狼の里
犬神家への解像度を上げていくお話。
「おー…痛ぇ。なんてバカ力だよ、この女…!折れたらどうすんだ!?」
「ご、ごめんなさい…」
男を病院に連れてきて、開口一番に狛は謝る羽目になった。不審者なのは相手の方なのだが、イツと匂いが似ていて、しかもイツが心を開いているとなると、無碍には出来ない相手だ。よく見れば、男はずいぶんと若く、短髪でまだ少年と言っても差し支えないほどの年齢に見える。服装はTシャツにジーンズと、この時期の山中にしてはあまりにも軽装過ぎる。どうにも謎の多い男である。
それでも、男は腕をさすりながら、狛の謝罪を受け取ったようだった。ふんと鼻を鳴らした後、じっとこちらを見つめる犬神家の面々に視線を返していた。
「で、お前は一体なんなんだよ?悪いがこっちにも余裕がねーからな。返答次第じゃ、黙って返すわけにはいかねぇ」
人の姿に戻った猫田がじろりと睨むような目で男を見据える。しかし、男はあまり気にしていないのか、猫田を無視して、狛に話しかけた。
「そっちこそ何者なんだよ。ここは俺の爺さんの友達が住んでた家だぞ、大勢で勝手に入り込みやがって…盗みでもするつもりなら許さねぇ」
明らかに敵意をむき出しにしているが、男は決して悪人ではなさそうだった。口振りからして、誰も住まなくなったこの病院を守っているということらしい。こんな大人数で、しかも子連れの泥棒などあり得ないと思うが、あまりそう言う事は気にしないらしい。
「ごめんね。私達はそのお友達の人から、この病院を借りる事になったの。あなたのお爺さんの事は私達も知らなかったから…」
「そうじゃ。儂は犬神狠という、友人の名は犬彦紋次じゃ」
「犬彦…確かに爺さんの友達の名前だな。でも、犬神…?」
犬彦という人物は狠の学生時代の同級生だったらしい。同じ犬を姓に持つ同士でウマがあったといい、高齢になった今でも、交流は続いているそうだ。そして、目の前の男は、犬神という姓に強く反応して黙り込んでしまった。
男の考えが読めない狛達は、それぞれに顔を見合わせて辛抱強く返事を待っていた。そうして、数分の沈黙があった後、男は顔を上げて口を開いた。
「俺じゃよく解んねぇから、俺の爺さんに会ってもらおう。爺さんは村の長老だ、何でも決めるのは爺さんだからな」
「おいおい、待て。勝手な事抜かすな、お前がどこの誰かも知らねーのに、着いていけるわけねぇだろう」
猫田がそう言うと、男はしかめっ面になって、渋々口を尖らせて言った。
「俺は大狼、大狼朔だ。これなら文句ねぇだろ」
そして数十分後、狛と猫田、そして狠は、朔に案内されて、近くの山中を歩いていた。別にどうしても朔の言う事に従う必要はなかったのだが、それでは朔が納得しなさそうだったし、何よりも朔の言葉を信じるのなら近くに朔の暮らす村があるらしい。朔の祖父との交渉次第では、非戦闘員である子どもや老人達を匿って貰えるかもしれないと考えての事であった。
「むぅ、本当にこんな山の中に村なんぞあるんかいの。紋次の奴からは、そんな話は聞いたことがなかったが…」
狠は猫田に負ぶわれながら、懐疑的な言葉を呟いている。それについては狛も同意見だったが、もしもの事を考えて、この三人だけで来たのだ。実際に紋次を知っている狠と、いざとなれば狠を守りながら戦う事も、逃げる事も容易な狛と猫田ならば安全という布陣である。
「聞こえてるぞ!俺は噓なんか吐いてねぇ!もうすぐ着くから黙ってついてこい!」
「なんて耳してやがんだ…地獄耳か、アイツは」
猫田が呆れるのも無理はない。何しろ四人がいるのは山深い森の中だ。歩く度に草や木を踏む音がしているし、あちこちで虫の鳴き声や風で木々がたなびく音もしている。とてもではないが、一番後ろで猫田の背にいる狠の小さな呟きが聞こえるとは思えなかったのだが。
「全く…外の連中はこれだから……着いたぞ!」
「え?ここ?何もないけど…」
狛は周囲を見回すが、特に何か変わったものがあるようには見えなかった。森の中に沢が流れ、険しい山中におけるのどかな休憩場所といった装いの場所だ。訝し気に朔の方を見ると、朔は首にかけていた動物の牙のようなものを握って、左手の人差し指と中指を合わせて印を切った。
(九字印に似てるが、違うな…陰陽術か?)
猫田がそう考えた瞬間、突如視界が開けた。森の中だったはずの周囲は見える範囲全てが平地になっており、小川を基点として、その周りは拓かれた田畑といくつかの古い家屋が立ち並ぶ、昔ながらの集落のようである。
「な、なんじゃ!?どうなっておる!?」
「え?え?森の中だったはずじゃ…?」
「こりゃあ…かなり高度な幻覚と結界だぞ。この山の本当の姿がこっちで、さっきまでの山と森が幻だったんだ。鍵を持ってない奴が近づいても、認識さえ出来ねーだろう。こんな術が使える奴なんて……何者なんだ?アイツ」
猫田は正直に言って、朔がそこまで優秀な術師だとは思っていなかった。年齢も若そうだし、その態度からも粗忽な印象を受けたからだ。これほどの幻術を使いこなす人間など、かつての支の仲間でもほんの一握りしかいないほどだろう。彼がそれほどの人物だとは、どうしても思えないようだ。
そんな驚きで固まる三人を余所に、朔はスタスタと先を歩いて、着いてきていない三人に檄を飛ばす。
「おい!お前ら何やってんだよ!早く来いよ!」
「あ、ああ…行くか。しかし、とんでもねーな、こりゃあ」
促されて足早に朔の元へ行くと、朔は鼻を鳴らして再び歩き始める。彼が叫んだ事で注目を浴びたのか、外に出ていた村の住人達がこちらを見てひそひそと話をするようになってしまっていた。
「あ、ワンちゃんだ。……アスラ、元気にしてるかな」
そんな中で狛が見つけたのは、こちらを見ている狼に似た何頭かの犬である。スラっと細く長い手足と精悍な顔つきは、ニホンオオカミというよりは、ハイイロオオカミやシンリンオオカミに近い姿である。恐らくは、狼と犬が交配したウルフドッグのような種なのだろう。見た事もない種類なので、この村でのみ生息しているのかもしれない。そんな彼らの姿を見て、狛は愛犬アスラを思い出す。
あの襲撃の直後、真っ先に駆けつけてくれたのは、神子家の長である桔梗であった。元々神子家と犬神家は繋がりが深いが、桔梗は特に懇意してくれている為、非常事態を察して車を飛ばしてきてくれたのである。それが、調査部に知られないよう外部と連絡を取る為に、最も功を奏したと言えるかもしれない。
槐はあの襲撃の後、仲間達と共に空へ飛び去ったわけだが、その後の始末や確認に人材を割いた形跡はなかった。推測だが、あの雷が放った稲妻に、部下が巻き込まれる事を危惧したのではないかと狛達は考えている。
そして、重傷の狽と拍を連れて移動する際、移動先が病院ということもあってアスラは桔梗の元に預けてきた。狛達が本格的に始動する事になった以上、早く迎えに行ってやりたい。あの犬達を見て、狛はそんな気持ちを思い起こしているようだ。
そんな平和で、のどかな田園風景を歩いていくと、他の家よりも一回り以上大きな家に着いた。家の前にはサンタクロースのような髭を蓄えた、高齢の男性が仁王立ちしている。背丈はさほど大きくなく、狠と同じくらいなので、160センチメートル台といった所だろう。狛は最近測った所175センチメートルまで伸びているので少し視点が下がる形だ。
「朔っ!お前どこをほっつき歩いておったんじゃ!?」
「爺ちゃん!こ、コイツらが爺ちゃんの友達の家に入り込んでたんだっ!俺じゃわかんねぇから、連れてきた!判断してくれ!」
「なにぃ?!」
ギロリと鋭い眼光を向け、老人が狛達を睨む。狛はキツい視線には慣れているので何とも思わないが、普通の少年少女なら震えあがっているだろう。それを受けて、猫田の背に負ぶわれていた狠がヒョイと飛び降り、朔の祖父という老人の前に立った。
「お初にお目にかかります。私、件の病院の主、犬彦紋次の友人で犬神狠と申します。突然お邪魔して大変申し訳ない、お孫様からぜひにと誘われましてな」
「おお、紋次殿の、それはようこそおいで下さいました。……ところで失礼ですが今、犬神、と申されましたかな?」
「ええ、それが、何か?」
「なんと…なんという!因果というものは、巡るものですなぁ!」
「因果?申し訳ないのですが、お話がよく…」
一人盛り上がる老人の態度に、狠は戸惑いながら言葉を選んでいるようだ。それに対して返ってきたものは信じ難いものであった。
「ふむ?どうやら認識に齟齬があるようですな。では、その辺りも含めてお話しましょう。ああ、その前に、自己紹介が遅れて申し訳ない。儂は里長を任されております、大狼有と申します。ようこそ、人狼の里へ」
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