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あの日見た笑顔はもうここにいない

作者: 司馬 雅

 壱


 彼女が出て行って、三日目の夜、部屋の荷物が消えていた。


 無くなっていたのは、彼女の物だけ、明るかった部屋が、モノトーンに変わる。


 凄い好きで、全く別れたくなど無かった。なのに、別れはやって来た。


 若かったと言えば聞こえがいいが、愚かだったとしか、自分には言えなかった。


 去って行ってから、一週間もしないうちに、後悔が津波の様に襲い掛かってくる。


 手段はあった、方法もあった、一番つらいのは、お互い嫌いで別れた訳でもないことだった。


 俺は、ウィスキーを、ストレートで飲んで、そのまま、部屋の床に寝転んで泣いた。


 二十三、若さゆえに、意地張って、引き留めも出来なかった。


 そして、三十五年たった今も、忘れていない。


 弐 


 彼女との出会いは、都内のしがないレンタルビデオ屋。


 俺が社員で彼女が、バイトの面接にやって来た。


 店長が小太りの女性で、奥の二階の個室に、待ち構えていた。


 彼女が階段を登る、ミニスカートが眩しく、覗きたい気持ちを抑え、接客に集中した。


 恥ずかしながら、その時、ほとんど、彼女の顔を、覚えていなかった。


 後日、彼女がバイトにやって来た。


 その時、初めて、会話をした。


 彼女は、菜々美と言った。十九歳の音大生でピアノを専攻していた。


 俺は、その時、名乗ったのかさえ、覚えていない。


 菜々美は、週三から四入っていた。


 遅番で、閉店時間は深夜一時、家は近所だと言っていたので、時間と共に上がって帰した。


 日を追うごとに、菜々美の事がだんだん判って来た。


 出身は四国の香川で、一人暮らしをしている。仕送りはあるが、それだけでは、厳しいのだろう。


 笑顔が可愛く、よく、コロコロと笑っていた。


 俺は当時、バンドマンだった、一緒に暮らす、彼女との、生活の為に、就職はした。


 見てくれは、腰まで伸ばしたロン毛の、こ汚い奴だったろう。


 それでも、職場で、菜々美は、屈託のない笑顔で、話しかけて来てくれた。


 菜々美が入って、四カ月位に、事態が変わった。


 閉店して、いつもは店の前で、別れ、俺はスクーターで、帰っていた。


 だがその日、何故か、バイクを押して、菜々美の家まで、一緒に行った。


 そこで、俺からだと思うが、「家にいってもいいか?」と言った。


 菜々美は、躊躇もなく、断らなかった。信用されていたのだろう。


 部屋に入り、まず驚いたのが、部屋の半分以上をグランドピアノが、占めていた事だ。


 菜々美の、部屋は、鉄筋のマンションで、1ⅬⅮKだった。


 流石、音大生だと、始めて認識した。


 こんな深夜に、男を入れて、と思うかもしれないが、俺たちは、他愛もない話や、音楽の事、

 そして、アコースティックギターが、あったので、簡単なコードで、一緒に歌ったりして、朝を迎え、俺は、帰った。


 そして、次の日、また、家に寄った。


 今度は、自然と、お互いの相手の話をした。菜々美は、地元に年下の彼がいた。


 俺には、同い年の彼女がいた。付き合いだして二年経つ、同棲して一年、暮らしてみたら、お互いが仕事ですれ違い、

 会話もしばらくしていなかった。


 菜々美との時間が、新鮮で、そして何より、性格が良くて、可愛らしかった。


 讃岐弁の言葉尻やアクセントも、埼玉育ちの俺には新鮮で、「うち」と呼ぶ言葉が好きだった。


 この日、お互い相手がいるのを知った、そして、お互いに確認し合った。


 だが、まだこの時は何もしていない。只この時点で、付き合い始めることを誓った。


 俺は、明け方に家に帰り、寝ていた彼女を起こし、別れを告げた。


 彼女にしてみれば、まさに、寝耳に水であったろう。


 それまで、全く一切、そんな素振りも見せず、暫く会話は無いとはいえ、別れるとは思っていなかったろう。


 そう、これは、全て、俺の身勝手。タイミング的には、浮気になるのかもしれない。


 今でも、申し訳ない事をしたと、彼女には思っている。言えはしないが。酷い男である。


 だが、今でも後悔はしていない。菜々美を選んだのは、間違いじゃなかった。


 別れを告げ、また、菜々美の部屋に行った。


 そして、彼女も、彼氏に、電話で、別れを告げた。


 感傷に浸るより、感情が、溢れ出した。


 改めて、向かい合い、よろしくと、お互いに言い合った。


 菜々美の家に行って、三日目に俺たちは、結ばれた。


 まだ、俺の事を、加藤さんと呼んでいた時だ。


 三 


 部屋を出てきた俺は、荷物も住む家も無かった。


 荷物を取りに、部屋に行く、彼女が仕事に行ってる隙に、自分の荷物を、菜々美の部屋に、持って行った。


 必然的に、同棲する事になるだろうと、思っていたが、流石に、菜々美は困った。


 理由は、色々あったんだろう、ピアノの練習に集中出来ない、四六時中は、居たくない、等。


 最初の一週間ぐらいは、お互い若さで、求め合うのもあるが、一人の時間が、菜々美には必要だった。


 俺は四畳半一間、便所共同の部屋を、荷物置き兼、たまに菜々美が一人になりたい時用に借りた。


 隣には、何語で喋ってるか判らない、変な音楽かけてる奴が、住んでいた。


 俺は毎日居る訳でないから、あまり気にはならなかった。


 こうして、菜々美と、過ごす日々が始まった。


 十九と二十一、今から思えば、子供でままごとであったと、思う。


 だが、当時は、それが全てだった。


 ビデオ屋の仕事は、辛くないが、時間は、拘束されていた。


 朝十一時から始まり深夜一時、当時はシフト制も無く、残業代も無かった気がする。


 バンドマンだったが、結局、菜々美といた日々に、活動した記憶が、殆ど無い。


 それでも、髪は切らず、よく、二人で、手を繋いで歩いていても、後ろから、声をかける、輩は良くいた。


 俺が振り返ると、皆、帰っていく、菜々美は一人の時、声掛けられていたのか、今思えば、聞いた記憶がない。


 当時、俺は、疑う事も無かった位、自信があった。


 俺を裏切ったり、別れたり、離れたり、そんな事を、微塵も考えてなかった。


 容姿も、性格も、何もいい所など、自分では、恥ずかしくて、言えないが、問答無用に自信があった。


 驕りと言うやつだ。喧嘩もしたし怒られもした。


 何かあって、俺から、離れるみたいな仕草をすると、泣いて、すがってくれた。


 これが、俺の分岐点だったろう、と、今になって思う。


 くだらない意地で、凄んでみたり、突き放してみたり、馬鹿としか、言いようがない。


 それでも、すぐ、仲直りは出来た。お互いの気持ちが、あればこその時はだ。


 そんな俺たちに、事件が起こった。


 寝言で、俺が、前の彼女の名前を、呼んだらしい。


 起きたら、俺の荷物が、揃っていた。


 出ていけと、言われ、話し合えないまま、俺は、出て行った。


 と言っても、あの、おんぼろアパートにだ、勿論、菜々美も知っている。


 二日くらいして、菜々美が、起こしにやって来た。


「ごめんなさい」と泣いて、謝って来た。


 そのまま、俺たちは、抱き合い、仲直りした。


 菜々美の部屋に戻り、許してもらえたのかと、思ったが、何日かして、その話が出た時、まだ、許してはいないんだと、気付いた。


 菜々美は、結構、しぶとく、根に持つタイプだと、自分で、言い切った。


 俺を、戒めていたのだろう、それを、俺は、軽く受け流していた。


 今思えば、それも、俺の驕りであった。


 俺は、彼女の全てが愛しかったが、声が好きで、よく、鼻歌交じりに口ずさんでる、歌声が、可愛くて仕方なかった。


 夜、布団に入りながら、よく、映画を見ていた。


 菜々美は、ディズニーが好きで、よく見てたから、今でも、覚えてる。


 当時、ファンタジアが出た頃で、リトルマーメイドや美女と野獣等、見ていた。


 耳元で、囁くように、口ずさんでいた、その顔も、まだ、覚えている。


 耳のくすぐったい感触が、懐かしい。


 四 


 よく、休みになると、出かけた。


 付き合い始めは、部屋に居る事が多かったが、二人とも、出歩くのは好きで、良く出かけた。


 都内に居たので、電車が主だったが、行く所は豊富にある。


 デートをするのは、新鮮な気持ちにもなる。


 演劇を見に行った事もあった。俺は、ライブは行った事があったが、初めてだった。


 今でも覚えてる。ワハハ本舗の舞台だった。どれ位のキャパかは覚えてないが、前から五列目位で、

 お笑い要素満天の最後にシリアスにキスして、驚いたのを覚えている。


 あと、オペラ座の怪人も行った、舞台なのにちゃんと、字幕が出るのは、圧巻だった。

 オリジナルでなく、ケン=ヒルと言う人のだった。今でも、覚えてる。劇中歌も。


 家の近所のラーメン屋にも、よく行った。残念ながら、まだ一緒に居た時に、閉店してしまったが。


 たまに、車借りて、地方にも行った。彼方此方行ったが、これは、余り、覚えてない。


 今、思い出した、一回、黙って、友達の家に泊まった時があった。小学からの幼なじみの家に四日間、

 当時、携帯は無く、家の電話のみだった。       

 ボロアパートの部屋の留守電が、定かでないが、五十件は入っていたと思う。


 最初は、「どうした?」位だったのが、だんだん、心配に変わり、泣きだし、怒り出していた。


 菜々美の部屋に行くと、また、荷物が、まとめられていたのを、覚えている。

 この時は、平謝りした記憶があるような、無いような。


 これだけ、書いても、菜々美に、迷惑を掛けていたことが、三十五年経った今でも、悔やまれる。


 そうして、また、仲直りをするのだが、一年が過ぎた頃、いや、もう少し経った頃。


 また、問題は起こる。


 五 


 菜々美が妊娠した。それを聞いた時、俺は、迷いなく、結婚したかった。


 だが、まだ音大生の菜々美は、嫌がった。


 当然だ、夢半ばで、家庭に入るなんて、よほどの覚悟がないと、出来ない事だと、今、思える。


 当時の俺は、何も考えず、責任としての結婚で、菜々美の人生を、背負うつもりで、何も考えてあげていなかった。


 説得はしたが、やはり、首を縦に振ることは無かった。


 話合い、中絶おろす事になった。もちろん、事前の診察から、当日の日も立ち会った。


「痛いよ」と入院ベットの中で、泣いていたが、今思えば、心も身体もだったのだろう。


 今でも、生んでほしかったと思っている。俺のエゴでしかないが、生んでいたら、今、横に菜々美が、

 居てくれてるのかもしれない、タラれば、だと言うなら、どうでもいい、居てほしい。


 それからも、俺たちは、別れることなく、過ごしていた。


 あれからどれ位経ったか、車で、旅行した。場所は覚えていない。


 旅館に泊まり、浴衣姿の菜々美が、窓の近くの椅子に座って、微笑んでるのを見て、神秘の女神に見えたのを、

 覚えている、その時、とった写真が、有ったが、別れて、いつの間にか捨てた気がする。


 そこにも、女神が写っていたのを、覚えている。幼馴染みの、相棒に、自慢したのを覚えてる。


 そして、運命の事件が、起こった。


 菜々美のお父さんが、病に倒れ、仕送りが出来なくなった。


 マンションの家賃や生活費、学費も、いくら、バイトをしても、学校に行っては、たかが知れている。


 そこで取った、俺の決断が、違う所に住んで、一緒に暮らす。ピアノは、倉庫に預ける。


 この決断で、菜々美は、渋々、頷いた。俺は意気揚々と、部屋を見つけ、トラックを借り、引っ越した。


 ピアノは、後に業者が、運ぶと聞いていた。


 そして、新居に越して、三日目に、菜々美は、姉と一緒にピアノのある部屋に戻ると言って、出て行った。


 その話をされた時、俺は、引き留めもしなかった、去り際に、


 「とし、うちと離れられて、良かったね」


 と言わせ、否定しなかった事を今でも、後悔している。


 何故、菜々美はそんな事を言ったのか、俺がいつ別れたい等と言ったのか、何故。


 只、この時には、もう、すがろうが、謝ろうが、全てが、遅かった。


 全てが、離れて行ってしまった。それから、三日後、部屋に残っていた、菜々美の荷物が、無くなっていた。


 俺は、ウィスキーのストレートをラッパ飲みして、部屋の床に寝転んで、泣いた。


 三十五年経つ以前、居なくなってから、すぐ、思ったと思う。


 こんな、アパートや引っ越し費用があるなら、何故、家賃払って、そのまま、暮らさなかったのだろう。


 只、これだけが、この一つが、運命を変えた、最大の後悔だ。


 今でも思う。菜々美に逢いたい、当時を語れるかは、分らない、今会えば、もう、五十半ばの二人、

 お互いに幻滅するかもしれない。


 只、忘れられない、貴方を、たった二年の人生を、共に過ごした菜々美を、今も心の中で愛してる。


 現在、俺はバツ一、再婚して、三人の子供がいる。上の子は十九の男。


 菜々美と出会った時の歳の子供がいる。


もし、あの時の子が生まれていれば、三十六歳位の子供がいたんだなと、思うと、時を感じるな。

  

なあ、菜々美。健やかで、幸あれ。


   了

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、

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どうぞごゆっくりご覧くださいませ。


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