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第2章-----(2)



「あたしが魔法について少しでも知っているとしたら、それは兄さんのおかげだわ」


 リディアは松明をかざして歩きながら言った。


「兄貴?」


 メフィストの前には呪文でとりだした鬼火がういている。松明のあかあかとした明かりと鬼火のうっすら青白い光が鬱蒼とした森を照らしていた。


「そう。ハンサムだったわよ、村の女の子たちは、あんなことになる前は影でみんな狙っていた」


「あんなこと」


「うん。呪いにつけられちゃってね」


 リディアは唇を舐め、冒険家であった兄のこと、兄が真紅の石を探す旅に出たということ、それから何度目からの冒険の末、眠りついたままになってしまったことなどをかいつまんで話した。


 話しながら、彼女はなぜこんなことを話すのだろうと考えていた。メフィストとは必ずしも気が合うわけではない。とにかくメフィストは不満が多いし、物言いもいちいち刺々しい。こんな際でなければ近づきたくない相手である。しかし結局、リディア本来の性質がとても素直で人懐っこかったということにつきるのだろう。


 追いたてられ、戦い、逃げる毎日は、体力的な消耗は勿論だが、それ以上に精神的なダメージも与えていた。盛り場の花形である踊り子を職業に選ぶだけあって、元来、陽気で、人の集まりには必ず顔を出さずにはいられないお祭り好きのリディアにとって、たったひとりで森や町を逃げ続けなければならないという試練は過酷なものだった。


 特にギルドの請負人たちを失ってからは、ふりかかる危難のほとんど全てを彼女自身のみの力で切り抜けてきたから、連れがあるというのは、ただそれだけで、嬉しい出来事であったのだ。


 それに魔法使いならば魔石の実在を否定しないだろうという直感があった。魔道にたずさわる人々は一般の人々よりも不思議な出来事に寛大である。ルーダンがそうだったし、ルーダンの屋敷に出入りしていた人々もそうだった。人恋しさも手伝って、彼女は饒舌になった。


「勉強したのよ。兄さんにかけられた呪いは強力で、村の治療師やそのへんの賢者や魔道師じゃてんで歯が立たなかった。だから自分で――と最初、思ったの」


「真紅の石を探しながらか」


「ええ、そうよ。旅の途中で知り合った術師という術師をつかまえて、短期間だけど弟子入りのようなこともして、呪法について勉強したわ。それはね、あたしなんかがいくら頑張ったって、この年になってからじゃ遅いし、自分の力で兄さんの呪いが解けるとは思ってなかったよ。だけど知識として知っておくぶんには必要だと思ったの。少なくとも兄さんがいったいどんなわけのわからない魔法に呪われてしまったのかくらい知っておきたいじゃない? 幸いあたしは文字が読めたし」


「術師になろうとは思わなかったんだな」


「無理よ、ムリ。最初にあたしをひきとろうとした師匠は、はじめの一日でさじをなげたわ。あたしみたいなこらえ性のない人間には天地が逆立ちしたって無理だって。それで幻術――それなら香草の知識だけあればいいからね」


「賢明な判断だ」


 メフィストは言う。彼はすっかり大人しくなってしまっていた。もしかしたらこちらのほうが彼の本性で、軽口や文句を叩くのはそうした部分を隠すための擬態なのではないかという気さえしてくる。何より、そうしたひっそりした風情でいると、その外見とあいまって、今にも消えてゆきそうである。


「それで、真紅の石はあったのか」


 唐突に聞かれて、リディアは我に返った。


「馬鹿だと思ってるでしょ。わかってる、多分、今、三年前と同じことがあったとしても、あたしはこんな無謀な旅に出ようとは思わなかった。ちょっとした力を持つ石、たとえば魔道の媒体や護符に使われるような宝石はごろごろあるけど、伝説に残るような魔石なんて結局、噂だけ。よおく思い知らされたわよ、現実は甘くない」


 メフィストは伝説の魔石について否定はしなかったけれども、それ以上のことも言わなかった。リディアもさして期待をしていなかったから気にしない。だから長い沈黙の末、メフィストが重い口を開いた時、それが何を告げているのか咄嗟にわからなかった。


「そうでもないぞ」


 魔法使いは静かに言った。


「七魔石はあるんだよ」


「え」


「真紅の石も」


 リディアは瞠目する。鬼火に照らされた魔法使いの横顔には何の表情もない。


「これらの石は身につけているだけでエネルギーが与えられる。もっとも七魔石そのものはただの宝石なんだ。でもその宝石にしたって何億という年月をはるか地底で眠り続けた生命ある石だ。だからそれなりの影響力はあるが、それだけでは決定的な力にはならない。富が欲しければ錬金術に精通しなければならないし、栄誉が欲しければその金をしかるべき場所に貢がなければならない。だけど真紅の石は違う、あれは石そのものが強烈な念波を発している」


「嘘……」


「真紅の石は、それそのものに強烈な負の念がこめられているんだ。激烈な負の欲望だよ。真紅の石が特別なのは、この石が生きていて、自分自身でパワーを増幅しつつ、あらゆる負のエネルギーを惹きつけてしまうからなんだ。それで富を手に入れることもある、不思議な力を使うこともある。他の七魔石に比べて魔道の専門知識もいらないし、効果が直接的に見えるから、皆、血眼になって探そうとする。しかし代償も大きい」


 リディアは息をのんだ。メフィストの目がまっすぐに貫いてくる。静かに語る魔法使いの口調が神秘的な魔石にふさわしく、ふさわしすぎるために、かえってからかわれているのではないかとも思ってしまう。


「歴史はたんなる自然的な時間の流れではない。個人の時間に生から死という結末があるように、歴史にも帰結すべき目的がある。本来それは神々によって導かれるものだが、その歴史を内部から動かしているのは他ならない人間たちの精神のはたらきなんだ。人には正と負のエネルギーがあるが、歴史もまたこのふたつのエネルギーのせめぎあいのようなものなのさ。悠久を通してどちらの結果へ行き着くか、それは僕の知ったことじゃない。だけど真紅の石はそのバランスを崩す。なぜならあれは前時代の遺物で、今の時代にはパワーが大きすぎるんだ、人にも、自然にも歴史にも悪い影響ばかり与えてしまう。それでもかまわないなら真紅の石を探し続ければいい、あまりすすめないけどね」


 リディアは、話の内容よりもメフィストの冷静な態度に驚いた。真紅の石についての研究や論文はいくつもあったが、実際、荒唐無稽なものが多く、これまでいろいろ聞いてきても何がなんだかわからないというのが正直な感想だったが、それらの諸説をふりかざす信奉者たちは、大抵、とても情熱的に語ったものだった。しだいに声がふるえ、興奮し、熱っぽい目になり、しまいにはなりふりかまわず真紅の石の奇跡を絶賛しはじめる。けれども目の前の魔法使いは淡々としていて、微塵の感動もない。あまつさえ真紅の石は危険なばかりだと言う。


 彼女はまさか、雰囲気にのまれ、話の半分も聞いていなかったとはさすがに言えず、とりつくろうように言った。


「え……じゃ――真紅の石はあるのね」


 そうだ、とメフィストは断言する。


「ほ、本当に」


 すると彼は面白そうな顔をした。


「なんだ、お前、信じてないのか」


「そうじゃない、そうじゃないけど」


「ふうん」


 リディアはこれでまたメフィストが文句を言いはじめるのではないかと思って身構えたが、意外にも、彼は気にしなかったようだった。

 まもなく、彼らは立ち止まった。


「ここだな」


 メフィストが足でとんと地面を叩く。リディアは強ばった表情で頷いた。


「ここがきっと一番、結界の力が強くなっているはずよ。トロルのまわりには嫌なかんじのポイントがいくつかあるけど、多分、ここが入り口だと思うの。あたし、ここが一番嫌いだもの」


「成る程。ただ毎日追い立てられていただけというわけではないというわけか」


 待ってろ、と言いおいて、メフィストは地面を調べはじめた。リディアは息をつめて魔法使いを見守る。


 一日中、不利を承知で森に居続けたのは樹木の精霊の許しを請うためだった。そして朝と夜の境目である黄昏時が人の手による結界がもっとも弱まることをふまえて、付近に待機していたのだ。その努力が報われるか否かはメフィスト次第である。


 リディアは魔法使いの邪魔にならないよう気を配りながら移動し、わざと離れた場所に松明を埋め込み、剣を抜いて、あたりに注意を配る。そろそろこの日最終の襲撃がある時刻だった。彼女は夜気でかじかむ指をこすり、毛皮のマントをひきよせた。


 数分が過ぎた。


 メフィストは地面に触れる寸前のところで指先をとめて、左右に移動させるということを繰り返していた。この地の土と樹々のもつ生命エネルギーを探っているのだ。


 術師は大地の魔力を利用する。その土地の魔力が大きければ、術師の技量にもよるが、それだけ大きな力をとりこめる。魔道師も魔法使いもその点では同じである。異なるのは、魔道師は鍛錬によって肉体をより精神に近い状態にしてエネルギー源から強引に力を引き出すが、魔法使いは契約と祈りによって大地の精霊そのものから魔力を借りるということである。


 どちらがより強大な魔力を使えるかといえば当然それは魔法使いなのだが、彼らは精霊にうかがいを立てなければならないので失敗も多い。また魔道師のような徹底した鍛錬はしないので、日常で便利なちょっとした小手先の術などでは魔道師に劣ることが少なくない。もっともメフィストは昼間たっぷりと魔道の基本呪法も修得しているところを見せていたから、リディアはそれについては安心している。


 けれども魔法使いは言ったのだった。


「こいつは解けない」


 リディアは耳を疑った。


「今、なんて」


「だからこの結界は手に負えないと。悪いな」


 彼女はメフィストを凝視した。


「諦めるんだな」


 宣告には、事実を告げる者だけがもつ率直さがあった。リディアはなおも信じられず、驚愕のまま見つめる。ややあって、すたすた歩き始める肩を慌ててつかむ。


「どこ行くのよ」


「どこって宿に帰るんだよ、お前、僕を凍え死にさせたいのか。夏だといってもトロルはやっぱりうんと寒いんだ」


「ふ、ふざけないでよッ」


 彼女はかっとなった。


「あんた、さんざん人のことバカにしておいて――自身たっぷりだったくせに、解けないだって? 本当に解こうとしたの、あんた、魔法使いなんでしょ。たかだかギルドにもはいってない素人貴族の結界も解けないっていうの!」


「系統が違うんだ」


 メフィストは言い訳がましくいう。リディアはもう一度殴りつけてやろうと拳をふりあげたが、メフィストのおもてに疲労の色が濃いのを見てとると、かろうじて思いとどまった。


「素人だから怖いってこともあるのさ、でたらめな魔道に触れることがどんなに危険かわかっているのか。探査してわかったが、この土地には古い時代の魔法の名残がある。それそのものはたいしたことはないが、後になってそれを強引に増幅させた奴がある」


「ルーダンの仕業だっていうの」


「そこまでは知らないさ。しかしそいつはお前にだけ有効な結界を張っている。他の人間にはまったくこいつは興味を示さないんだ。だから僕がトロルへはいった時も感じなかった。けれどもよくよく探ってみるとイヤな根がある。あんたを足止めしているのはその貴族本人の力というより、地盤となった古代の魔法陣の名残の力によるものだろう。実に複雑怪奇な構成でね、月の島の老師でもなければ解けないさ、それも最古魔術の研究家でなければね。現在主流のものとは呪文構成が違うんだ。下手にいじれないし、まず解けない。結界を張った本人でも難しいんじゃないかな。ルーダンってのはいったい何者なんだ」


「兄のパトロンだよ」


 リディアは吐き出すように言った。するとメフィストの目が大きく開かれた。彼は、今までさんざん考えあぐねてきた難問に突然、解答を与えられた生徒のような顔つきになり、しげしげとリディアを見つめた。その眼差しにリディアのほうがたじろぐ。


「迂闊だったな。そういうことか――それじゃあ、そいつも真紅の石を探しているんだろう。どうだ」


「え、まあ」


「はじめから話してみろ。どうしてジェルディスタ伯に追われるようになったんだ。この固執の強さはすでに念だぞ、生き霊の怨念だ。お前はいったい何をしでかしてきたんだ」


「それは」


 わからない、という言葉を呑み込んで、彼女は答えた。


「喧嘩して、お宝を盗んだから……」


「具体的に」


「宝石」


「魔石か」


「違うと思う」


「見せてみろ」


「全部じゃないけど……」


 リディアは言われるままに身につけていた宝石をメフィストに渡す。メフィストは鑑定するとすぐに返してくれた。宝石を懐にしまいながら、彼女は再びこみあげてくる怒りをぶつけた。


「何なのよ、急に詮索しちゃってさ、結界、解けなかったくせに、偉そうに。なに急に夢中になってるのよ、たった今、その口で結界は解けない、絶対駄目だって言ったばかりのくせに」


 メフィストは一瞬、何を言われたかわからないような顔をしたが、思いがけず素直に詫びた。


「すまない。そうか、そうだな。悪かった――悪い癖なんだ」


 その様子があまりにしおらしかったので、リディアは噴き出した。しかしその笑い声は途中で途絶えた。あり得るはずのない、なま暖かい風が頬を撫でていったからである。ぎくりとして彼女は振り向いた。


「な、何……」


 ルーダンの結界がチカッと光ったかと思うと、夜光虫のようなきらめきが飛び、たちまちそれが線となって、魔法陣が形成された。


 結界線の向こうから湿り気をふくんだ暖気が流れてくる。逃げ出そうとするリディアの手をメフィストがつかんだ。彼は険しい顔つきのまま、人差し指をおのれの口のところにもってゆく。喋るなという意味らしい。


 リディアは、結界に近づいた時にいつも感じる、くたくたと下半身が脱力する感覚を味わいながら、森の下ばえを踏みつける不気味な音を聞いていた。





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