6.母上とたぬき
その日は朝早く、ジョセフが起こしにきた。
「クラウス辺境伯閣下とクラウス辺境伯夫人が只今戻られました」
「すぐに行く」
身支度を手早く済ませ、はやる気持ちを抑えて居間へと向かう。丁度、母上が優雅な所作でこちらに歩いて来た。二月ぶりの母上は長い栗色の髪を高い位置で一つに結い、紺色の乗馬用ドレスを着ている。
「母上、戻られたのですね! 父上は?!」
ちなみに母上の二つ名は華美の才女だ。優雅で気品があり、公では外交、商談、交渉などの母上の手腕には舌を巻く。しかし……公私の公と私には差異があるのだ。
「あらー、ルークちゃん、ただいま。あなたのお父上はジョセフと書斎にいるわよ。それより、ルークちゃんにお土産があるの。何だと思う?」
悪戯っ子のように笑う母上は後手に何かを隠し持っているのである。ふむ。何であろうか?
「何でしょうか、母上?」
「じゃーん!」
母上は白いまん丸の何かを出した。こ、これはっ?! 二の句が継げずにいる俺を丸っと無視して母上は続けたのだ。
「ルークちゃん、犬飼いたいって前に言ってたでしょう?」
「…………」
その白いまん丸はクリクリした円な瞳で俺を見つめている。か、可愛いのだが、犬には見えないのである!
「あ、あの……犬を飼いたいと言ったのは確か5歳の頃かと。それと、それは犬ではなく狸だと思われます……」
「あら? 犬じゃないの?」
「はい、その丸みのある耳にずんぐりむっくりの顔と体、手足の短さ。白い珍しい個体なのは確かですが、狸です」
「そうなの? まあ、犬も狸も一緒でしょう。はい、これ」
「……あ、ありがとう、ございます」
「大切に飼うのよ」
「……はい」
母上は疲れたから着替えて寝ると寝室へ向かい、父上は客人との面談があるそうなのだ。父上には午後に挨拶に伺う事にし、一旦自室へ戻る事にした。
5歳児の時の約束、『犬飼う』を何故かもうすぐ17歳で実行してくれた母上。しかも犬ではなく、狸。
子狸を脇に抱え、ぼーっとしてしまったが、気を取り直して名前をつけることにした。この狸は姿がまん丸で真っ白だ。ふむ、白で連想すると、雪、大福、兎。ふむ、いまいちである。
では、まん丸からでたぬき丸……。もう一声か? 白のまん丸から『白丸』。おお、なかなか良い感じだ。
「お前の名は『白丸』だ。良い名だろう」
白丸は小首を傾げて、うーん? って感じの顔をしている。嫌がって無さそうだし、いいな。
いつもの朝の日課で森に行った。どこかへ逃げるかと思ったが、白丸は短い手足で一生懸命に後をついてくる。
朝の鍛錬で森を全速力で走り回っても、木登りや木々の間を飛び移っても、水泳までも後から泳いでついてくるのである。くぅ、可愛すぎる。
指先を使った逆立ちの腕立て伏せをしていると、俺の足裏に乗ってバランスを取り、側から見たらまるで曲芸までもこなすのだ。これは恥ずかしいので周りに人がいないのを二、三度確認してしまったがな。
素振りやジョセフとの手合わせは流石に参加できないので、短い両手を前に軽く添えて、2本足で立って見学している。
変な狸なのだが、可愛い相棒ができたのである!