神なるもの
ラストバトルまでもう少し…!
疫病神、泡沫の呪符を破壊したことで、拍の中の何かが変わり始めている。だが、それは急激には変わらないようだ。拍はただ悲痛な面持ちで混乱し、頭を抱えている。そして、もう一つの可能性に気付いた猫田も胸に渦巻く怒りを露わにしながら、口を開いた。それは自分が思いついた仮説を確かめるような、ゆっくりとした口調だ。
「宇迦之御魂神の言う通り、奴が疫病神で、俺達はその呪符で不幸を呼び込んでいたんだとしたら……もしかすると、奴自身を招き入れてたくりぃちゃぁの連中も不幸を食らってたってことなのか?」
「っ!」
猫田の言いたい事が解ったのだろう、狛の猫田を抱く腕に力が入る。緊張した二人の様子を見ながら宇迦之御魂神は静かに、そして深く息を吐いて答えた。
「気休めを言っても仕方がありませんね、あなたの想像通りです。…疫病神は本来そういう存在で、本人の意思とは無関係に周囲へ不幸と苦悩を撒き散らす性質を持っていますから。もっとも、それ自体を楽しんでいるフシがあるということが、一番厄介な所なのですが」
「そんな……!それじゃ、俺がもっと早く気付いてやってりゃ……アイツらは…!」
「猫田さん、ダメ…!」
猫田の自分を追い詰めるような物言いを、思わず狛が制止する。その考えは誰の為にもならない最悪の想像だ。そうやって負の意識で自分を追い込めば、この先、確実に良くないことが起こる。狛はそう直感していた。そしてそんな狛の腕が震えているのを感じて、猫田はそれ以上を口にするのは止めたようだが、苦々しい思いが消えたわけではない。落とし前をつけるべき因縁が増えたと、今はただ静かに怒りを胸に秘めるしかなさそうだ。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
そこへ割って入ったのは弧乃木だった。彼は年長者らしく、事態の成り行きを黙って見守っていたが、話が詰まりそうになった所だったのでちょうどいい。その場の全員が彼に視線を向け、宇迦之御魂神がそれに答える。
「あなたは、人間の代表でしたね。どうぞ、構いませんよ」
「ありがとうございます、自分は弧乃木精一と申します。では早速……その疫病神が事態の黒幕であるようですが、疫病神を倒せば全てが解決するという認識で本当によろしいのでしょうか?どうも先ほどの話からすると、それだけではないようなニュアンスでしたが…」
弧乃木がそう問うと、宇迦之御魂神はより険しい表情をみせた。仲間達の死や、泡沫の裏切りで、狛や猫田はそこまで頭が回っていないようだ。二人は弧乃木の疑問を聞き、ハッとした顔になって、再び宇迦之御魂神に視線を投げた。
「よい質問です、ちょうど話を切り出す機会を窺っておりました。弧乃木と言いましたね、あなたのお察しの通り、疫病神だけが元凶というわけではありません。むしろ、あれは真に戦うべき相手の尖兵でしかないのです。本来、それをお話しする為に、あなた達をここへ呼んだのですよ。ただ、順を追って説明したほうがよいでしょうから場所を変えます。……荼枳尼、後はよしなに」
「はっ…!畏まりました」
恭しく頭を下げて荼枳尼天狐はするりと部屋を出て行った。それを見届けてから、宇迦之御魂神は狛たちを連れて部屋を出る。一体これからどんな話が待ち受けているのだろう。狛は静か過ぎる庭を眺めつつ、宇迦之御魂神の後に続く。そうして案内されたのは、少し離れた棟にある、かなり大きな建物だった。
「どうぞ、中へ。少し進むと階段がありますが、暗いので注意するように」
促されて建物に入ってみれば、そこはだだっ広い空間であった。室内は薄暗くひんやりとした空気に満ちていて、床は廊下と同じ板の間だ。そして広い空間には歩く音がよく響いて聞こえる。そこに足を踏み入れた瞬間、狛は何故か強い郷愁のような懐かしさを感じていた。
(何だろう?なんだかとっても懐かしい感じがする。これ……この匂いのせい?)
当たり前だが、その部屋そのものに既視感は無く、初めて来る場所なのは間違いない。色々と思い浮かべて辿り着いたのは、極々わずかに漂ってくる懐かしい匂いである。だが、懐かしいとは感じるのに、それが何の匂いなのかは全く思いつかないのだ。酷くあやふやでモヤモヤした思いに駆られながら、狛はゆっくりと階段を降りていった。
「こ、これは……!?」
「大きい…!隠神刑部さんみたい……」
階段を降りきると、そこには白くとても巨大な狼が横たわっていた。狛の言う通り、そのサイズは隠神刑部と同じか、それ以上である。あの大狗神が小さく思えるような大きさだ。地下は薄暗い洞窟のようになっていて、上の建物の中よりも更に気温が低く感じられる。そこにいくつかの蝋燭の火がゆらゆらと煌めいて、なんとも不思議な光景である。
「……美しいでしょう?彼女は、故あって私が保護し、匿っているのです」
あまりの大きさに圧倒されていたが、確かに言われてみれば美しい毛並みをしている。蝋燭の光に照らされた白い毛は、それ自体がキラキラと光っているような光沢を持っていた。そして何よりも、先程から感じられていた懐かしい匂いは、この狼から漂ってきているようだ。狛は引き寄せられるようにその狼に近づき、そっとその身体に触れた。すると、さっきまで感じていた懐かしさがより強く感じられて、胸を締め付けられているような感覚に囚われてしまった。
「お、おい、狛…!?」
「あ、ああ……!?」
(知ってる…やっぱり私、この匂いと感触を感じたことがある…!でも、どうして?どこでそんな……うぅっ!)
言葉に出来ない感情が胸に溢れ、今度は頭が割れそうなほどに痛くなる。訳もなく涙までもが溢れ出し、自分の身体が自分のものではなくなっていくような、恐怖と不安が狛を苛んだ。腕の中で猫田が呼び掛けていても、狛は全く反応できずにいる。そこへ、不意に狛の背中をそっと誰かが抱き締めてくれた。その体温を感じると、徐々に狛の意識がハッキリしてきて、頭痛も落ち着いてきたようだ。
「お、おぼろ…くん…?」
「…やはり狛か、どうしてここにいる?いや、逆か。そもそもここはどこだ?つい今さっきまで俺は社で寝ていたはずだ……俺はどうしてここにいる?」
いつの間にか現れた上、要領を得ない朧の言葉に、狛と猫田、そして拍や弧乃木も訳が解らないようだ。そこでその疑問に答えたのは宇迦之御魂神である。
「その大口真神の神使を呼んだのは私です。彼にも関係のある話ですから、彼のいた社とここを繋げて呼びました。久し振りですね、朧」
「あなたは……まさか宇迦之御魂神様、か?!も、申し訳ない…ご無礼を…っ!」
「構いませんよ、ここには口うるさい荼枳尼もいないことですし、楽になさい」
狛を抱えたまま宇迦之御魂神に気付いた朧が、慌てて狛から離れて片膝をつき、首を垂れた。彼は大口真神の神使だが、他の神に対しても礼を尽くさねばならないようだ。そして、急に手を離された狛はふらついて倒れそうになったが、今度は拍の影から一二三四の四匹が飛び出して、狛の身体を支えてくれた。その様子に、拍は愕然としている。
「お、お前達…俺の許可なく、動いた……のか?」
「皆…ごめんね、ありがとう」
それは今までにはあり得ない事であった。生まれた時から狛と一緒にいるイツは自我を強く持っていて、単独で勝手気ままに行動することもあったのだが、それは狛が未熟である証とされていた。何故なら拍や、先代の当主である狛達の祖父阿形が使役する犬神達は、いずれも宿主である人間達の許可なく表に出たり、動いたりしたことが無かったからだ。イツだけがそうした行動を取るのは狛がイツを完璧にコントロール出来ていない事を意味する…そう考えられていたのである。
だが今、彼らは拍の意志を完全に無視して行動している。こんな事は、拍が彼らの主となってから初めてのことで、拍は動揺を隠せない。
「……そいつらは大口真神の力を浴びて、活性化しているんだ。どうやら俺と同じく、真神と縁があるらしいな」
それを見ていた朧が、そう呟いた。それに応えるように、イツが狛の影から飛び出して、他の四匹と身を寄せ合って大きく鳴いた。洞窟内に犬神達の鳴き声が大きく響き、やがて、眠っていた大きな狼が目を覚ます。
「目覚めましたか、大口真神……あなたの子ども達が、揃っていますよ」
宇迦之御魂神が優しく声をかけると、巨大な狼……大口真神が首をもたげた。この目覚めが、狛達を最後の戦いへと誘うきっかけとなる事を、今はまだ狛達は知る由もない。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白い」「気に入った」「続きが読みたい」などありましたら
下記の★マークから、評価並びに感想など頂けますと幸いです。
宜しくお願いします。




