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第4章-----(1)



 隠れ家の廃屋へ戻ると、リディアはルーダンの宝物庫から失敬してきたいくつかの宝石を床底からとりだした。これをメフィストへの謝礼として総合ギルドへ届けなければならなかった。


 彼女は腐りかけた床板をはめなおして、息をついた。力が出ない。昨日は日中いっぱい黒衣兵に追いかけられた上に、夜は夜で怪物から逃げなければならなかったのだ。あの危険な夜の森中で何が起きたのか、まだ怪物の攻撃的な思念が体内に残る今はあまり深く考えたくない。


 リディアはまわりを石で囲んだ、形ばかりの暖炉に火をいれると、床に身をよこたえた。メフィストはルーダンの別荘へ訪ねてゆくと豪語したものの、やはりさすがにあれだけの大魔法をもちいたために疲れたのか、あれから部屋にひきとって眠ってしまった。だからリディアも午後からの襲撃にそなえて少しでも身をやすませようとするのだがうまくゆかない。あまりにいろいろなことがありすぎて目がさえてしまっている。


(真紅の石)


 魔法使いの話は本当だろうかと思う。


(そしてあの怪物――)


 真紅の石はあらゆる望みが叶う石だと聞いていた。魔法使いはもっともらしく説明してくれたし、これまでだってルーダンのサロンなどでその手の話はいくらでも聞いている。けれどもリディアにはわからない。彼女は七魔石さえ見たことがなかったし、真紅の石にしても漠然としすぎていて、現実としてどのような価値があるのかなどさっぱり理解できないのだ。それでも旅を続けてきたのは、真紅の石さえあればどんな望みも叶うという盲目的な信仰をうえつけられていたからに他ならない。


(なぜ)


 魔石はある種の人々の興味をとてつもなくひきよせる。それは狂信的といってもよい。ルーダンもそうだし、彼の屋敷に出入りしていた協賛家たちもそうだった。そして兄も。


 ぶるっと身を震わせる。怪物の、断末魔の叫びを思い出したのだ。


 彼女は起きあがり、暖炉の灰をかきだしはじめた。そうしながら、思念を振り払うように首を振る。


(あたしは……)


 兄にかけられた呪いを解くため、リディアもまた真紅の石を探す。ただ、彼女は少し違っていた。彼女は真紅の石の実在を信じはしたが、それによって自分が富を得るとか栄誉をうけるということはあまり想像しなかった。だから人々の狂信がわからない。いや、彼女は本当に真紅の石の奇跡を信じているのだろうか。


 自分自身の心情に驚いていた。


(怯えてる……――?)


 なぜ、と心の声が問う。


 彼女は、わからないわと答えた。


 リディアは起きあがった。手探りで愛剣のベルトをさぐり、細剣を腰にしっかりくくりつける。体が眠りを必要としていない以上、次の行動を起こすのが彼女のやり方だった。


 リディアはトロルの町はずれにある一軒家の前に立った。


 簡素な民家である。しかし壁板の色がわからぬほどにびっしり貼られた大小のポスターやチラシを見れば、ここが特別な家だとわかる。どんどん重ねて貼られてゆくポスターはもはや家の壁だけではおさまりきらず、庭に設置された掲示板にもあふれていた。その内容は地方騎士団の新人勧誘広告、傭兵の募集、各種商店の広告、奉公口の斡旋、学問所の入学願書、人気の高い将軍や貴族の最新情報、訓辞、流行ファッションの絵、スポンサーの富豪を讃える詩といったところである。これがトロルの総合ギルドのありようだった。


 リディアは、この最北の町を中心とした近辺一帯の治安維持にもつとめるギルド事務長アンリに面会を求めた。といっても、庭先で遊んでいたアンリの五歳になる息子のヤールに父親の居場所を聞いただけである。


「とうちゃん、事務室だよ」


 子供はにっと笑った。


 はたして義侠心あつく、敏腕で知られる事務長は、穴だらけのソファの中にたくましい体を投げ出して、お気に入りのパイプをふかしていた。背中の壁には立派な額に入れられたギルド創設者の肖像画がかけてある。


「お早う」


 リディアを見ると、アンリは力強い笑みを向けてきた。


「今日もどうやら生きてたな、めでたいことだ。で、首尾は」


 結界のことを言っているのだ。リディアは黙って首を横に振る。彼女は謝礼として用意してきた宝石をテーブルに置く。アンリは険しい表情で頷き、それから宝石を光にすかして見、


「仲介料だけにしては多すぎるぞ」


 と言った。


「請負人への支払いもあるんだわよ」


 堪えきれず、リディアは笑い出した。アンリは、これまでリディアの依頼を受けた五人の請負人の末路を念頭においていたからメフィストも殺されてしまったものだと思いこんでいたのだろう。真実を知ると目を剥いた。


「生きていたのか、あの術師」


「ええ、そう。ぴんぴんしてるよ、ちょっと怪我をしたけど」


 リディアは結界こそは解けなかったものの、昨日はメフィストの呪法によって黒衣兵の攻撃も随分かわせたし、しまいには正体不明の怪物まで倒してしまったことを話した。するとアンリの顔つきががらりと変わった。


「怪物だと」


「うん」


「それについて詳しく教えてくれ」


 その目が鋭く細められ、異様な熱がおびて見えたのは気のせいだろうか。


 リディアは怪訝に思ったがうながされるままに話しはじめた。話しながら、外の気配を何度もうかがう。状況を細かくメモにとり、リディアの話が終わってからはしきりに考え込んでいたアンリがふと顔をあげて、苦笑した。


「落ち着かないのか。困ったもんだな、逃げつづけるってのも」


「まあね」


「で、その怪物ってのはいつもお前さんが言っていた例の結界から出てきたってことなんだな。確かだな」


「この目で見たわよ、結界が魔法陣になってそこから怪物が出てきたの。メフィストは次元……がどうのって、ルーダンが罠を張っていたんじゃないかって言っていたけど」


「そうか」


 アンリは真剣な表情に戻り、低く息を吐き出した。


「あの若造、魔法使いだけのことはあるってことか。まあ、いい。しかしそういうことなら、ちょいと顔を貸してもらわなくちゃいけないな。おい、リディア。お前さんたちに至急、見てもらいたいもんがあるんだけどね、魔法使いに都合を聞いてきてくれないか」


「それはいいけど――」


 リディアが腰を浮かしかけた時だった。激しくおもてのドアが叩かれた。血相をかえた町の男たちが入ってきた。


「親父さん!」


「なんだよ、むさ苦しいな。気を利かせろよ、せっかく美女とこうしてふたりきりでしっぽりお話してるっていうのに」


 リディアがそこにいることを知ると、男たちは驚いたようだった。


「馬鹿なこと言ってるんじゃねえ、連中が、貴族の手下の連中が広場で暴れてるんだ」


「なんだと」


 アンリは鋭く言った。


「黒衣の奴らか。怪我人は?」


「数えきれるかよ、それで宿屋のダンが戦っている」




 あたりは騒然としていた。


 乱闘があったのは中央広場ということであったが、よくよく見れば、そこにいたる道の途中でも家々の壁がへし折られていたり、花壇が踏み砕かれていたりする。無惨な様相は広場へ近づくにつれあらわになってきた。階段を駆け上がり、プレートの段差を一息に飛び越えて辿りつくと、リディアはくたくたと膝をついた。


「酷い……」


 黒衣兵の刃に倒れたらしい、何人もの男女が横たわっていた。踏みかためられた広場の土のあちこちには黒い血痕がしみこんでいる。傷だらけの男たち、それを手当しようとする女たち、死体を抱きかかえてむせび泣く者、しかしほとんどの者が放心してしまったかのようだった。


 リディアは咄嗟に〈山兎亭〉を目で探した。広場からはずれていたのが幸いしたのか、〈山兎亭〉の店先は普段とかわらぬようではある。けれどもそこも看板が割られ、薄い壁板がへし折られ、樽や木片の残骸があった。店から少し離れた荷置き場に見事な上半身を剥きだしにしたダンが荒い息で座りこんでいる。彼はどこから持ち出してきたのか、おそろしく巨大な、自分の身長ほどもあるこん棒をたずさえていた。こん棒の先には鋭い牙がついており、それは当然のように血塗られている。ダンは、それを膝にあてながら虚空を睨みつけている。


 そこで凄絶な戦いが繰り広げられたのは容易に想像できた。ダンの足下には頭をつぶされた死体が転がっていたし、あちらこちらに奮闘の跡が見うけられた。野次馬たちも興奮がさめやらぬようで、事情を知らぬ新参の野次馬が来ると口々に説明をはじめ、口調は熱をおび、しまいには怒鳴りあいのようになってくる。その野次馬たちを〈山兎亭〉の老婆が片っ端から箒で追い散らそうとしている。リディアとアンリはちょうどそんなところへ駆けつけたのであった。


「おどき、片づけの邪魔だ! 怪我人がいるんだ、どけったらどけッ!」


 野次馬たちは相手が老婆ではやり返すこともできず、しぶしぶながらも散ってゆく。老婆はリディアの姿をみとめると意地悪く言った。


「何しに来たんだ、小娘。この疫病神、あの黒い悪魔たちが町を滅茶苦茶にしていったのはお前のせいだろ」


「婆さん。ひでえこと言うなよ」


 アンリが割ってはいると、老婆はじろっと見すえる。


「いたのかい、旦那。もうちっと早く駆けつけて欲しかったねえ。あんたはギルドの事務長だろう、町のことにはしっかり目を光らせていてくれないと困るんだよ。あんたには借りがあるけど、これとそれとは話は別さ、さ、どう責任とってくれるんだい、アンリよ。事務長なんていって偉そうにふんぞり返ったって駄目だよ、あたしゃ、あんたが母親の乳首に吸いついて離れなかった頃からあんたを知ってるんだからね」


「おいおい」


 アンリは頭をかいた。老婆はひとしきり愚痴とも文句ともやつあたりともつかぬ言葉を吐き出すと、むすっとした顔のままではあったが、ようやく冷静な言葉を吐いた。


「うちの中に怪我人がいるから事情を聞いとくれ」


「お、なかに入れてくれるのか」


「仕方ないだろ。術師の坊やが手当をしてくれてる、ダン――ダンッ! いつまでそんなみっともない格好でいるんだ、ほら、アンリが来たよ。お前も中に入りな、家の修理は後でいいさ」


 老婆は最後にリディアに言った。


「お前もだよ、小娘。おいで」


「でもあたしがいると黒衣の連中が――」


「これだけボロボロにされちゃ、乱闘のひとつやふたつこれ以上増えたって、うちはどってことはないさ。ダンもいるしね。こんなところでボケッとしてたら、それこそ町の連中に袋叩きにされるよ」


 アンリはリディアに耳打ちする。


「今でこそ近所でも有名な鬼婆あだが、昔はあれでけっこうやさしいところもあったのさ。ときどき、その名残が出る」


 すると、阿呆なこと言ってるんじゃないよ、という老婆の罵声が飛んできた。


〈山兎亭〉のなかはごった返していた。そこに旅の魔法使いがいるということで、怪我人が続々と運びこまれたからである。居酒屋として使われている一階では寄せたテーブルが臨時のベットとなって、手当を受けたが動けぬ者が唸っていたり、比較的軽傷なので治療の順番を待っている者などが横たわっていたりする。その間をたらいをもった主婦や娘たちが動きまわっていた。


「あんたはこっちだ」と太った女が寄って来て、リディアの腕を引っ張った。リディアに薬草の知識があることをなぜか女は知っていて、リディアはかりだされた。理由はすぐにわかった。メフィストだ。


 この時代、大都市などではようやく術師と医師は異なった職種として認識されるようになっていたが、辺境ではまだまだ兼業するのが普通なので、人々にすれば魔法使いなどと名乗る者は医師も同様なのだった。だからメフィストは多忙このうえない。彼は眠りについたところを叩き起こされたものだから機嫌も悪く、ついでに思い出した助手がかけつけたことを知っても、挨拶のひとつもしなかった。リディアはぐつぐつ煮立つ大鍋の前で薬草を選別し、調合して、熱湯で煎じた薬とまぜあわせるという作業をさせられた。それが終わると治療班に加わって暴れる患者の体を押さえつけるという力仕事をさせられた。


 軽傷者を家に帰し、そうでない者たちは二階の個室へはこびいれる。ひと段落ついた時、リディアは背中にびっしょり汗をかいていた。


「少しは役立つじゃないか」


 血のついた腕を洗い場でゆすいでいると、メフィストが声をかけてきた。彼は長い髪を束ねなおしながら横に並ぶ。リディアはちらっとそちらを見た。


「ジェルディスタ伯の別荘へ行く前に寄るところができた。さっきアンリのおっさんから話を聞いたんだけど、見せたいものがあるんだって?」


「そんなこと言ってたわね。それから、言っとくけど、あたしはあんたといっしょにルーダンのとこなんかに行かないわよ。絶ー対ッ」


 彼女は爪の間の汚れをとりながら言う。


「今から舟に乗ってそこへ行く。お前にも来て欲しいそうだ」


 リディアは顔をあげた。


「だって海は」


「知るか」


 彼は嫌そうに言った。


「船幽霊の話は僕もはじめの日に聞いたけれどね、今度は舟に乗らないとギルドの報酬をやらんと脅すのさ、あのご立派な事務長は。どうなってるんだ、この町の連中は。舟はないと言ってみたり、舟に乗れと言ってみたり」


「でもあたしは駄目よ、今からなんて無理。あたしには追手が――」


 言いかけて、リディアは瞠目する。


「そう、昨日のペースが日常だったら、こんなに長い間、何事もなく無事にすごせるはずはないだろうな」


 その通りだった。もう午後をまわってかなり経つ。


「忘れてた。どう……して」


「さあ。事情が変わったんじゃないかな」


 メフィストは眉をあげてみせる。


「おふたりさん、仲良くしているところ悪いんだがね」


 アンリが現れて言った。


「そろそろ出発する。裏口から出るぞ」





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