スライムは液状の体を蒸発させて消えていった。
見守っていた3人がわっと湧き立つ。
だがまだ終わりではない。スライムはもう1匹いるのだ。
爆発したスライムの横をすり抜け、もう1匹が攻撃に転じる。ひまりの腕めがけて、体当たりを繰り出してきた。
しかし、イェルもフィーロも特に焦りはしなかった。なぜならひまりには、城の魔術師達が肉体強化の魔法をかけている。スライムの体当たりなら、多少小石がぶつかった程度の衝撃でしかないだろう。
スライムがぺちり、とひまりの腕にぶつかった。
次の瞬間。
スライムが「ドゥン!」と音を立てて空の彼方に吹っ飛んでいった。
「…………」
空の彼方を見つめるイェルとフィーロ。
「……あれえ?」
きょとんと首を傾げるひまり。
「ブラボー、エクセレント、素晴らしいぞ、ひまり」
涙を拭いながら惜しみない拍手を送る葉太郎。
「いや待たんかい」
イェルは葉太郎の襟首をむんずと掴み、小声で問いただす。
「あなた今何やったんですか」
あれは城の魔術師の強化魔術ではない。
だとすれば、絶対この兄がなんかやっている。
「何もしていない。しいて言えば、ひまりに魔物避けの魔術をかけていただけだ」
「ま、魔物避けの魔術?」
虫除けと同様、魔物を避ける魔術は存在する。
だが触れただけで相手が吹っ飛ぶ魔術など聞いたことが無い。
そもそも葉太郎には魔術適正はなかったはずだ。
イェルは頭にいっぱい「?」マークを浮かべた。
「お前たちが言っていた、ギフテッドといったか。あれの仕組みが分かったぞ」
「!?」
イェルとフィーロの目の色が変わる。それは今一番気になる情報だった。
異世界から呼び出された者に神が与える特別な力。それは今後のグラース国にも大きな影響を及ぼす。
そんな超重大発表を、葉太郎は自身を指差してこともなげに言った。
「多分、俺は自分にかけられた魔術を応用して使えるんだ」
「え」
「は?」
「城の魔術師にな、虫除けと身体強化の魔術を、ひまりにかける前に俺にかけさせた。そうしたら、こう……、頭の中に魔素の使い方みたいなものが沸き上がってだな。それを応用したら、魔物除けの魔術を編み出すことができた」
「そ、それで、虫除けの術を改編して、魔物が触れただけで『ドゥン!』と吹っ飛ぶ術を作ったと……?」
「まあ、そうだな」
イェルはくらりと立ち眩みがした。フィーロもぽかんと口を開けたまま固まっている。
魔術は空気中の魔素を利用してあらゆる現象を起こす力だ。
つまりこの男は、魔術をかけられるとその魔術を使えるようになり、さらに改編することもできると、そう言っているのだ。
それならば、昨日風の魔術を使ったのも説明がつく。葉太郎が風の魔法をぶっ放したのは、魔術師の風の攻撃を受けてからだった。
説明はつく、が。
葉太郎のやっていることは、もはや魔術とは別次元の神の領域だ。
2人の頬をたらりと汗がつたった。
(今後私が魔術をかけたら、全部ヨータローが使えるようになるってことですよね……。うわあ、気をつけなくては)
(これがギフテッドか。こんな能力、悪用されれば簡単に国が滅ぶぞ)
あまりにも規格外の能力は、味方にさえ危機感を抱かせた。
そんな2人の心情も知らずに、葉太郎はドヤ顔で説明する。
「ひまりが怪我をしないように、魔術は練りに練った。寄ってくる魔物は自動で吹っ飛ばすし、毒性のある植物は触れれば自動で消滅するはずだ」
(今のところはやつの妹が要塞になっただけだが)
(ああ、城の魔術師達が苦労して強化魔法をかけた意味が)
兄のチート能力は妹に一心にそそがれ、妹は近寄る者皆消しとばす無敵の要塞と化した。
何もしらない無垢な少女の笑顔が、急に恐ろしいものに見えてくる。
「これでひまりの身の安全は完璧──」
「あ、かわいいうさぎさん」
葉太郎の熱弁の最中、茂みからふわふわとしたウサギが現れた。
その額には申し訳程度の小さな角が生えている。ゆきわたげと呼ばれる獣の魔物だ。
繁殖力を除けば大した脅威はないので、スライム同様、初心者用の魔物として知られている。
ひまりは地面に膝をつき、愛くるしいうさぎに思わず手を伸ばした。
ふわふわの毛に触れた瞬間、ゆきわたげが「ドゥン!」と空の彼方に飛んでいく。
「「「あ」」」
葉太郎の練りに練った魔物避け。
触れる魔物は皆、自動で殲滅する。
例外はない。
「…………」
ひまりの目にじわ、と涙が溜まる。
「ばか! 早く魔物避けの術解きなさいばか!」
「ひまりごめんな! にいちゃんが、にいちゃんが悪い! でも魔物は危ないから不用意に触らないようにしような!」
イェルに杖でぽかすか殴られながら、葉太郎は術をちょっと弱めにかけ直したのだった。




