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 ま~、いい気なモンよね。


 犯罪ギリギリ……もしかしたら、ジャストミートで危ない事してんのに、あたしが言う事を聞くと勝手に思い込んで……


 あ、いや、インガ何とかで先読みできるんだから、あたしが断れないのを見抜いてる?


 なめんじゃないわよ! あたしだってね、やる時ゃやるのよ。あ、いや、この場合は、やったらアイツの思惑通りになっちゃうのか?






 戸川団の頼みを聞かされてから、有紀の頭の中で、こんな具合の堂々巡りが延々と繰り広げられていた。


 自他ともに認める根性なしの有紀が、面と向かって団へ悪態を付ける筈も無いのだが、心の中だけおしゃべりなのは小心者のお約束。


 それに計画の結末について、団が話してくれないのも気になっていた。

 

 そう言えば「夏への扉」より好きと団が語っていた話……確か、アレのラストは悲惨だった様な……

 

 文句と反感、そして野良猫と戯れる団の横顔に感じた微かなときめきが、胸の中で渦巻き、まとまらない。もし櫛田洋三が最悪のパワハラ+セクハラを目の前でやらかさなければ、今でも迷っていたかもしれない。


 とびきり嫌な上司VS胡散臭い野良オトコ……ウン、まだネコに好かれている分、野良の方がマシよね。


 無理矢理、結論を引きずり出す。


 そして団の言葉通り、総務部のお局様は終日欠勤となり、遂に有紀が集計用端末の前に座る時が訪れた。






 右見て、左見て……


 誰の注意もひいていないのを確認、USBメモリが入った小銭入れをポケットの中で掴み、そ~っと取り出す。後は入力作業に専念している振りをしながら、集計用端末へメモリを差し込むだけ。


 軽く深呼吸して心臓の鼓動を鎮め、有紀がUSBメモリを小銭入れから取り出そうとした時、


「ほぉ、君が天野君の代理?」


 真後ろからCEOの声が囁く。


「あ、えっ、はいっ!?」


 気配もなく背後へ忍び寄られ、バンザイみたいなポーズで驚いた弾みに、手元の物が綺麗さっぱりすっ飛んだ。


 ニンジャか、お前は!?


 喚き散らしたい気持ちを抑え、振り向くと、櫛田洋三の嫌味な笑顔がある。


「慣れない業務、お疲れ様。君、色々落としたようだが、拾わなくて良いの?」


 有紀はうろたえ、床に落ちた小銭入れの前で腰をかがめた。500円玉と千円札を小銭入れに詰め込み、子猫のUSBメモリを探す。


 床へ手を付き、同僚のディスクの下を覗き込んでみても、無い! ど~しても見つからない!


 ス~ッと顔から血の気が引いた。そして、彼女の動揺を掻き立てる様に、屈めた腰の辺りを何かが強く押す。


 つんのめりそうになり、何とか堪えた由紀の目に、櫛田の振り上げた靴の底が映り、


「いゃあ、悪いねぇ、つい手……いや、足が滑ってしまったよ」


 腰を後ろから踏みつけられたのだと、有紀は悟った。


 愕然とする瞳が、隣に立つもう一人の愕然とした瞳を見つける。朝礼時に体を触られ、似た言葉で嬲られた古賀沙織が、又、泣きそうな顔になっている。


 思わず櫛田を睨みつけると、


「そうそう、君、朝もそんな目で私を見たね」


 一層挑発的に櫛田は言う。


「ん~? 今からでも遅くない。丁寧に説明しよう、下っ端の猪又有紀君。もし、私達の間に誤解があったとすれば……」


「下っ端でも名前、憶えてるんですね」


「そりゃそうさ。派遣登録者の中から、特にスキルの低い、職探しに苦労しそうな連中を検索して雇い入れた。暇つぶしの良い玩具になると思ったからね」


 玩具、という言葉が特にゆっくり発音され、従業員の中からもざわめきが起きる。


「どうせ、AIが大事な仕事は全て片づけてくれるんだ。食物連鎖の一番下にいる君達は、そのみっともなさで強者を楽しませてくれたら、それで良いんだよ」


 ぐるりと櫛田が周囲を見回すと、ざわめきは即座に止まった。


「ほら、皆の反応でもわかるだろ。私はセクハラもパワハラもしない。した所で誰もそれを見ようとしない」


 静寂が支配するフロアの中で、CEOの哄笑だけが響く。


 小学生の頃、苛められた記憶が由紀の胸を過った。


 パワハラにせよ、セクハラにせよ、苛めにせよ、不祥事が明らかになると、何でやられるままになっているのかと、テレビのコメンテーターが口にする。


 理屈は確かにその通りだけどさ。できないよ。できないんだよ。


 弱い立場ってのは板に付いちゃうんだ。一度、膝を折り、言われるまま従う癖が体へ染み込んだら最後、もう逆らえはしない。


 踏みつける側は、それを知っているんだ。


 悔しい! でも、武器になる筈のUSBメモリは見当たらない。ダメだ。もう抗う術なんて何一つ思いつかない。


 今度もまた泣き寝入り……


 諦めかけて、でも、この時はどうしても諦めきれなかった。


 或る面影が有紀の胸を過ったのだ。


 それは、小さなときめきをくれた戸川団の横顔では無い。何故だか自分でもわからないけれど、あの路地裏を去っていく年老いた黒猫の後姿だった。


 死を間近にしながら、何一つ恐れる素振りは無く、よろける足元で何度も踏ん張りながら闇へ消えていく老猫……


 勝てなくても、抗え! 


 そう伝えられた気がした。なけなしの勇気が胸を満たし、行き掛けの駄賃とばかり佐織の尻へ伸びる櫛田の手を横から跳ね飛ばす。


 バチ~ン!!


 静まり返った部屋に響く音は、従業員達の間に前以上のざわめきを呼んだ。


「オイ、下っ端! 手前ェ、何のつもりだ!?」


 櫛田の表情が変わっている。起業以来、初めて面と向かって逆らわれた驚きが、一気に逆上へ転じたらしい。


「クビにするなら、すれば良い!」


「クビだけで済むと思うな。その貧相な体が干上がるまで、トコトン干して、干しまくってやる」


「コッチだって……あんたがやってきた最低のオンパレード、全部ネットで晒してやるから」


「へぇ、手前ェみたいな最低女のたわ言に誰が耳を傾ける?」


「ネットの中なら、幾らでも……」


「そう、幾らでもいる。お前やお前の親、友達の恥部を事実であろうが無かろうが、片っ端から暴き、抉り、晒してくれるプロがな」


「え!?」


「カネさえ有りゃ買えんだよ、世論も正義も。お前が一つ晒す度、数百倍のネガキャンが飛び交う。結局、お前の言う事は誰も……」


「聞いてくれる、戸川団なら!」


 はったり紛いの脅しを食らい、怒りで目の前が真っ白になった瞬間、出してはならない名前を有紀は口にした。


「戸川!? お前、何を知ってる? 一体どこでその名を……」


 櫛田の口調が更に変わる。


 一見、冷静さを取り戻したかに思える眼差しの奥、陰湿な憎悪が燃えていた。殺意さえ感じ、無我夢中で由紀は彼に背を向ける。

 

 逃げた。制服のまま、私物も何もかも置き去りにし……


「待てっ! おい、お前ら、そいつを逃がすな!」


 妙な成り行きに唖然としていた他の従業員は咄嗟に動けず、廊下をエレベーターの方へ走る有紀に出を出せない。


 古賀沙織も体を竦ませていたが、


「あ?」


 その足元に可愛い子猫の形をしたアクセサリーが落ちている。


 咄嗟に佐織はそれを拾い、憤然と喚き散らす櫛田の背後で、そ~っと制服のポケットへ忍ばせた。


読んで頂き、ありがとうございます。

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