両面の宿儺
古代の怪異といえば両面宿儺ですよね。
さすがの猫田も京介も、言葉を失っていた。
黒萩は顔を顰め、目にするのもおぞましいと言った表情だ。一方で狛は、それを目の当たりにしてから、どこかで見たと感じた光景を思い出していた。
「濁悪の棺と、似てる…」
そうだ、思い返せばあの亜霊という同級生が引き起こした禍一族の呪法、濁悪の棺にまつわる騒動…その棺の中身だった秘命が亜霊の部屋に展開していた異界に、あの妖の子宮は瓜二つなのだ。あの怪物を産みだしているであろう女…亜那都姫の姿もまた同様である。
「何か、関連があるの…?」
その呟きをかき消すように、狛達の背後からパチパチと拍手の音が鳴り響く。全員が振り返った先には、あの実理という男が立っていた。ニヤニヤと笑みを浮かべ、まるで誕生を祝っているかのような、満足気な気配を漂わせている。
「テメェ!」
「はっはっは!実に素晴らしい。よもや、あの狂った守護者達を倒して、我らが母の封印まで解いてくれるとは…!あなた方を呼び込んで正解でしたよ」
猫田の怒りを受け流し、実理は頭を下げてみせた。その慇懃な態度は、地上の化野氏の屋敷で出会った時とはまるで違う。身に纏う気配には狂気と執念の色が見え隠れしているようだった。
「実理…女王卑弥呼の封印と言ったが、あんたの目的はこれか?一体どういうことだ、そもそも邪馬台国がこの辺りにあったなんて、聞いた事もない」
京介の疑問に、実理は顔を上げて微笑みを返した。答えるつもりはあるらしい。さほどの間を置かず、実理は口を開いた。
「確かに、ここは邪馬台国とは何の所縁もない場所です。縁があったのは、我らが母…あの亜那都姫様のみ。愚かな女王は、自らの力を受け継いだ我が子を、死して尚この地に封じ込めようとしたのですよ。嘆かわしいことだ」
「我が、子…?ちょっと待って、じゃあ、亜那都姫は」
「言うまでもありませんな。この国の歴史上で最も優れた力あるシャーマン…邪馬台国の女王卑弥呼は、我ら妖の母たる亜那都姫様の実母なのです」
「そ、そんな…!?」
にわかには信じ難い話である。女王卑弥呼の存在は、今もって謎が多いものだが、少なくとも人間であるとは思っていた。その娘が、妖を生む母であるなど想像した事もない。確かに、人が妖怪に変化したり、人の想いが妖怪変化を生む事は往々にしてあるものだが、それにしても…だ。
絶句する狛を尻目に、実理はさながらストーリーテラーのような芝居じみた足取りで、狛達の隣をすっと通って亜那都姫達が見える場所に立った。
「御覧なさい、美しい光景じゃありませんか。本来は人である亜那都姫様から、力ある妖怪が生まれる姿…つまり、我らは一つなのです」
亜那都姫達はこちらに注意を払っていないが、実理は恍惚とした表情で彼女達を見つめている。芝居じみた動きにはさらに拍車がかかって、狛達の方へ振り向き、手を伸ばした。
「元はただの猫でありながら、人への想いと恨みから化け猫へと変化した貴方、人の未来の為に妖怪を利用しようとする者、そして人と妖怪の共存、その体現者…実に素晴らしい。我々は種の違いを超えて、互いが互いを必要とする関係なのですよ。しかしながら、あの愚かな女王はそれを許さなかった。死して尚、その強大な力を用いて、我らが母をこの地の底へ押し込め、封じた…ご丁寧に番人と墓守の一族まで用意してね、忌々しいことだ」
独白の最中にぐっと拳を握り込む姿から、強烈な憎悪が滲み出ている。その根は、想像以上に深いようである。
(コイツ、俺達の事を調べてやがったのか…?!しかし、黒萩はともかく、狛と俺がここに来ると、どうやって知ったんだ?)
猫田の疑問は当然であった。狛と猫田は、今日になって黒萩にここへ連れて来られただけで、その素性を前もって調べることなど不可能なはずだ。仮に予め犬神家全員について調べていたのだとしても、猫田のことまで知っているのはおかしい。そんな猫田とは対照的に、京介は求めていた答えを得たと言わんばかりに口火を切った。
「墓守の一族…そうか、化野氏は本来この封印を見守る者達だったんだな。道理で、この洞窟に人が入った痕跡が残っていたわけだ。近くで見つかった遺跡も含めて、元々彼らの生活していた跡というわけか」
「その通り。封じられた亜那都姫様とその守護者が外へ出ないように、或いは外からの干渉を防ぐ為にこの地を任されたのが、あの男の先祖でした。しかし、彼らは既にその言いつけを忘れ、ただの人間へとなり下がった。ククク、さすがの女王も、人間が長い時の果てで腐るとは想像もつかなかったようですな」
「だが、腐っていたのは、そちらも同じだろう。恐らくあの二体の守護者とやらも、長時間封じられていたせいで、誰を何から護るものなのか解らなくなってしまった。だから、あれを排除する為に俺達を呼んだ…違うか?」
「仰る通り、我々もあの狂った守護者には手を焼いていましてね。使命を忘れたこの家の者達の懐に入り込み、ここへ足を踏み入れられるようになったのはいいが…残念ながら、あれらに敗れて私は独りになってしまった。よって、力ある人間の術者に協力を仰ごうと考えたわけです。守護者だけでも何とかしてくれれば、封印は何とかなるのでね」
協力を仰ぐと言えば聞こえはいいが、体のいい生贄である。守護者に仲間を打ち倒されたという実理には、あの二体に人間の術者をぶつければどうなるか解っていたはずだ。身勝手すぎる物言いに腹は立つが、それよりも優先すべきはこの状況である。
実理の後ろでは、既に亜那都姫がもう一体の守護者であるあの高速で動く怪物を産み落とし始めていた。狛の姿をしていた時とは違い、怪力の怪物を小さくして、色を変えたようなデザインをしている。羊水に塗れているが、どちらも優れた肉体を持ち、生気に満ち溢れている。以前と違うのは、頭部に布を被っておらず、頭をむき出しにしていることだ。
その顔は、まるで忍び頭巾を被った忍者のようで、髪は無く丸い頭をしており、鼻から口元にかけてはマスクのような形をしていて目だけが見えている。どこから声が出ているのか不明だが、小さく呻く声は依然戦った者達よりも明瞭に聞こえていた。
「…へっ!御大層に勝ち誇ってるようだが、お前らの手を焼かせた守護者とやらは、今まさに復活してる最中じゃねーか。お前だって危ねーんじゃねぇのか?」
猫田の挑発に、実理はニッコリと微笑みを返す。万事抜かりはないとそう考えている、勝利を確信した笑みだ。
「問題ありませんね。私ならば、守護者たるあの者達も、亜那都姫様も問題なく利用できます。仲間の妖怪達の中で、私だけが生き残ったことも、最大の幸運だったのですよ」
(コイツ…!)
実理の言葉で、猫田だけではなく、その場の誰もが確信した。この男は、亜那都姫への忠誠で動いているのではない。その目的は、別にあるのだ。だから、利用すると言っている。そして、それは恐ろしく危険な狙いを孕んでいるのだと解った。
「さて、暴走していたとはいえ守護者を打ち倒すほどの実力を持ったあなた達の存在は危険だ。やはり始末は彼らに任せるとしましょう。両面宿儺と呼ばれた、伝説の怪異にね」
「なに…!?」
新たに産み出された二体の怪物は、亜那都姫が叫びを上げると、瞬く間にその身体を合わせて一体の怪物へと形を変えていた。二本一対の足と腕、背中合わせに繋がった身体と頭…体格の違いは修正されて、四脚の蜘蛛のように腰を落として立っている。そして、奇怪な絶叫を上げると、二つの頭が、同時にこちらを向いた。
「マズい!来るぞ!」
京介が言い放った瞬間には、既に目前に両面宿儺が迫っていた。一体だけだった時よりも、スピードは落ちているようだが、それでも十分過ぎる速さだ。そして、四本の腕を振るい、それぞれが狛達を襲った。
「ぐぁっ!」
「きゃあっ!」
「っぁ!」
「ば、バカな…っ!」
その猛威によって、四人は弾き飛ばされ、壁に激突して意識を失った。その力はまさに鬼神であり、伝説そのものの力を持っているようだ。
「フフ、フハハハハハ!他愛もない、所詮、人間の力などこんなものだ!…見ていろ人間共め、これから亜那都姫様の力を持って、全ての人間を妖怪に変えてやろう!人と妖が一つになる時代が来るのだ!ハーッハッハッハ!」
実理の笑い声が高らかに地底に響く、その口から語られた恐るべき野望の成就は刻一刻と迫りつつあるのだった。
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