私の婚約者はメンヘラ王子様。そんな彼を私は溺愛しています。たとえ婚約破棄されそうになっても私たちの愛は揺らぎません。
「ヤミレ・デュ・リチャードソン! 君との婚約を破棄するッ!」
出席していたとある夜会でのこと。
突然大声を上げ、殿下――メンスール・ヘラクリウス第二王子が騒ぎ始めました。
夜会に参加していた方々はビクッと身を震わせ、一瞬メンスール殿下に視線をやりましたが、何も言わぬままにそれまでの談笑を再開させています。
もしかすると国の一大事になるかも知れませんのに、反応が薄いですわねぇ。
ちなみにメンスール殿下に名をお呼びいただいたのは他ならぬ私でございます。
ヤミレ・デュ・リチャードソン。リチャードソン侯爵家の長女であり、メンスール殿下の婚約者です。
「まあメンスール殿下、お声がけくださってとても嬉しいですわ。ありがとうございます。
それにしても……あまりに突然のことで驚いてしまいましたわ。婚約破棄だなんて、そんなことを言われては悲しくなってしまいますわ。私はただただ一身にメンスール殿下をお慕いしておりますのに。
もしかしてその、横に抱かれている女に絆されてしまいましたの?」
私の愛するメンスール殿下の隣には、愚かな泥棒猫が一人。
いかにも教養が足りなさそうな腑抜け顔のその女の名を、私は存じません。そもそも知るつもりもございませんが。
「この令嬢は、私に君の裏切りを知らせてくれただけだ! あんなにも熱烈な瞳で『一生離さない』と言ってくれたのに他の男に体を捧げていたなんて……。ヤミレ、君には絶望したよッ!」
まるでこの世の終わりとでも言いたげに肩を落とし、ひどく落ち込むメンスール殿下。
ああ、そんな姿はなんと愛おしいことでしょう。こんな公の場で私をドキドキさせるとは、さすがですね。後でたっぷりお返しして差し上げましょう。
「何のことをおっしゃっているかわかりませんわ。私、父を含めてメンスール殿下以外の男性と指一本だけでも触れ合ったことは、ここ十年以上ありませんもの。神に誓っても構いません。
どうせその女にたぶらかされたのでしょう? ですから他の女を見つめないでくださいませといつも申しておりますでしょう。
あなた様は私だけを見てくださっていればいいのです。メンスール殿下が私の全てであるように、殿下も私のことだけを考えていればいい。そうじゃありませんか?
その女の名を教えてくださいませ。今から対処いたします。メンスール殿下の横に並び立てるのは私。私だけなのです。今まで並々ならぬ努力を重ね、やっと殿下と一生過ごせるようになったのに、ただ口がちょっとうまいだけの女に盗られるなんて断固お断りです。
泥棒猫に何を吹き込まれたって気にしないでください。私はずっと、あなた様だけですから……」
私がにっこりと微笑むと、メンスール殿下の顔がパァッと明るくなりました。
「本当か!?」と身を乗り出す殿下でしたが、そこへ泥棒猫が邪魔をしに口を挟んできました。
「ヤミレ様、メン様を呪縛しないであげてください!」
「私、あなたのような品のない泥棒猫のことなど覚えていなくってよ。メンスール殿下に私の許可なく近づいたのですもの、この先のあなたのお家が無事だと思わないでいてくださいませね? ええと、あなたはどこの家だったでしょう。確か貧乏男爵家が最近引き取った元平民のお嬢さんでしたか? まあいいです。後で侍女にでも調べさせておきますから。……それで、呪縛とはどういう意味ですか?」
一瞬でサァーっと顔色が白くなる泥棒猫さん。
それでも彼女は負けじと声を張り上げました。
「『私だけを見て』ってやつのことです。メン様はヤミレ様のことを本当は好きじゃないのに、好きだと思わされてるんです! メン様に偽の愛情を植え付けるとは、卑怯だとは思いませんか!?」
善人のふりをしていますが、どうせ私のメンスール殿下を奪いたいだけに違いありません。
愚かですわね。
確かに、先ほどまで顔色をよくしていた殿下は、「そうなのか?」と再び私を疑い始めています。
メンスール殿下は少々人の言葉に惑わされやすいところがありますの。そこが素敵なのですが。
「なぜ、メンスール殿下の婚約者である私が、殿下と愛し合ってはいけませんの?
その方が二人のこの先、ひいては国の安寧にも繋がるというのに?
確かにメンスール殿下は第二王子です。王太子殿下と比して政務に出る機会は少なくいらっしゃるでしょう。それでも国を支える方であることに間違いはないのです。第二王子夫妻の仲が険悪だなんていうことになれば一気に国が揺らぎますわ。わかっていらっしゃって?
ですから私がメンスール殿下を愛し、殿下が私を愛してくださるのは皆さんにとっても良いことなのです。あなたのような貴族社会のいろはも知らない小娘が口を出していい問題などではございません」
「でも!」
ああもう面倒臭い。
本当なら後で侯爵家の方で調べて泥棒猫の実家を潰すつもりでしたが、作戦変更です。
私にだって堪忍袋の緒というものがあるのですよ?
「衛兵。これは陛下への叛逆ですわ。彼女を捕らえなさい」
「――! いくらなんでもそれはひどいんじゃないですか。自分の罪を暴かれたからって……」
「私の罪? 心当たりがありませんね。
私とメンスール殿下との婚約は王命。つまり陛下の意思です。
それだというのに殿下を惑わせ、婚約を破棄させることで混乱を引き起こした。これは充分に叛逆と考えられますわ。
……メンスール殿下の婚約者の座は、誰にも奪わせませんわ」
まもなく衛兵が動き出し、泥棒猫を床に組み伏せて捕らえます。
「違うの! あたしはその女にはめられただけ! ただ、可哀想な王子様を助けたかっただけなの!
降伏します、降伏しますからぁ!」
いくら叫んだって無駄。
泥棒猫さんはあっという間に引きずられてどこかへ――おそらく下級貴族用の牢屋でしょう――に連れて行かれたのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やはり。メンスール殿下、また腕の傷が増えていらっしゃいますね。お可哀想に」
「だって……だってヤミレが俺のことを嫌いになったんじゃないかと思って、不安で……」
「大丈夫ですわ、殿下。いつも申しておりますが私は絶対の絶対にあなた様のことを嫌いになったりなどいたしません。本音を言えば一生身を触れ合わせていたいと毎日願っているほどなのですよ?
他の男など要りません。あなた様だけいてくださればいい。私はそれ以外何もいらない。何も求めませんわ」
夜会が終わった後、私は殿下の服の袖をたくしあげ、そこに刻まれた無数の傷跡を見つめていました。
メンスール殿下は少しのことで悲観的になりやすい性格をしていらっしゃるため、私の愛を感じられなくなるとすぐに自傷行為に走ってしまわれるのです。
最初こそ王宮の者は大騒ぎしましたが、メンスール殿下は刃物がなくても、服についた金属製の何かなどですぐに自傷行為をなさってしまうので止めようがありません。ということで皆さんとっくに諦めていらっしゃいます。
その代わり、私はメンスール殿下が傷ついた後、癒して差し上げることにしているのです。
まだじんわりと血が滲んでいる傷跡にそっと口を近づけ、舌で優しく舐めます。
その時のメンスール殿下の幸せそうなお顔はとても素敵でした。
「殿下、これからもずっと一緒にいましょうね。ですから、もう二度と婚約破棄など言い出さないでくださいませ」
「わかったよ」
私の婚約者はメンヘラ王子様。そんな彼を私は溺愛しています。たとえ婚約破棄されそうになっても私たちの愛は揺らぎません。
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